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第四話

 ふっと目が覚めるとまだ辺りは薄暗い。

 もうひと眠りしようとして、はっと覚醒した。


 素っ裸だ。

 豚から人間の姿に戻っている。


 しかもうっかりすっかり眠さに負けてレイノルド様の胸の中で寝落ちてしまったまま。

 レイノルド様のごつごつとした指が背中に触れている。


 とっても恥ずかしい。

 いたたまれない。


 今すぐどうにかしなくてはならないが、ここで騒げば私の命はないだろう。

 これは完全に夜這いだ。

 山の中に捨てられるどころではない。

 スヴェンとティアーナに殺される。


 レイノルド様に見られるのもいたたまれないし、その場合もティアーナに殺されるだろう。

 物音を立てないよう、そっとレイノルド様から離れる。

 しかし隙間が空くと寒さを感じるのか、再びぎゅっと抱き込まれる。


 ――詰んだ。


 いやここで諦めるわけにはいかない。

 せっかくレジール国から逃れたのに、ここで生涯を閉じるわけにはいかないのだ。

 そっと体を離した隙間に布団を埋め込み、静かに、ゆっくりと、ほんの少しずつ体を離していった。


 やっとのことでベッドから抜け出すと、レイノルド様が眉間に皺をつくり、寒そうに布団を抱き寄せていた。

 なんだか申し訳ない。


 しかし裸で廊下をうろつくわけにはいかない。

 部屋を見回し、レイノルド様のローブをお借りすると、そっと扉を開けて顔を覗かせた。

 廊下に人影はない。

 そういえばこの廊下では見張りの兵士というものを見かけたことがない。

 レイノルド様が一番強いからだろうか。

 しかし見張りがいないのは幸いだ。

 何をしていると問われても何と答えればいいか困る。


 素足でひたひたと廊下を歩き、私に与えられた客間を探すと、レイノルド様の寝室からすぐだった。

 こんな近くに客間などがあっていいのだろうかと驚きつつ、そっと部屋に戻り、脱げたままになっていた服を急いで身に纏った。

 それからそっとローブを返しに戻り、自室のベッドに潜り込むと、腹の底から安堵の息を吐き出した。


 気を引き締めなければ。

 当たり前だったものが当たり前でなくなって、つい寂しくなってしまったけれど、それで自分の身を危険に追い込んでどうする。

 もう豚の姿でうろつくまい。

 今日は夜になる前に、深めの皿をもらっておこう。




 ふと人の気配を感じて目を覚ますと、「起きたか」と聞き慣れた声にがばりと起き上がった。


「レイノルド様! おはようございます」


 中途半端な時間に起きて二度寝してしまったせいで、すっかり寝すぎてしまったらしい。

 ベッドに腰かけていたレイノルド様は私の顔色を確認するようにじっと見つめると、一つ頷き、立ち上がった。


「朝食を持ってきたが。もうパン粥でなくても食べられるか?」

「はい」


 そう言えばずっとパン粥のままだった。


「肉は?」


 正直、いきなり肉はきつい。しかも朝だ。

 けれどサイドテーブルに置かれた皿を見れば、薄切りの燻製肉と玉子を焼いたものとパンのようだった。

 あれなら食べられそうだ。


「大丈夫です」


 そう答えると、レイノルド様は皿を手に取り、椅子に座った。

 そして小さく切り分けられた燻製肉をフォークでぷすりと突き刺し、無言で私の顔の前に差し出す。

 ここで喋ると口に突っ込まれることは学習済みだ。

 私は顔の前に掌をかざし、「いえ、あの自分で食べられます!」と元気に伝えた。

 するとレイノルド様は「そうか」と何故か残念そうな顔。

 母性が爆発中らしい。


「これまでたいへんお世話になりました。これからは自分のことは自分でできます」

「喉に詰まらせて死なないか?」

「大丈夫です! 子どもじゃありませんので」

「子どもだろう」


 そういえば獣人の寿命ってどれくらいなのだろうか。

 十五歳なんてまだまだ子どもなのかもしれない。

 聞いてみようと口を開いたところにずぽっと燻製肉が差し込まれた。


 喋ろうとしてたのに!

