60
二人の醸し出す殺気は尋常ではなく、店にいる人々のほとんどがこちらに注目して青白い顔で固まっていた。
どうにかしないと…
僕がオロオロとしていると、ダンっとテーブルを叩く音が後ろの方から聞こえた。
「もうっ!なんなの!こんな場所で殺気を撒き散らすなんて!どこの誰だよ!」
そう言ってズカズカとやってきたのは私服姿のフィル君と、エミールさんだ。
フィル君は僕たちを見て、一瞬驚いたような顔をして、その後に怪訝そうに眉をひそめた。
「は?そこにいるのは団長とイアンさんじゃん。あとレイ君にアーサーもいる。みんな揃って何やってんのさ」
フィル君の登場にヴィンスさんは明らかに嫌そうな顔をし、イアンさんは気まずそうに視線を逸らした。
「お前、うるさいからどっか行って」
ヴィンスさんのその言葉にフィル君は顔を険しくさせた。
「はあ?!なんでだよ?!っていうかお前!昨日僕を王都から遥か遠くの森に飛ばしただろ!謝れ!」
ヴィンスさんはまるで聞こえなかったかのように無表情だ。
「おい!無視すんな!」
「レイ、イアンと一緒にフィルも殺していい?」
あ、また発作が!僕が止めないと!
「あの、殺すのはダメです」
「…でも、うざい」
「うざくてもダメです」
「…わかった」
よかった…わかってくれた。ヴィンスさんはとても素直でいい人だ。
「おい、兄貴、こいつらに構う必要ねぇよ。こいつらは頭がおかしいから、視界に入れないのが一番だ」
「しかし、ヴィンセントはお前に殺気を向けた。許せない」
「お前の弟がレイをいじめるからでしょ」
「なんだと?」
再び殺気をぶつけ合う二人を見て、フィル君は怒ったように言う。
「だから二人とも喧嘩しないでよ!店に迷惑でしょ!!ほらっ!エミールさんも黙ってないでなんか言ってよ!」
それまでフィル君の後ろで気配を消していたエミールさんはフィル君に呼ばれて焦ったような顔をした。
「へ?…え、えーと…その〜…」
そう言いながら、エミールさんは絶対にヴィンスさんとイアンさんに目線を合わせてたまるかと言わんばかりに下を向いていた。…エミールさん…
「もうっ!情けないな!ビシッとしなよ!ビシッと!!」
フィル君に強めにそう言われてエミールさんは渋々フィル君の後ろから出てきた。そしてコホンと咳払いをした。
「…アーサー、レイ君、なんとかこの場を収めなさい。私では無理です」
早口でそう言ってエミールさんはコソコソとフィル君の後ろに隠れた。
え?僕とアーサー君に丸投げ?エミールさんってそんな人だったっけ?もっと厳格で、リーダーシップがあって、トラブルがあったら真っ先に仲裁してくれる頼もしい人だった気がするけど…
それに収めるってどうすればいいんだ?前にヴィンスさんとフィル君が喧嘩した時には握手を勧めたけど、あまり上手くいかなかったし…
そう考えながら卓上を見ると、ヴィンスさんのドリアがあと少しだけ残っているのが見えた。
…あ!場を収める案が思いつかないなら、ドリアを早く食べ終えて、お店から出ればいいんじゃないか?そうすればアーサー君の望みも聞けるし、丸く収まりそうだ。それにドリアも早く食べないと冷めてしまいそうだし…
「あの、ヴィンスさん、ドリア冷めちゃうかもしれないので、食べたほうがいいです」
僕がそう言うと、ヴィンスさんはイアンさんから視線を外し、僕を見た。
「うん。わかった」
そして僕とヴィンスさんは席につき、ヴィンスさんは残っているドリアをすくいあげ、僕の口の前まで持ってきてくれた。
「はい。あーん」
僕は反射的に口を開けてしまった。ああ、美味しい…
すると隣からイアンさんの声が聞こえてきた。
「アーサー、俺もあれやりたい」
アーサー君の怒り狂う声も聞こえる。
「おい!お前ら!兄貴に変なもん見せんなって言ってんだろうが!」
なぜかフィル君も僕に詰め寄ってきて怖い顔をしていた。
「レイ君、今のは何?何なの?!」
その勢いに僕は戸惑ってしまう。
「え?えっと…あーんしただけだけど…」
「あーん?!そんなの僕だってしたことないのに!なんでこいつとはやんのさ!」
「あ…ご、ごめんね」
僕が困惑しつつ謝っていると、ヴィンスさんがフィル君を鼻で笑った。
「お前より僕の方がレイと仲良しだから」
「はあああ?!」
「レイとは間接キスもしたし」
その言葉を聞いてフィル君はもともと大きな目を極限まで見開き、フリーズした。え?大丈夫かな?
でも間接キスってなんだろう?そんなのした覚えないけど…
あ、そうか。確かに…いつもあーんする時は、僕が一口食べたものをあげてる気がする…ヴィンスさんはいつも真っ先にくれるのに、僕は自分のことしか考えてなくて、口をつけた料理をあげていた。…僕ってとても失礼なやつだったんだな…
「あの、ヴィンスさん。すみません。僕いつも口つけたものをヴィンスさんにあげちゃってて…嫌でしたよね…」
するとヴィンスさんは首を横に振った。
「ううん。僕はその方が嬉しいよ」
やっぱりヴィンスさんは優しいな…普通、僕の唾液がついた料理なんて気持ち悪くてたまらないのに、これまで文句も言わず食べてくれてた上に今もこうして許してくれる…
「あ、あの!でも僕、これから気をつけるので…」
僕が必死にそう言うと、ヴィンスさんは少しだけ眉を寄せた。
「気をつけなくていい」
「え?」
「気をつけなくていいよ。僕レイとキスできるの嬉しいから」
え?そうだったの?…僕もヴィンスさんとキスできるのはすごく嬉しいけど…
でもそれはヴィンスさんが優しくてかっこいい人だからであって、僕みたいな気持ち悪いやつと間接キスなんて嫌なんじゃないか?
「あの、気を遣っていただかなくても…嫌なら嫌って言ってください」
僕が勇気を出して言うと、ヴィンスさんは不思議そうに首を傾げた。
「嫌じゃないよ。可愛いレイとキスできるのは幸せ」
あ、そうだった。そういえばヴィンスさんって美的感覚壊死してるんだった。まあ、でも、ヴィンスさんも嫌がってないなら、問題ないのかな?
その時、それまで固まっていたフィル君が、思い出したように叫んだ。
「か、か、か、間接キッスぅぅ?!!」




