第十話
そういえば観察するって、何故なのだろう。
人間がわからないからというようなことを言ってはいたけれど。
食い入るようにレイノルド様を見つめるスヴェンとティアーナに、レイノルド様はこともなげに答えた。
「暇だからだ」
暇……?
「退屈しのぎだ」
あ、そうなんですねとしか言えない。
スヴェンは何を言うのかというように眉を寄せた。
「陛下、そんな戯れを!」
「面白いとは思わないか? これは俺に助けを求めていないのだ」
言われて、そうだったかな、と考える。
「かといって、殺されるとも思っていない。何が欲しいと聞いたら水と答えたのだ」
そういえばそうだったけれど。それの何が面白いのだろうか。
まだ言わんとしていることがわからないでいると、レイノルド様はそんな私をまた面白そうに見た。
スヴェンはそれを見て顔を顰めている。
「行き倒れながらにこの国を滅ぼすと言われた時点でまず興味を持った」
「私は殺意しか持ちませんでしたが」
「それは真意ではなかったが、結局言いたかったのは、ただこの国に置いてくれというだけだった。馬鹿正直に自らの謂れのない通り名まで明かした上でな」
「ただの馬鹿なのでしょう」
「ただの馬鹿なら絶対的な力を持っていると知っている目の前の存在に、自らを追いやった国を滅ぼしてくれとでも頼むだろう」
それ以上スヴェンも差し挟む言葉がなかったらしい。
レイノルド様は長い足を組み、ひじ掛けに頬杖をつく。
「誰にもできないことをできる存在に対して、誰にでもできることしか願わない。自分より圧倒的に強いとわかっている相手に対し、臆さない。面白いだろう? 次に何を言いだすのか、興味が尽きない」
言葉の尽きたらしいスヴェンに代わって叫んだのはティアーナだった。
「そんなの計算にすぎませんわ! 陛下が木の棒なんかでつんつんするから、怖い竜王だと思わず、斜め上の言動で翻弄し陛下の懐に入り込もうという生存戦略です! 古来から『面白ぇ女』の需要があるのは物語好きには知れたことですもの」
「隣国の王子の誘いに乗ってうまく利用したほうがよほど簡単だったと思うがな」
「ぐぬぬぬっ――」
もはや誰に悔しがっているのかわからないティアーナにもレイノルド様はかまわない様子で、平然としている。
ティアーナがうっかり『女』と言ったことにも特に反応はない。
たとえとして流したのだろうけれど、そもそもレイノルド様は私が男だとか女だとか気にしていないような気がする。
「ぬるい人生ではないのだ。生き抜くには計算も算段も必要だ。その結果、死にかけ朦朧としながらただこの国に置いてくれというだけなのだから、どういう考えでそれを選んだのか知りたくなるだろう? 水とパン粥しか欲しがらない奴が次に何を望むのか。日々が楽しみでならない。長い時を生きるなら、そういう奴が傍にいたほうが面白いだろう?」
「そ、それってプロポ――」
ティアーナはレイノルド様に聞かれてはならないというように慌てて自分の口を塞ぎ、ギッと私を睨む。
勝手な誤解で殺意を追加しないで欲しい。
いくらなんでも飛躍しすぎだ。
「ですが、この国に置いて、もし何かあったらどうするのです?」
「そうだ。そこも気になっている」
レイノルド様は頬杖をついたまま、どういうことかと首を傾げたスヴェンに顔を向けた。
「改めて話を聞いたが、その言い伝えというものはなんとも曖昧だ。レジールから『滅びの魔女』がいなくなったら言い伝えは起こらなくなるのか、どういう条件で起きるのかすらもわからない」
それは私もずっと調べているけれど、確かなことは何もわかっていない。
「『滅びの魔女』を追い出したのにレジール国が滅んだら面白いと思わないか? その時の国王や国民たちの顔が見てみたい」
「そんな野次馬のような」
「仮に国を滅ぼすのが本当だとして、それがどんな力なのかも気になるだろう?」
気にならないかと言われれば気になるとありありとわかる顔でスヴェンが黙り込むのを見て、レイノルド様は続けた。
