第九話
あの日、外から鍵をかけられた部屋の中でこの先のことを考えていると、ドアがノックされた。
「はい……?」
私には鍵を開けられない。
だから『どうぞ』と言う立場になく、どう応えたらよいものか戸惑いながらとかく返事をすると、いきなり「君、助けようか?」と男の声が返った。
は? と声にも出せず、思わず黙り込む。
――誰。
顔も見えない。声も聞き覚えがない。
声から同年代くらいだろうかと察することはできるけれど、閉じ込められた人間にそんな声をかけるのがどの立場の人なのかさっぱり見当もつかない。
そもそも相手は私が誰かわかって言っているのだろうか。
いやわかっていなかったらそんなことは言わないだろう。
いやいやわかっていてそんなこと言う??
だが戸惑っていたのは私だけではないようだった。
「殿下、そのようなこと――! 城の騒ぎを聞いたでしょう」
先ほどとは違う声が、焦ったようにぼそぼそと声を抑えながらも言い募るのが聞こえた。
殿下、ということは王子?
だけどこの国の人じゃない。
最初の呼びかけはこの国の言葉だったけれど、思わずというように喋り出した言葉はドゥーチェス国のものだ。
どうせ私には隣国の言葉などわからないだろうと油断したのかもしれないけれど、ドゥーチェス国に逃亡する予定だったから祖父母と生活するときは週に二日、ドゥーチェス国の言葉で会話するようにしていたから問題なく聞き取れる。
殿下と呼ばれた人は、それを無視するようにレジール国の言葉で私に向かって再び声を掛けた。
「大丈夫。私と一緒にドゥーチェス国へ行こう」
「いえ、おかまいなく」
私の答えに、相手はしばらく黙り込んだ。
そして戸惑った声が返った。
「え? なんで?」
いや、そんな怪しい誘いに乗るわけがない。
城の騒ぎを聞いたということは私が『滅びの魔女』としてここに連れて来られたことは知っているはずだ。
従者だろう人が止めようとしていたし。
その上で私をドゥーチェス国に連れて行こうとするのはなぜか。
いろんな考えの人がいるだろうし、ただのお人よしで見捨てておけないと思う人もいるかもしれない。
だけど国を背負う王子という立場の人間となると、慎重に考えざるを得ない。
もしその場の思い付きで言っているのだとしたら、そんな無責任な話はない。
王子が連れ帰るとなれば国王の知るところとなるわけで、そんな怪しいもんは拾った場所に返してこいと言われる可能性は高いのだから。
下手をしたら、王子に取り入ってドゥーチェス国を滅ぼしに来たと思われてその場で切って捨てられる可能性だってある。
仮にこの王子が国王の許可を得ているとしたらさらに地獄だ。
計画的であることは間違いないし、わざわざいわくつきの隣国の貴族を連れてくるなんて、国益がなければ了承しないだろう。
『滅びの魔女』なのだから何か特別な力があるかもという狙いがあったとしても、その場合は何の力もないとわかったらリスクでしかないこんな存在は即刻始末されるに違いない。
一番怖いのは、戦争が起きることだ。
私が勝手にドゥーチェス国に逃げ込んだことにして、『国を滅ぼす魔女を送り込むとは!』とレジール国に攻め入る口実とするかもしれない。
そういうことを考えて、祖父母は私の素性は明かさずドゥーチェス国に連れ出すつもりだったし、世話になる伝手を探していたのも王家とは縁遠いような家だった。
国というものが絡むと、とかく厄介だ。
大勢を巻き込みたくはない。
レジール国に恩を感じているわけではないけれど、どうせ自分が死ぬにしても、後味が悪いような死に方はしたくない。
「考えなしの無責任も嫌ですし、利用されるのも嫌ですし」
この国に捨てられたのを拾ってくれたからといって幸せになるわけじゃない。
というか、むしろそんなものを拾うには拾うだけの理由があるはずだ。
顔も合わせていないのだから一目惚れというのはまずないし、同情されたにしても王子という立場でその場の感情だけで連れ帰ろうという判断をしているのがまず怖い。
「こんなところにいたら、殺されてしまうかもしれないのに」
脅しがきた。
これは利用されるやつだ。
こんな言い方をする人が信じられるわけがない。
っていうか無責任も利用も否定しないんだ。