 こっちのほうがよっぽど喉を詰まらせそうになる。

 しかし口の中がいっぱいでは抗議もできない。

 仕方なくもぐもぐと咀嚼していると、「うまいか?」と問われた。

 まだ喋れないのでこくりと頷くと、「そうか」とどこか嬉しそうに口の端を緩めた。

 そんな顔を見てはもう断れない。


 ごくり、と飲み込んだのを見計らって、今度は玉子焼きを差し出される。

 そのいい匂いに空腹が刺激され、反抗するのを諦め素直にぱくりと口にする。


 ああ、おいしい。


 久しぶりにまともな食事を食べる。

 生きてるって素晴らしい。

 幸せを噛みしめながらもぐもぐと玉子焼きを味わっていると、今度はパンをちぎって差し出される。

 丸くてふんわりと焼けたパンの良い匂いがたまらない。

 すぐにぱくりと食べると、柔らかくて、甘くて、大の字に寝転んで叫びたいほどにおいしかった。


 そもそもこんな柔らかいパンなんて、家では食べられなかったし。

 一応毎日離れの自室の前に食事は置かれていたけれど、少しだけ食べたふりをして手を付けず、庭で花の肥料にしていた。

 毒入りかもしれないからとてもそれで野菜を育てる気にはならなかったけど、花は普通に咲いていたからあれ以降毒はなかったのかもしれない。

 毒じゃなくても何が入っているかわかったものではないけれど。

 パンが食べたくなると買ってきた小麦粉と水を捏ねて焼いてみたりもしたけれど、ただ焼いただけのものはふくらみが違う。

 さすがに部屋の中に竈は作れなかったし。


 だから薬草を売るため町に出た時にパンを買うのが私の贅沢だった。

 でもこんなふわふわなパンなど売ってはいない。

 ほんのり甘くて、バターがふんわり香る。

 なんて幸せなのか。

 夢中で差し出されるまま食べているうちに、いつの間にやら完食していた。

 何故か私以上にレイノルド様が満足げだ。


「ごちそうさまでした。あの、次からは自分で食べられますので」

「そうか。わかった」


 そう相槌が返ったものの、結局昼もレイノルド様に食べさせられることになった。

 どうやら私が食べるのが面白いらしい。

 レイノルド様が楽しいならいいか、と結局私も羞恥心をどこへやらほっぽり出してしまった。

 甘えてはならぬと気を引き締めたばかりなのに、どうにもレイノルド様には逆らえない。


 しかしいつまでもお世話になっているだけというのは忍びない。

 何か恩を返したいのだけれど。

 私に何ができるだろう。


   ・・・◆・・・◇・・・◆・・・


 レジーナ国ではわからなかったことがある。

 叔父から頼まれていたドゥーチェス国からの文書を翻訳した時に、『三百年前の悲劇を繰り返すことのないように』という警告のような一文があって、ずっと気になっていたのだ。

 あれはきっとレジール国であったという戦争のことを言っていたのだと思う。


 それが肝心のレジール国の歴史の勉強には出て来ず、隣国のドゥーチェス国では当然の史実とばかりに国同士の文書に書かれてくる。

 この情報格差はなんなのか。

 レジール国の中枢が意図的に隠蔽しているのか、それともその戦争でレジール国の資料はほとんど焼けてしまったのだろうか。

 後者だとしても、戦争のことすら伝わっていないのはおかしい。

 どちらにせよ、グランゼイル国に来られたことは幸運だったかもしれない。

 レジール国にいても一生わからなかったかもしれないのだから。

 ただ、ティアーナに案内されたこの資料室は本当に様々な本が集められていて、必要な物を探すのが大変だった。

 レジール国、ドゥーチェス国、ビエンツ国など周辺諸国の、しかも物語から専門書に至るまで幅広く集められている。

 かといってすべてが揃っているというわけでもなく、何かに特化しているというわけでもなく、ただ手に入ったものをここに収めているといったような揃い具合だった。

 年代もばらばらで、分類もされておらず、片っ端から順に一つ一つ背表紙を確認して、関係ありそうならぱらぱらと中を確認して、じっくり読むべきものを選別しているから、とにかく時間がかかる。


