第十一話
初めてだった。
『滅びの魔女』について疑問を持ち、考えてくれた人は。
誰もが『滅びの魔女』だからと私を恐れ遠巻きにするばかりで、それがどんな力なのか、どのように国に影響を及ぼすものなのか、私が一人長年抱えていた疑問に向き合ってくれる人はいなかった。
レイノルド様だけは『滅びの魔女だから』で終わらなかった。
レジール国では誰も深く考えることもせず、ただ『滅びの魔女だから』『処刑』と単純な原因と結論があるだけだったのに。
何よりも、私にも誰にもわからない『滅びの魔女』の力を、恐れを、レイノルド様は笑って吹き飛ばしてくれた。
生まれた国で忌み嫌われ、追い出された先でこんな出会いがあるとは、思いもしなかった。
だから涙が止まらず、レイノルド様にまさかの方法で拭われ、頭が真っ白になっていたけれど。
気を失っていたティアーナが数秒で起き上がり私を射殺さんとするように凶悪な視線をぶつけてきて、少し平静を取り戻せた。
とりあえずレイノルド様は『人間』と『滅びの魔女』に興味を持ったようだ。
そのことは私の命を繋ぐ糸でもあり、それにすがるしかない。
レイノルド様が興味を失った途端に私は後ろの二人に容赦なく殺されるだろう。
いつの間にかレイノルド様は玉座へと戻っていて、「スヴェン」と声をかけた。
ギリギリ音が鳴るほど歯軋りをして私を射殺そうとしていたスヴェンは額に青筋だけ残して何もなかったような顔を作り、さらには「なんでしょう」と見事に慇懃な声を作った。
「まずは『滅びの魔女』の出所だ」
「……と言いますと?」
「三百年も前の言い伝えが元の形を保っているとは考えにくい。元がどんな話だったのか、追え」
「あの、それは私も知りたいです。レジール国の城に勤める叔父に頼んで言い伝えにある王妃に関する書物を探してもらっていたのですが、あまりに古い物は残っていなくて。せいぜい百年ほど前のものしか見つかっていないんです」
あまりに古い本は貴重なために閲覧できる人間が限られているのかもしれない。
「そうか。これまでにわかったことはあるか?」
「史実として確かなことは王家の系譜から件の王妃が『エラ』という名であったこと、亡くなったのがレジール暦二百六十七年であることだけです。あとは伝承や物語、舞台などはたくさんありますが、それぞれ違うところがあり、どこまでが脚色でどこまでが事実なのかもわかりません」
「まあ、そうだろうな」
わかっていたかのようにレイノルド様が相槌を打つと、スヴェンが「だから私ですか……」とため息を吐き出した。
ティアーナが興味津々というようにスヴェンを眺める。
「スヴェンのどうでもいい能力が活用されるところなんて、私、初めて見るわ」
何故スヴェンなのか。
どうでもいい能力とは。
私一人、話が見えない。
「おまえはルークが害をなす存在なのかどうか見極めたいのだろう? だったら自分の目で過去を覗き、確かめてみればいい」
「過去を、覗く?」
その言葉に驚き思わず口にすると、面白そうに口を緩めたティアーナが説明してくれた。
「スヴェンは代々のご先祖様の記憶を受け継いでいるのよ。でも膨大すぎる記憶に精神が壊れてしまわないよう、普段は蓋をしているのですって。だから知りたいことを『鍵』として探していくのだけど――」
「で、でも、この国では『滅びの魔女』のことは知られていないのですよね?」
「ええ、そうね。陛下もご存じなかったようだし」
「それなら、スヴェンさんのご先祖様の記憶を辿ったとしても情報は得られないのでは」
「ああ。スヴェンは人間の血も引いているから」
そうなのか。
それならその人や、その人に連なるご先祖様の記憶を遡ればレジール国で起きたこともわかるかもしれない。
「ルークと言いましたね。これは陛下の命令であり、この国のためであって、決しておまえのためなどではありませんからはき違えないように」
すたすたと歩き出したスヴェンに急に声をかけられ、慌てて頷く。
スヴェンは仕方なさそうに長いため息を一つ吐き出し、広間の中央でぴたりと足を止めた。
