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イアンさんは節目がちになりながらも、小さく口を開いた。
「…知り合いにここの料理は美味しいと言われたから…来てみたかった。迷惑だったか?」
「…いや、迷惑とかではないけど、どんな風の吹き回しだよ。二人で外食なんて今までしたことなかったじゃねぇか」
アーサー君は訝しむようにイアンさんを見つめていた。
「アーサーとは最近あまり話す機会が無かったから、話したいと思ったんだ。それで、食事でもどうかと思って」
「…そうか」
「ああ」
そうして、二人の会話は途切れた。アーサー君は少し気まずそうに卓上の飲み物に手をつけ、イアンさんは表情がだいぶ固い。
「………」
「………」
そうして数分、無言の時間が続いた。その間にアーサー君は段々とムスッとし始め、イアンさんは終始落ち着かない様子で、膝に置いた手をいじっていた。
…なんか大丈夫かな?
そんな沈黙が続いて数分、とうとう耐えられないと言うようにアーサー君が大きく息を吐いた。
「一体なんなんだよ?話したいとか言っといて、全然喋らねーじゃねえか!」
苛立った様子でそう言ったアーサー君を見て、イアンさんは焦ったような顔をした。
「あ…いや…その、緊張してて…すまん」
尻すぼみになっていく言葉と共にイアンさんの顔はどんどん曇っていった。反対にアーサー君は怒ったように眉を吊り上げている。
「誘ったのは兄貴だろ?話すことが無いなら俺はもう行くぞ」
そう言って立ち上がろうとするアーサー君をイアンさんは焦った様子で引き止めた。
「ある!話したいことはあるんだ…」
そう言うイアンさんをアーサー君はギロリと睨みつけた。
「だったら早く言えよ。いい歳してモジモジしてんじゃねえ」
「…わかった」
イアンさんは意を決したように、懐からメモ帳を取り出し、ペラペラをページをめくった。その様子をアーサー君は眉を寄せて見ている。
「じゃ、じゃあ行くぞ」
「え?あ、ああ」
アーサー君は戸惑いつつも頷いていた。
「まず、俺のアーサーの好きなところは努力家なところだ。お前はいつも誰よりも努力しててすごいと思う」
「…は?なんだよ、いきなり」
いきなり脈絡のないことを告げられ、アーサー君は眉間に皺を寄せた。しかしイアンさんはメモ帳を見ていて気づいていない。
「次に、しっかりしててリーダーシップがあるところだ。俺は人を引っ張る力は無いから尊敬している」
「は?だから何言ってんだ?」
さらに眉間の皺を深くするアーサー君に気づかずにイアンさんは続ける。
「あとは少しやんちゃなところもかっこいいと思う。お前は少し言葉遣いが乱暴な時があるが、そういうところも魅力的だ」
「ちょっ、おい、待てって」
アーサー君が制止しようとしても、イアンさんはメモを読むことに一生懸命で気づかなかった。
「あとは、優しいところも好きだ。お前はいつもツンツンしているが、俺が本当に弱っている時はさりげなく優しくしてくれる良いやつだ」
「…おい」
「最後に、可愛いところだ。お前は世界一可愛い。俺の自慢の弟だ」
「……」
早口でそう捲し立てたイアンさんに、アーサー君は大いに戸惑っていた。しばらく瞬きを繰り返し、何か言おうとしてはやめていた。そしてひと呼吸置いた後、イアンさんをまじまじと見つめて言った。
「…兄貴、頭大丈夫か?」
「ああ。大丈夫だ」
イアンさんは努めて真面目に答えた。そんなイアンさんを見て、アーサー君は疲れたようにこめかみを押さえた。
「…もう、なんなんだ?なんでいきなり、俺のことを褒めたりしたんだ?全く意味不明なんだが」
その疑問にイアンさんは真面目に答える。
「…ある人に、人と仲良くなるにはその人のことを褒めるといいって言われたからだ」
あ、それ、僕だ。
「俺はアーサーと仲良くなりたかったから、その人のアドバイスを参考にアーサーのことを褒めてみた」
大真面目な顔でイアンにそう言われたアーサー君は複雑そうな顔をしてしばらく固まった。
「…兄貴って俺と仲良くなりたかったのか?」
「ああ」
淡々と頷いたイアンさんを見て、アーサー君は怪訝そうに眉を顰めた。
「は?なんで?今までろくに話しかけても来なかったじゃねーか」
「それは、アーサーが俺を避けてるみたいだったから、話しかけづらかっただけだ。本当は話したかった」
「…そうだったのか?」
「ああ」
その言葉を聞いて、アーサー君は驚いたような顔をして、その後に複雑そうな表情を浮かべた。
「…そうだったんだな」
「うん」
アーサー君は少し黙り込み、気まずそうに視線を逸らした。
「…いや、なんか、俺はてっきり兄貴は俺のこと興味ないのかなって思ってたから、正直今驚いてる」
「そんなことない!俺はお前のことが大好きだ」
困惑気味のアーサー君に、イアンさんは珍しく強い口調でそう言った。
「そう…だったのか」
「ああ、俺はお前のことが昔から大好きだ。大切な弟だと思ってる。俺のせいで辛い思いを沢山させて、お前が俺を嫌うのは最もだと思うが、それでも俺はお前と仲良くしたいんだ」
アーサー君を真っ直ぐ見つめるイアンさんの視線を受けて、アーサー君は居心地悪そうに顔を逸らした。
「…別に兄貴のせいだなんて思ってねぇよ」
その言葉を聞いてイアンさんは驚いたように目を見開いた。
「アーサー…」