「もちろん死ぬのは嫌ですが、どう生きるかというのも人生において大事なことですので」
結局のところ、逃げられないとしたら私が生き延びるには国家の中心部と話をするしかない。
その機会が、この先にあるはずなのだ。
死刑を決めるのは司法。
法に照らし合わせ、死刑にすべきか話し合われるのだけれど、本人も同席するのだ。
結論が言い渡されると、最後に発言の機会が与えられる。
多くは反省の弁を述べ、減刑を願うらしいと城勤めの叔父から聞いた。
その時に私はこれまでの疑問をぶつけるつもりだ。
何を根拠に私を『滅びの魔女』とするのか。言い伝えなんて形を変えてしまうものではなく、しっかりとした根拠を示してほしい。
私が『滅びの魔女』だとして、何を根拠に私がこの国を滅ぼすと起きてもいないことを断罪するのか。
私の死こそが国を滅ぼす鍵となっているかもしれない。そうはならないと言い切れるか。
言い伝えを根拠に死刑にしただなんてことが近隣諸国に知れたら、なんて前時代的なのかと笑われ、侮られるかもしれない。
そのことがレジール国が他国から攻め入られるきっかけとなるかもしれない。
どこまで聞いてもらえるか、刑が覆ることがあるのかはわからない。
けれど、どこまで逃げていても『滅びの魔女』として死を求められ追いかけられ続けるのは苦しい。
それなら一度、誰かに答えてほしかった。
私が死ななければならない理由を。
その意思も力もなく、犯してもいない罪をもって死刑にされる理由を。
・・・◆・・・◇・・・◆・・・
推定ドゥーチェス国の王子には不審しか抱かなかった。
けれど私はグランゼイル国の王であるレイノルド様の手を素直に借り、今でも感謝しかない。
同じ国を背負う立場なのに、全然違うといまさらながらにしみじみ思う。
「攫ってくれるって言ってる王子の手を取らないとか。人間て王子様大好きなんじゃないの?」
そう言いながらティアーナは小さく「まあ、私は自分でそんな城ぶっ壊して出て行くけど」と呟く。
それができるならなんともかっこいい。
「一般にはそうかもしれませんが。国に邪魔者扱いされている人間を善意だけで逃がす王族なんて怖すぎますよ」
「それでレジール国はどうしたんだ?」
レイノルド様に促され、私は話を続けた。
ドゥーチェス国の王子と従者らしき二人の気配がなくなってからしばらくして、突然鍵を開けて一人の男が台車と共に部屋に入ってきた。
その男は黒い髪を綺麗に撫でつけ、いかにも文官というような恰好をしていたけれど、その灰色の瞳は鋭く、動きもきびきびしていてただ者とは思えなかった。
男は何も言わずに私に布をかぶせるとひょいと横抱きにして台車に乗せ、部屋の外へと連れ出した。
そうしてまったく何もわからないまま馬車に乗せられ、気づけば竜王の森の中にいた。
御者は私を馬車から身一つで下ろすと、くるりと方向転換して走り去っていった。
途中までは他に馬の足音も聞こえていたのに、その姿もどこにも見当たらなくなっていた。
完全に一人になっていた。
「それで何故森に? 目的は何なのです?」
スヴェンに不機嫌な声で問われ、答えに困った。
「それははっきりとはわかりませんが、結局、レジール国としても私の扱いに困ったのだと思います。竜王の森で野垂れ死ぬならばそれでいい。生き残ったにしても、レジール国には戻れません。再び捕らえられるだけとわかっているわけですから。となれば、レジール国にはもう被害は及ばないし、『滅びの魔女』に煩わされることもなくなる、と」
私の推測を聞いて、ティアーナがちっと舌打ちをした。
「傍迷惑な国だこと。私が滅ぼしてやろうかしら」
「ゴミを勝手に他国に捨てるなど、ケンカを売っているということですからね。私も手を貸しましょう」
ゴミ。
ひどい言われようだけれど、グランゼイル国からしてもレジール国からしてもそういう存在が『滅びの魔女』なのだ。
スヴェンは忌々しげに眉を歪めて、レジール国にどう仕掛けるかと一人盛り上がっていたけれど、レイノルド様に「うるさい」と静かに一喝され口を閉じた。
「レジールを滅ぼすのなんぞいつでもできる。捨て置け」
「ですが!」
「俺はこれを観察することに決めたからな。殺すのもなしだ」
「陛下!? なぜこんな置いておいても害しかない子どもを」