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第十話

「私の味方になったのではないわ。私を味方につけて、あの屋敷での自分の立場を確かなものにしたかっただけよ」


 侍女のあの言いぶりから、自分はこれだけ手を汚せるのだと尽くして見せて、キャロルへ媚びている面もあるだろうとは思っていた。

 けれどその背景にまで想像は及ばなかった。

 だからキャロルの意思が先にあって、それに沿って見せたのだと勝手に思い込んでいたのだ。


「私はお姉様が怖かった。だって『滅びの魔女』だもの。怖くないわけがないでしょう。それに私が辛いのはお姉様のせいだっていう憎しみもあったわ。だから私の味方だと言ってくれる使用人たちだけが私の心のよりどころだった。恐ろしい『滅びの魔女』には近づかないほうがいいと言われてもその通りだとしか思わなかった。だから私が使用人たちを守らなくちゃって、思ってた。だけどあの日、お姉様が部屋から出てきた時――」


 キャロルは思い出したのか、少しだけ声が震えている。

 ぎゅっと拳を握り込み、視線を膝に落として続けた。


「顔が土気色で、頬がこけていて、まるで死んだ人がそこに立っているようだった。怖かった。もう、今にも目の前で死ぬのではないかって。みんなが『滅びの魔女』を処刑しろと言う。私だってそう思った。早く死んでくれたら楽になるのにって。だけど死ぬのがどういうことか、目の当たりにした気がしたのよ。本当にあるのかわからない『滅びの魔女』の言い伝えなんかよりも、もっともっと目の前に、お姉様の死が見えた。みんな簡単に死ねというけれど。こんな風に人が死んでいくのを見ても言えるのかしらと思ったわ」


 私はただ必死だったから、キャロルを怯えさせるほど死にそうな顔をしていたとは自覚もなかったけれど。

 あの時震えていたのは、幼いキャロルにとって遠かった『死』が形を持って現れたように見えたからだったのだろう。

 毒を盛ったつもりだったのに生きていたから怯えていたのだと思い込んでしまった。


 あの時、何故こんなことをと不思議に思ってはいても、キャロルの事情も気持ちもきちんと聞くことがなかったから、思い至りもしなかった。

 中途半端で浅い考えに思えたのは、侍女の覚悟のない思い付きだったからなのだろう。

 そんなことに今頃になって気が付く。

 私はただキャロルに疑問をぶつけるだけで、まともに話を聞こうともしなかった。

 答えていたのはキャロルではなく、侍女だったのに。キャロルの答えを待とうとしなかった。


「ごめんなさい。馬鹿だったのは私ね。この子は何故こんなことをするのだろうと疑問に思ってばかりで、きちんと会話を重ねることをしなかった」

「――馬鹿だと思ってたの?」

「ちょっと思ってたわ」

「どうせちょっとじゃないんでしょう」


 いやに詰めてくるところを見るに、自分でも気にしているのだろう。

 こういう時に何て返せばいいかわからない。

 無言でいると、それが答えよと言わんばかりにキャロルは苛々としたため息を吐き出した。


「お姉様に会うまでは、なんてかわいそうな人なんだろうって気持ちもあったわ。家族だってだけで私がこんなに辛い目に遭っているのだから、もっともっと辛いんだろうと思っていた。だから、恨んではいるけれど、ちょっとした仲間意識のようなものもあった。だけど」


 そう言ってキャロルは言葉を区切ると、「全然違う」と強く拳を握りしめた。


「お姉様によく似合う服を着て、能天気そうな顔で屋敷を見回しているのを見て、腹が立った。私はずっとずっと、『滅びの魔女』の家族だって貴族からも、平民からも、誰からも! 冷たい目を向けられ、罵詈雑言を浴びせられてきたのに。そうよ。考えてみればお姉様がそんな目に遭うことはないのよ。だってずっと引きこもって、おじい様とおばあ様に守られてたんだから! 外に出ないお姉様は知らないのよ。『滅びの魔女』が、その家族が外に出るとどうなるかなんて! お姉様には絶対に私の気持ちはわからないんだから!」