「ただ予言が当たっただけというように勝手に国が滅ぶなら面白くはないがな。俺にけしかけてくる者も減って、その手も慣れすぎてつまらんばかりだ。そんな中で国をまるごと滅ぼすような力を持っている者がいるとしたら、どうやって滅ぼすのか間近で見てみたいだろう」
浮かんだ笑みはただただ楽しそうなもので、そこに悪意も他意も見えない。
「もしもその力がこの国に向けられたらどうなさるのですか!」
「おまえは俺がそれに制されると思うのか」
スヴェンははっとしたように口を閉ざし、表情を改めるとはっきりと答えた。
「いいえ」
それは。
それはつまり――。
「レイノルド様は、私がもしその国を滅ぼす力を持っていたら、それを止めてくださるということですか――?」
「ああ。そうなる時を楽しみにしている」
レイノルド様の口元に広がる笑みに、私の目からぽろりと涙がこぼれた。
「ありがとうございます――」
「なんだ? 何故泣く」
興味深げに私を見るレイノルド様に言葉を返したいのに、喉が塞がってなかなか声が出なかった。
「――レイノルド様は面白がってくれましたが、助けを求めなかったのは、誰かが私を助けてくれるなんて想像もできなかっただけのことです。だけど、ずっと、ずっと――、ずっと、誰かに『国なんて滅びない』って言って欲しかった。自分でどうにかしたくても、もう、何をしたらいいかもわからなかったから、もし私にそんな力があるのなら、誰かに止めて欲しかった」
たくさん調べた。
けどわからないことばかりで、生きながらえるだけで精一杯だった。隣国へ逃げ出す準備をするだけで手一杯で、結局それも成し遂げられなかった。
私は生きているだけで人々を不安にさせる。
国を滅ぼすと言われ、処刑を望まれ。
そんなつもりなんてなくても、何が起きるかわからない。
私だってレジール国に生きていたのだ。
滅ぶのは私だって一緒。
私だってレジール国を滅ぼしたいわけじゃないのに。
もし私が国を滅ぼすようなことがあったら、止めてほしかった。
それを、レイノルド様ならばできる。
自分にもどうにもならず、ただ不安を抱え続けるしかなかったから。
生まれて初めて、安心できた。
「何故だ? さんざん虐げられた国だろう」
「それでも、国を滅ぼすなんて私には重すぎます。背負えません」
逆の立場だったら、私も周囲と同じように『滅びの魔女』を怖がっていたかもしれない。
わからないものを不安に思う気持ちは理解できるし、私が『滅びの魔女』についていろいろと考えるのは自分がそうだからで、他人だったら深く考えもせずに言い伝えを信じていたかもしれない。
だから、レジール国の人たちに不幸になってほしいわけではない。
恨んでいないかと聞かれたら微塵もないとは言えないけれど、レジール国が滅んでしまえばいいなんて思ったことはない。
レジール国には大事なマリアだって生きているのだ。
それなのに、自分でもわからない力を持っているかもしれないことが、怖かった。
ただの言い伝えだと思っていても。
私はただ誰にも迷惑をかけずに生きたいだけなのに。
「そうか。おまえが望むのなら、国は無事なまま残してやろう」
そう言われて改めてほっとして新しく涙が流れた。
どこにもなかった『大丈夫』が、ここにはある。
持て余し続けていた自分の存在を、初めて許せるような気がして。
ただただ涙が止まらなくて、しゃくりあげている私の頬に、冷たいものがふと触れた。
驚いて目を見開くと、そこにはレイノルド様がこちらを覗き込む姿があった。
「人とはこんなことで泣くものなのか」
レイノルド様は私の頬に流れる涙を拭うと、その指をぺろりと舐めた。
「陛下!」
ぎょっとしたように声を裏返すスヴェンにかまわず、レイノルド様は淡々と「しょっぱいな」と濡れた指先を眺めた。
レイノルド様の背後でティアーナがふらりと倒れ込むのが見えたけれど、私もそれどころではなかった。
「な、ななななな、ななななななな」
レイノルド様は楽しそうに笑った。
「な? 面白いだろう。しばらくは飽きんな」
全然おかあさんじゃない。