第一話
グランゼイル国にいる許可をもらえたことは大きい。
レジール国では調べるのには限界があった。
ここにいられるうちにありったけの時間を資料探しに費やそう。
そう決意を新たに竜王の前を辞そうとしたのだけれど。
ティアーナの後ろについて歩き出すと、足がもつれた。
しばらく立ち尽くしていたせいで足が固まってしまっていたらしい。
慌てて態勢を立て直そうとすると、ふわりと体が浮いた。
「わぁ?!」
驚き思わず声を上げると眼前にレイノルド様の顔があり、「まだ本調子ではないようだな」と眉を寄せた。
抱き上げられ、運ばれる私をスヴェンがものすごい目で睨み、事態に気づき振り返ったティアーナが鬼の形相で拳を握りしめている。
怖い。
レイノルド様はそんな二人に目もくれずすたすたと謁見の間を出て、私が寝ていた部屋へと連れて行ってくれた。
「ありがとうございます……」
ふかふかのベッドにそっと下ろされ、レイノルド様を見上げると、その手をじっと見下ろしていた。
「あの……?」
「離すのがおしいな」
「どうしてですか?」
「おまえはやわらかい」
その言葉に首を傾げた。
雑草に紛れて育てた野菜ばかり食べていたから肉付きはあまりいいほうではないと思うのだけれど。
人間って捕食対象なのかな。
食べられては困る。
「ええと。他においしいものはたくさんありますよ」
「人間は食わん」
ほっと胸を撫でおろしたと思ったら、レイノルド様がベッドに腰を下ろした。
「おまえが眠るまでここにいよう。また体調が悪化するかもしれん。おまえはいつの間にか死んでいそうなほど弱いからな」
「もう大丈夫だと思います。確実に良くはなっていますし」
「人間なんぞ、いつ死ぬかわからんだろう」
極端な。
そんなに私は弱くはない。はずだ。――けれど。
祖父母も亡くなる時はあっという間だった。
まだ一緒にいられると思っていたのに。
久しぶりに祖父母が亡くなった時のことを思い返してしまい、じわりと涙が滲んだ。
もう長いこと、そんな風に心が弱くなることなどなかったのに。
「見ててやるから安心して眠れ」
それは言葉だけなのに。
不思議なことに、ゆっくりと眠気がやってきた。
久しぶりに歩いたし、たくさん喋って疲れたのかもしれない。
「ありがとうございます、レイノルド様」
朝の光を瞼に感じて、久しぶりにすっきり眠ったな、と意識が覚醒し始めた。
体がだるくない。
やっと本調子になったということだろう。
けれど起きたくない。
温かい布団の中でまだぬくぬくとしていたい。
頬に触れる枕がまたなんともいい感触で――
いや枕じゃない。
グランゼイル国を治める竜王陛下の胸筋だ。
私は何度この過ちを繰り返すのか。
どうしてその心地よさにすりすりしてしまうのか。
人の温もりに飢えすぎだ。
申し訳ない気持ちでそっと離れようとすると、ぐいっと頭を抱え込まれた。
「寒い。動くな」
どうやらお互いにお互いで暖を取っていたらしい。
――じゃあいいか。
いやよくない。
たぶん、ティアーナに見られたら殺され――――
不穏な現実に気が付いたとき、扉がキィィッと開けられる音が耳に響いた。
はっとして目を開けると、レイノルド様の肩越しにこちらを睨み下ろすものすごい形相のティアーナの顔が見えた。
「……、…………!!」
カーテンから漏れる朝の光を顔半分に浴び陰影がよりはっきりとしたその形相に、悲鳴も出ない。
「――ティアーナか」
気配を感じ取ったものか、面倒そうにレイノルド様が身じろぎをする。
「陛下。何故このようなところでこのような者とこのようにお眠りになられておいでなのですか」
こわいこわい。
なんとか離れようとぐいぐいその胸を押すほどに力強く抱き込まれる。起きてるじゃん。完全に起きてるじゃん。
「朝からうるさいぞ」
「陛下。そのようなものと一晩中触れ合っていたのでございますか? 御身が腐り果てますわよ」