そしてアーサー君は顔を上げてイアンさんを強く見つめた。
「俺も別に兄貴のことが嫌いなわけじゃない。だから、これからは仲良くしてやってもいいぜ」
その言葉を受けて、イアンさんはパッと顔を輝かせた。
「ほ、本当か?」
「まあ…」
「ありがとう!」
イアンさんは嬉しそうに微笑んだ。アーサー君はイアンさんの笑みを見て、一瞬驚いたように固まった。そして「兄貴、そんな感じに笑えたんだな」とボソッと呟いた。
僕はそんな二人を側から見て、ホッと息を吐いた。
最初はどうなることかと思ったが、二人が和解できてよかった。
そうしてヴィンスさんに目を向けると、ヴィンスさんは表情を無にして僕をじっと見つめていた。その目には何の光も無く、僕は少し怖いと思ってしまった。しかし、すぐに優しい目になって僕に微笑んでくれた。
「あ…あの、すみません。待たせちゃって」
若干ビクビクしながらそう言うと、ヴィンスさんは大して怒った様子もなく、首を横に振った。
「ううん。いいよ。それよりレイ、何食べる?」
ヴィンスさんの様子に一安心して、僕はヴィンスさんが僕の方に向けてくれたメニュー表を見た。
「あ…えっと、じゃあ3種のチーズクリームパスタ…あ、でもチーズたっぷりドリアもいいかも…でもチーズクリームパスタにします」
ヴィンスさんを待てせてはならないと思い、僕は即決した。
「そんなに急いで決めなくてもいいよ。ドリアじゃなくていいの?」
「あ、はい。大丈夫です」
本当はドリアも食べたいけど、迷ってたらキリがない。
「…わかった」
そう言ってヴィンスさんは頷いた。
「じゃあ魔法解除するね。このままだと店員に気づかれないから」
「あ、はい」
そうしてヴィンスさんは幻影の魔法を解除した。そして呼び鈴を鳴らすと、すぐに店員さんがやってきた。店員さんはヴィンスさんを見るとポッと頬を赤く染めて、しばらく見惚れていた。
「注文したいんだけど」
ヴィンスさんの声にハッと我に帰った。
「は、はい!失礼いたしました。ご注文は?」
「3種のチーズのクリームパスタとチーズドリア一つずつ」
え?ドリア?
「かしこまりました!」
そう言って店員さんは戻って行った。
「あの、ヴィンスさん、ドリアって、もしかして僕のために…」
ヴィンスさんは優しいからきっと迷ってた僕を見て注文してくれたのかも…そう思って聞いてみると、ヴィンスさんは眉を下げて言う。
「僕も食べたいなって思ってたから」
「あ、そうだったんですか?」
よかった…僕のために無理して選んだとかではないみたいだ…
「うん。でもせっかくだから一口食べる?」
「え?いいんですか?」
食べられるものならぜひ食べたい。
「うん。いいよ」
ヴィンスさんは天使だ。あんな美味しそうなドリアを分けてくれるなんて…。
「あ…じゃあ、僕のパスタも食べてほしいです」
「うん。ありがとう」
ヴィンスさんは優しく微笑んだ。やっぱりヴィンスさんは優しくてかっこいいな…
そうして少し待つと料理が到着した。
「ああ、いい香り…」
チーズの香りが食欲をそそる。
「じゃあ食べようか」
「はい!」
僕はチーズクリームパスタを一口食べた。
ああ、美味しい…
チーズは濃厚で、パスタはもちもちしてて、ホワイトソースのクリームもなめらかで、全てが完璧だ。
美味しすぎる。ほっぺが溶けそうだ…
「レイ、ドリアもあるよ。はい、あーん」
僕は反射的に口を開けた。ドリアも美味しい…もっと食べたいな…
「あーん」
僕はまたしても反射的に口を開けた。二口目も美味しすぎる…
「まだあるよ。あーん」
やっぱり美味しい。チーズはとろとろだし、ライスは美味しいし、なんかもう最高だ…
ん?なんかおかしい気がする…え?僕三回もあーんされたような…
「レイ、あーん」
ああ、美味しい…
「レイ、あーん」
やっぱりそうだ…。僕はヴィンスさんにあーんされてた。僕は五口目を食べそうになったところでハッと我に帰った。
「あの、僕、四口も食べちゃいました。すみません」
「いいよ。もう一口食べる?」
貴重なドリアを四口も食べてしまったというのに、ヴィンスさんは怒った様子はない。やっぱり天使だ…
でも流石に五口行くのは申し訳ない…
「それは申し訳ないです」
「そう?」
「はい」
そして僕もパスタを巻きつけて、フォークの柄尻をヴィンスさんに向けて差し出した。
「あの、僕さっき口つけちゃったんですけど、それでも良ければ…」
「うん。ありがとう」
しかしヴィンスさんは僕の差し出すフォークをじっと見つめるだけで口を開けてはくれなかった。
これは…前にもあったような…そう思って僕は恐る恐る言う。
「え、えーと、ヴィンスさん、あーん」
するとヴィンスさんは目を細めて満足そうな顔をして、口を開けてくれた。ヴィンスさんの綺麗な口に僕のパスタが入っていった。
「あの、どうですか?」
「あーんしてくれるレイが可愛いかった」
「あ、それは…ありがとうございます」
「うん。もう一回やってほしい」
「え?あ…はい」
僕は照れつつも、もう一度パスタを巻きつけて慎重にヴィンスさんの口に運ぶ。
「あの、あーん」
するとヴィンスさんは再び口を開いて食べてくれた。
正直、あーんをするのは恥ずかしいけど、ヴィンスさんが嬉しそうな顔をしてくれるのはとても嬉しい。
そうして僕は何回かヴィンスさんにあーんをしつつ食事を楽しんだ。




