第十一話
「いや。無理だろう」
そんな身も蓋もない。
と思ったけれど、キャロルも「そうね……」と小さく返した。
「私もお姉様も出会った時が幼すぎたわ。それにただ日々を生きるだけで精一杯の、世間知らずの子どもだもの。『こんなに辛い自分』以外の誰かのことを思いやるなんてできないし、知らない人間の事情なんて話でもしなきゃ知りようがない。だけど私たちが話せるような環境なんてなかったじゃない」
私は端からノーリング伯爵家の人たちを敵だと思ってしまった。
キャロルは味方として信用してほしい侍女たちにどっぷりと抱き込まれ、私を共通の敵として見させられていた。
共通の敵ほど取り入るのに便利な存在はない。
その結果私はただ疑問をぶつけ、危険とみなされ軟禁されることになり、知る機会も話す機会もなくしてしまった。
もっと賢い立ち回りができていたらと思うけれど、レイノルド様の言う通り、これもまあ無理だろう。
初めて会うまで、私たちが離れていた時間は大きい。
その間に周囲から植えられた情報からそれぞれに悪感情が育ってしまった。
『滅びの魔女』として誰からも恐れられていることをよくわかっていた私と、『滅びの魔女』が怖くて仕方がないキャロル。
八歳と十歳の子どもがそれを越えて歩み寄り、対話するのは難しかっただろう。
「どちらもなるようになっただけだろう。その状況であれば自然なことだ」
レイノルド様の言葉に、私は頷く。
仕方がなかった。その言葉は諦めるようで好きではなかったけれど、一番胸の中にすとんとおさまる。
「町でお姉様に出くわした時は、本当に頭が真っ白で、何も考えられなかった。だけどお姉様が引っ立てられていくのを見て、私、いい気味だわって思ったの。これまでただ安全な場所に隠れているだけで傷つくことのなかったお姉様が、初めて私が代わってきたその辛さをその身に受けるんだって」
まあ結局その後私もさんざんに責め立てられたけれど、とキャロルは顔を歪めて笑ったあと、思い出したように焦った顔になった。
「そうだわ。それで薬なのよ! 薬をなんとかしないと、戻ってもまた責められるのよ!」
「薬がどうしたの?」
突然しんみりとした空気が一変し、キャロルはがばりと私の肩をつかんだ。
「お姉様はああして外に出て薬を売っていたんでしょう? なんでそんなことしてたの? いいえ、今はそれよりも、その薬の出どころよ! どこから仕入れたものなの?」
一瞬答えるか迷ったけれど、キャロルだって正直に話してくれたのだ。
私もそれに応えなければならない。
「私が作ったのよ」
「は………………? 嘘でしょ? どうやって?」
「勉強したのよ。材料になる薬草を町で買って、作っていたの。けれどそのうち薬草や木の皮なんかは自分で山に行けば採取できるなと思って山に入るようになって、山の中腹まで登るのは大変だから、洞窟の入り口に生えるキノコをクローゼットで栽培して」
キノコと聞くなり、キャロルがはっとしたような顔になり頭を抱えた。
「あのキノコって育ててたの?! っていうか信じられない! 町?? 山??? なによそれ、かなり前から自由に屋敷を出たり入ったりしてたってこと!?」
あのキノコ、ということはクローゼットを見たのか。
私の部屋には気味悪がって近づかなかったのに。
「あの毒とか嫌がらせが続いて、キャロルも私を追い出したいならこの国を出て行ったらお互いに望み通りになると思って。それで薬を作って売って旅の資金にしようと」
「それノーリング家に来てすぐのことじゃない!!! もう何年よ?! っていうか、はあ? 出入りしてただけじゃなく、逃げ出そうとしてたってこと?」
信じられない! とキャロルが喚く。
「どうどう。落ち着いて。人が来るわよ」
「うるさいわね! それでその薬は部屋にあるの? 探したけど見つからないのよ」
ふと疑問に首を傾げる。
「何故そんなものを探しているの? 薬なんて町に行けば売っているじゃない」
「それじゃ駄目なの。お姉様の薬じゃないと」
「まさか、毒だと疑われて証拠を探してるとか、そういうこと?」
「そうじゃない! 逆よ。良く効く薬がなくなったって、町で騒ぎになってるのよ」
なんで?