「これを抱えているとよく眠れる」
「安眠枕でしたらわたくしが最上のものをご用意いたしますわ。すぐさまそれをお捨てになってください」
「いやだ。これがいい」
朝のレイノルド様はちょっとかわいい。
だけどそれがよりティアーナの形相を縦に歪めていく。
「だめです!!今後もこのようなことを続けるのであれば、陛下が見ていない隙に遠くの山の中に捨ててきますからね!!」
猫を拾ってきた子どもにおかあさんが言うやつ。
だけど本気度が違う。
「たとえ陛下にこの身を焼かれようとも串刺しにされようとも御身を守るため完遂いたしますから!!!」
ティアーナの白く長い耳は臨戦態勢というように後ろに倒され、一秒も目を逸らすまいと私を睨んでいる。
意に反することはわかっていても捨て置けないほど、私を嫌悪しているのだろう。
それも仕方がない。
私は人間で、しかもいわくつきで、その意思にかかわらずレイノルド様やグランゼイル国を害する可能性があるのだから。
レイノルド様はむくりと起き上がると、さらりとした長い髪の毛をかきあげ、大きく息を一つ吐いた。
その隙に私は布団から素早く抜け出し、二人の邪魔にならないようにとベッドの陰に膝を抱えて座り込む。
「昨日のスヴェンの苦労などなかったかのような振る舞いだな。もう片が付いたことだろう」
「スヴェンも案じていましたが、まだ無害だと断じることはできませんから。それに害意がないとも限りません。陛下がこの世の生命で最も強いお方だとしても、寝込みを襲われては万一ということもあります。共寝……いえただの添い寝だとしても看過できません。もし今後もこのようなことを続けるのであれば、陛下のその背中にスヴェンをくっつけますよ」
「邪魔だ」
「だったら前側にくっついてたそれも邪魔です」
そう言われればそれはそうだ。
そもそも竜王とは温かいとか心地いいとか暖を取る存在ではないはず。
意識のない間にしでかしたこととはいえ、反省した。
そうして身を縮こまらせる私の頭に、レイノルド様の視線を感じて顔を上げた。
目が合うと、何を思ったのか仕方ないというようなため息を一つ吐き、レイノルド様は「わかった」とベッドを下りた。
「体温も落ち着いたようだ。温めずとも死にはすまい」
熱の高さで寒さに震えていた時から、ずっと心配してくれていたのだろう。
私が何度大丈夫と言っても、死にかけていたことをわかっているからなかなか信じられないのかもしれない。
なんだか胸がぎゅっとなる。
すたすたと歩き出したレイノルド様にティアーナは少しだけ肩をびくりとさせたけれど、私をくるりと振り向き汚物を見るように睨むと、その後について部屋を出て行った。
とりあえず山に捨てられることにはならなそうだ。
また身一つで山を彷徨うのはさすがに嫌だから。
けれど。
ほっとした後の胸に、寂しさが湧いた。
生まれ育った国を追い出され、知らない国に放り出され、森で行き倒れ、心が弱っているのだろう。
だけどこれまでだって一人で生きてきたのだ。
また元のように、一人でも強く生きていけるようにならなければ。
ずっと寝てばかりいたし、完全回復とはいかないけれど、いつまでもレイノルド様に世話をされ、頼りっぱなしでいてはいけない。
城内を歩いたり、少しずつ体力をつけよう。
資料を探しに行くのも今の私にはちょうどいい運動になるだろうし、今日から頑張らなくては。
そう覚悟を決めたところに、再び扉がキィィッと開く音が聞こえて、びくりと体を縮こまらせた。
「あ~ん~た~ねえぇ~~……後で覚えてなさいって、言ったでしょ?!」
言ってた。昨日口パクでたしかに言ってた。
レイノルド様を送り出し戻ってきたティアーナは、この世の者とは思えないほど恨めしげな影を伴い、私を見下ろした。
「あんたなんて、豚にしてやるわ!!」