 『滅びの魔女』が外に出ているわけがない。誰もがそう思うから、私が祖父母と外に出ても誰にも何も言われたことはない。

 けれどキャロルは違う。

 キャロルが外に出るのは貴族の顔も知らない人たちで溢れる町の中ではない。

 それぞれが家の名を背負った貴族たちが社交を深める場。

 そこではキャロルの姉が『滅びの魔女』だということは知れ渡っているのだから。


「私はノーリング家のおじい様とおばあ様に服もアクセサリーももらったことがあるわ。けれどいつも、子どもっぽい服なんて着るな、恥ずかしいって言われて……。私の好きなのじゃなくて、似合うのじゃなくて、大人っぽいのを無理矢理身につけさせられてただけ。なのにお姉様は――」


 初めて会ったあの日。

 キャロルが私と一緒に運び込まれた荷物を開けて見ていたことを思い出す。

 その時どんな顔をしていただろうか。

 思い出せない。

 けれど。悔しかったのかもしれない。悲しかったのかもしれない。


「お姉様は、一目でおばあ様とおじい様に愛されていたってわかったわ。その服も、何もかもがお姉様のために仕立てられたものだったでしょう。ずるいって思ったわ。だから、意地悪をしたくなったの」


 だから、私の荷物をすべてキャロルのものにしたのか。


「お姉様がおじい様とおばあ様にもらったものは、私がもらうはずだったものでもあるのよ。私はずっと、ノーリング家のおじい様とおばあ様に言われて育ったのだもの。お姉様がユグノー家のおじい様とおばあ様を奪ったんだって。二人はお姉様の犠牲になったんだって。だから、私がもらってあげなきゃ二人のことがかわいそうだと思ったの」

「それはキャロルの言う通りだわ」


 キャロルは私を睨み、でもすぐに力なく視線を落とした。


「本当はすぐ返すつもりだったのよ。なのに、今みたいにお姉様は執着する様子も見せない。ほとんど袖を通したこともなかったとか、まるでいらないものみたいな言い方をするから。こんなに恵まれているのにそのことに気づきもしないんだわって、もっと腹立たしくなって」


 それでキャロルも引けなくなってしまったのだろう。

 二歳年上の私はすぐに着られなくなるものだし、どうせ男の格好しかできない。そう思って私も自分で自分を慰めていた。

 泣いても騒いでも仕方がない。

 ずっとそうして諦めるしかないことばかりだったから。

 祖父母と別れ、マリアと別れ、私に遺された物すらも手元から離れ、そうして失ったものに縋りついたら、悲しみを真正面から見てしまったら、二度と立てなくなってしまう気がした。

 だからすべてを受け入れるしかなかったのだけれど、そんな私の態度こそが、キャロルは腹立たしかったのかもしれない。


 初めて言葉を交わし合う八歳と十歳だ。

 それぞれの大きすぎる感情がゆえに、互いの言葉が違って聞こえてしまったところもあっただろう。


 誰を信じていいのかわからなくなり、たった一人でこれまでずっとやってきた。

 そう語ったキャロルと私はどれほど遠い存在だったのだろうか。

 語り合えさえすれば、もしかしたら一番身近な存在になれたのかもしれない。


 辛いよね?

 悲しいよね?

 苦しかったよね?


 そういう気持ちを、素直に分かち合えたらよかったのかもしれない。

 自分ではどうにもならないことで悪にされた者同士として。

 私たちにしかわからないことがきっとあったはずなのに。


「私はキャロルがどんな風に生きてきたのかなんて、考えたことがなかった。キャロルのことを理解できないって、諦めてさえいたわ」


 自分のことに精いっぱいで。

 私はキャロルを思いやる余裕も、想像を働かせる力も、まるでなかった。

 キャロルの表面だけを見ていたのだ。


「もっと思いやれたらよかった」


 悔しくて。

 唇を噛みしめてそう呟いた私に、それまでずっと黙って聞いていたレイノルド様が口を開いた。

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