首を傾げたままでいると、キャロルが苛立ったようにさらに声を荒げた。
「お姉様が卸してた薬は他のよりも効きがよかったんですって。評判が高じて、薬屋同士で高値で売買されるほどになってたそうよ」
たしかに最近たくさん売って欲しいと言われるようになっていたけれど、その理由は後継者不足で薬師のなり手が減っていて困っているからだと聞いていたのに。
騙された。
卸値は変わっていない。
つまりは薬屋同士で値段を吊り上げ、その分を懐に収めていたということで。
最初の頃にいろんな店に不審がられて取引をしてもらえなくて、やっと買ってくれたのがあの店だったから、ずっとあちらの言い値で売っていたのに。
これが社会なのか。
慣れたつもりになっていたけれど、まだまだだった。
私が落ち込んでいると、キャロルはふと冷静になったらしい。
「そもそもなんでお姉様の薬は効果が高かったの?」
「そんなことは今初めて聞いたわ」
「何よ。体よく利用されてたんじゃない」
「そうみたいね。最初は本に書いてある通りに作っていたから他と変わらなかったと思うわ。けれどいきなり売りに行っても取引してくれるところもなくて、時間が有り余っていたから、いろいろと試すようになったの」
効率が悪いなと思うところがあったり、何故そんな工程が必要なのかわからなくて、違う方法を試したり。
その合間に町中の薬屋に何度も足を運ぶうち、試しにと置いてもらえるようになり、少しずつ信用を得て取引ができるようになっていった。
「キノコも自然環境とは違って家のクローゼットなら湿度を一定に調整できるし、カーテンや扉の開閉で日の当たり具合も加減できるから、思ったよりよく育ったのよね」
「……まさかあのキノコが薬の材料としてわざわざ育ててるものだとは思いもしなかった。そういうのは買うものだと思ってたから。だけどそれで効果が違ってたのね。そもそも、貴族の令嬢がまさか自分で薬を作っているなんて考えもしなかったわ」
「それしか生きる術がわからなかったから」
毒を盛られても自分で解毒できるように。
体調が悪くても死を望まれている私に医者など呼んでもらえるはずもないから。
大手を振って外に出られない貴族の令嬢がこの身一つでお金を稼ぐ術が他に思い当たらなかったから。
理由はたくさんあるけれど、言わなかった。
それでもキャロルは思うところがあったのか、黙り込んでしまった。
「クローゼットのキノコは今どうなっているかはわからないけれど、乾燥させたものがあったはずよ」
「それは……。ないわ」
「ない?」
先ほどクローゼットのキノコを見たと言っていたのでは。
首を傾げると、キャロルが「……気持ち悪かったから」とぽつりと言った。
「お姉様の部屋の窓からぶん投げたわ」
「乾燥させて袋に入れてあったものも?」
「それも。もさもさと固まって生えてたやつも。全部、捨てたわ」
「あらぁ」
丹精込めたキノコだったのだけれど。
「クローゼットを開けたらドレスじゃなくてキノコが生えてるなんて、そんなの、気持ち悪いに決まってるじゃない! 意味が分からないし! 屋敷中に広がるんじゃないかって怖いし! きれいさっぱり中の物は捨て去って、しっかり雑巾で拭き清めさせたわよ!」
たしかに言われてみたらそうだけれど、ドレスなんて持っていないし、空いているものを有効に活用しただけだ。
しかし、私が試行錯誤して作った薬が良い出来だったというのは嬉しい。
できれば当時に正当な評価が欲しかったけれど、対価であるお金は逃亡のために貯めていたものだし、たとえ値段を上げてくれていたとしても、結局こうして何も持たずに放逐されたのだから意味もない。
「それでなんでキャロルがそんなに必死になっているの?」
「まったく……。本当にお姉様はいつでも他人事ね。お姉様の薬が特別効果が高いものだったってわかっていた薬屋が、城に連れて行かれた『滅びの魔女』が作っていたものだってわかれば、残っていた薬を奪い合うようになる。けれどそれが町の人たちに知られると、怖がって買ってくれなくなる」
「まあ、自分たちがさんざん国を滅ぼすと噂してきた『滅びの魔女』が作った薬なんて、怖くて使えないわよね」
「けれど薬屋は効果が高いことを知っているから黙って高値で売る。たぶん、こっそり隠し持ってる薬屋もいるはずよ。それで数も多くはないから町に出回らなくなった。それを町の人たちは、『滅びの魔女』の呪いで良く効く薬がなくなったんだって噂するようになったの。そうやって国を滅ぼしていくんだ、って……」
なんとも遠回りな滅ぼし方である。
多少効果が高いと言ったって、それに代わる薬はあるし、そもそも私が作り始めるまではなかったものだ。
なのにそのせいで国が滅ぶだろうか。
私のせいと言われれば私のせいとは言えるかもしれないけれど、それで国を滅ぼすと言われるのは甚だ遺憾である。
しかしキャロルは続けた。
「時期が悪かったのよ。最近、急にカムシカ村に魔物が現れたり、タムール地方の水害もあったり、『滅びの魔女』のせいだって言われるような災害が続いていたでしょう? それでいよいよ国が滅び始めたんだって騒ぎになったの。それを信じた町の人たちが、屋敷に押しかけてくるのよ。『滅びの魔女』を早く殺せ! って。城に連れて行かれたのに、まだ処刑はされないのか、ノーリング伯爵家が庇ってるんだろって」
「それはまた……」
「随分と勝手なものだな」
黙って聞いていたレイノルド様が、淡々と呟く。
キャロルは疲れたようにため息を吐き出した。
「処刑を遅らせるんだったら、ノーリング伯爵家が責任を取って各地の災いをなんとかしてこいって。後ろ盾もないノーリング伯爵家にそんな力があるわけないのに……。薬のことはどうにもしようがないし、だからって何もしないでいると毎日毎日うるさいから、とにかくカムシカ村に魔物が現れた原因でもわかればと思って、仕方なく家を出てきたのよ」
なあるほど。
それでカムシカ村に来ていたのか。
それなら私たちの利害は一致する。
口を開きかけたけれど、私が何かをどうにかできるとは思っていないのか、キャロルは「それで?」と私を睨みながら再び口火を切った。
「あの後一体どうなって、どうしてお姉様がここにいるの?」
「お城に連れて行かれたわよ。その後のことは私も何がどうなってそうなったのか、はっきりとはわからない。目隠しをされて馬車に乗せられて、気づいたら森の中にいて、レイノルド様に助けられたのだけれど。『滅びの魔女』の言い伝えを調べないことにはいつまでも私はその呪いから解放されないでしょう。だからエラ王妃に縁の深いこのカムシカ村のお祭りに来たの」
「ふうん」
かなり端折ったこともあり、キャロルはまだ何か聞きたそうにしていたけれど、今度は私が「それでね」と話を続けた。
「キャロル、私と取引しない?」
悪い姉である。