「鍵は『滅びの魔女』ですね。いえ、当時はそう呼ばれていなかったはず。もう一つの鍵として『エラ王妃』が必要でしょうね」
スヴェンは呼吸を整えるように、何度も深い呼吸を繰り返した。
何か儀式でも始まるのだろうか。
一体どんな風にその記憶というのを探し出すのだろう。
ティアーナと同じように興味津々の目を向けていると、スヴェンはティアーナを睨み、低い声を出した。
「あなたはあちらを向いていなさい。見せ物ではありません」
「はぁい」
ティアーナは不満げに唇を突き出しくるりと背を向けたけれど、その顔は笑っている。
たぶん始まってから盗み見るつもりだ。
私も怒られる前に、とスヴェンに背を向けると、再び低い声が飛んだ。
「おまえはこちらに来なさい」
「え」
いいんですか? というのも変か。
大人しく近づいていくと、少し離れた床を顎で示された。
「鍵ですからね。私が膨大な記憶に呑まれて目的を見失わないよう、そこに立っていなさい」
「わかりました」
こくりと頷くと、スヴェンは最後の悪あがきのように特大のため息を吐き出し、すっと腰を落とした。
しゃがむのかな、と思ったが。
そのまま床に手をつき、足を遠くに伸ばした。
これは、騎士団の訓練の一つだという――
「腕立て伏せ?」
思わず呟くと、後ろを向いて立っているはずのティアーナが、ぷふーっと吹きだした。
「ころしますよ?」
「はいはい、邪魔はしないわ。膨大な記憶の中を探るには無になる必要があって、その手段としての腕立て伏せなのよね? どうぞ続けて」
なるほど。一つの行動に没頭することで意思を排除するとか、そういうことなのだろう。
「馬鹿にしていますね? 私を筋肉馬鹿だと馬鹿にしていますね?」
「言ってないじゃない」
「顔が笑っている」
「顔くらい笑うわよ」
「ころす……!」
突然始まってしまった息もつかせぬ二人のやりとりにおろおろするしかできない。
「ちょっと、その『筋肉馬鹿』に過剰反応するのやめなさいよね。そもそも先祖が、遠い国の言葉から馬はバカだとか言われて、躍起になって人間や人型の獣人の血を入れたんでしょう? それで二足歩行できる脚を手に入れたんだし」
なるほど。それで人間の血も引いているのか。
レジール国では馬は賢いと言われているけれど、他の国では違うらしい。
しかし、元は馬の脚だったのだろうか。その方が力は強そうな気がするけど。
「それが何か? そのおかげで腕立て伏せだってできますが? 馬の脚のほうが走るのが速いし強いし浅い考えで人間なんかの足を手に入れたから結局損してるだなどと笑う者もいますが、先祖がどう考えどう行動したのであれ、私は自分が持って生まれたものを存分に活かしきるだけです」
「だから何も批判なんてしてないわよ」
「どうせ『眼鏡までかけて知的を装ってププーッ』とか馬鹿にしているのでしょう。これは視力を補い、侮られぬよう陛下の隣に立つ者として相応しい格好をしているだけです。そもそも筋肉馬鹿という言葉は日々己の体と向き合い、一心に鍛錬に励んできた者たちを侮蔑する言葉です。何かに時間をつぎ込み、何かを得るということ、それを役立てることは誰かに謗られるべきことではありません。今すぐ地べたに頭をつき大陸中の生命に対して謝罪してください」
「だから『筋肉馬鹿』って私が言ったんじゃないわよ」
「顔が言ってます。私は鍛えるのと同時に知識の習得に努めてきました。そのほうがより陛下のお役に立てるからです。あなたに馬鹿にされるなど心外中の心外です」
たしかに何も持っていないよりも何か持っているほうがずっといいし、スヴェンのその両面からの努力には尊敬しかない。
ティアーナも「だから言ってないってば……」と腰に手を当て息を吐き出した。
「お互いに陛下の役に立てるようそれぞれの道を歩んできたんだから、わかってるわよ。その先祖代々受け継いだ能力だって、やっと日の目を見るわけだし」
やっと、というところを強調されていたような気もするが。
スヴェンは再びこめかみをぴくりとさせながらも、深く息を吐き出し顔を前に向けた。
もう一度集中するように、何度か深い呼吸を繰り返す。
そして。
「いきます」