 以前は管理人がいたのだそうだけれど、いつの頃からか仕事をしなくなり、今は城内の部屋に閉じこもっているらしい。

 それで代わりに虫干しをした人が適当に収めたようで、何がどこにあるのか探しにくくなってしまったようだ。

 その管理人に会わせてもらえないかとスヴェンにお願いしてみたのだけれど、忙しいのでと断られてしまった。

 たしかにこれは私の問題だ。

 自分でなんとかするしかない。


 そうして地道な確認を続けること四日。

 気になったものは部屋に持ち帰り、じっくりと中を確認し、元に戻すの繰り返し。

 一日の大半は読む時間に当てているけれど、こうして上から下まで棚を確認していくのはけっこう足腰にくる。

 少し休憩しよう。

 どこかに椅子か何か、腰かけられそうなものはないだろうかと見回すと、資料室の重い扉がギィッと開く音が聞こえた。

 そちらに首を伸ばしてみると、資料室に入ってきたのは一人の老人だった。


「こんにちは」


 とにもかくにも挨拶をしてみたけれど、眉が顰められただけだった。

 茶色のローブを腰ひもで結わえ、折り曲がった腰を支えるように後ろで手を組んでゆっくりと歩いてくる。

 毛髪はすっかりなくなっていたけれど、そのつるりとした頭に三角の耳が生えている。


 ――猫耳?


 そちらの耳にはしっかり毛が生えていた。

 そういえば老齢で髪の毛がなくなる人はよく見るけれど、猫はおじいちゃんでも毛が生えている気がする。


 猫耳のおじいさんは棚を眺めながら歩き、私の近くまで来ると大きく息を吐き出した。


「おまえか、最近資料室に出入りしとるというのは」

「はい。『ルーク』と呼ばれております」

「で? 何用だ」

「三百年前のレジール国で何があったのか、調べたいのです」

「そうか。では出ていけ」


 にべもない。


「レイノルド様の許可はいただいているのですが」

「そうか。出ていけ」


 なぜ?

 というか、誰?

 しかしここで争いたくはない。

 ただでさえグランゼイル国には迷惑しかかけていないのだ。


「わかりました」


 せめて何冊か借りていこう。

 そう思い、目の前の棚から何冊か見繕おうと手を伸ばすと、「おい」と再び声をかけられた。


「触るな」


 ええ……。

 持ち出しもだめ?

 どうしよう。

 これではグランゼイル国にいる意味がなくなってしまう。


「何故ですか?」


 猫耳のおじいさんは答えない。

 私が人間だからだろうか。

 スヴェンやティアーナと同じように、信用ならないものとして見られているのかもしれない。

 それは仕方がない。

 まだ信頼関係が築けるような時間をかけてもいないのだから。

 ひとまず害意はないとわかってもらうしかない。


 そう考えて、猫耳のおじいさんをじっくりと観察した。

 眉は白混じりの茶色で、ぼさぼさと長い。

 頬はかさかさと艶がなく、骨の形がわかるほど肉も落ちている。

 とはいえ不健康というようにも見えない。

 ただ、少し気になっていることがある。


「何をしている。早く出ていけ」

「あの。もしかして、右の膝、痛いですか?」


 そう尋ねると怪訝な顔になった。


「なぜだ」


 あ、無視されなかった。


「右膝を庇うように体の重心が傾いているように見えるからです」

「――そんなことがわかるのか」


 当たってた。よかった。


「誰にでもわかるのか?」


 矢継ぎ早に問われ、慌てて首を振った。


「誰が見てもわかるということはないと思います。普通に歩いていらっしゃいましたし。ただ、私は薬学を勉強していたので」


 薬は病気やケガの回復、健康の維持に使うものだから、体のつくりについても一通り勉強はしている。

 レジール国では医者が少なく、薬師が兼任していることも多い。

 祖父母がドゥーチェス国の貴族を頼れるように伝手を用意してくれていたけれど、もはや養子として受け入れてもらえるような年齢ではない。

 何より祖父母が亡くなってから六年も経っているし、あちらの事情も変わっているかもしれない。

 だからドゥーチェス国に行ったら薬師として生計を立てていこうと思い、薬を売りに行った時に買いに来た人の観察をしたり、店主の話をいろいろと聞いたりしていたから、それが役に立った。


「そうか。他の者には見ただけではわからないんだな?」

「と、思います」


 やけにこだわる。

 膝が悪いことが露見すると困るのだろうか。


 そう考えて、思い至った。

 ここは最も強い竜王が治める獣人の国。

 序列はその強さで決まると聞いたことがある。

 弱肉強食の社会で弱みが見えるようでは生きていけないのかもしれない。


 現に今私は、その弱みにつけこもうとしているのだから。

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