05
少しするとキッチンからいい匂いが漂ってきた。アップルパイを温めてくれているのだろう。そしてさらにしばらくしてリンダさんがアップルパイを運んできてくれた。そしてそれを机に置き、切り分けてくれる。
「はい、食べて食べて」
目の前に置かれたアップルパイは香ばしい匂いが漂い、とても美味しそうだ。
「うわぁ、美味しそう。いただきます」
アップルパイはすごく美味しかった。外の生地はサクッとしていて、中の果肉はプリッと甘い。あまりの美味しさに一口では飽き足らず、二口、三口とパクパク食べる。
「やばい、美味しすぎる。ほっぺが溶けそう…。ヴィンスさんもそう思いますよね?」
隣でアップルパイを口に運んでいるヴィンスさんに同意を求めると彼は頷いた。
「うん。とても美味しい」
そう言う僕たちにリンダさんは嬉しそうに笑った。
「ははっ、そりゃよかった。腕によりをかけて作ったかいがあったよ」
「本当にありがとうございます。こんな美味しいものを」
「いやいや、レイ君には本当にお世話になってるからね。ほんのお礼さ」
「いや、お世話になんて大袈裟です」
恐縮する僕にリンダさんは優しく微笑んだ。
「レイ君には本当に感謝してるのさ。ほら、あたしゃ年寄りだし、加えて最近は腰の調子も悪くてね。だから力仕事とかあんまりできなくなってきてんだ。それで何回か騎士団に依頼を出してるんだけどね。レイ君はどんな依頼でも嫌な顔せず一生懸命にやってくれるだろ。それが嬉しくてね」
「い、いえ、そんな。僕は依頼をこなしてるだけで…」
「いやいや!だってローレンス騎士団って言ったらエリート様の集まりだろう。そんなところに勤めてる人にこんな雑用みたいなことをさせて、結構申し訳なく思ってるんだ。…でもあたしゃ独り身で、身近に頼める人もいなくてね。騎士団くらいしか頼れるところがないんだ。でもレイ君はいつも笑顔で引き受けてくれる。それに依頼だけじゃなくあたしとのたわいもない話にもニコニコと付き合ってくれて、あたしゃすごく元気をもらってるのさ」
そう優しく微笑むリンダさんに僕は胸が熱くなった。やっぱり仕事を一生懸命やってよかった。こんな僕でもリンダさんに元気を与えることができてるんだ。
「…ヴィンスさん」
感動して少し涙目になった僕は隣にいたヴィンスさんを思わず見た。
「よかったね。レイ」
そんな僕にヴィンスさんは優しく微笑み、僕の頭を撫でてくれた。
「っはい!」
僕は照れながら控えめに笑うと、ヴィンスさんも頷いてくれた。ヴィンスさんに頭を撫でられるのは二回目だけどすごく心地がいいな。
そんなことを思っていると、リンダさんが少し眉を下げた。
「…本当にレイ君には感謝してるんだ。…実はレイ君の前に来てもらった騎士には結構きつい態度を取られてね。こんな雑用で騎士団に依頼なんか出すなって。確かにその通りだと思って、あたしも可能な限り自分でやろうと頑張ったんだけど、限界があってね。…それで仕方なくまた騎士団に依頼を出したんだ。…でもその時は結構不安だったんだ。また嫌な顔されたらどうしようって」
その言葉に僕は少し驚いた。
「そんなことが」
…確かに、騎士団は一般的にエリート志向の人が多く、民間からの小さな依頼を雑用だと言って嫌がる人は多い。それで僕の部署にそんな依頼が押しつけられてくる。でも僕は依頼に大小はあっても優劣は無いと思う。困っている人がいるなら助けることが騎士団の使命だ。でも僕みたいな考え方の人は騎士団では少数派だ。だから、リンダさんのような依頼に嫌な顔をする人がいるのは仕方ないのかもしれない。僕も事実、雑用係って馬鹿にされてるし…
「でもその時来てくれたのがレイ君だった。レイ君は前の人とは違って親身にあたしの話を聞いてくれた。それで依頼した仕事も文句一つ言わずにやってくれただろう。それがあたしはすごく嬉しかったのさ。…だからレイ君、本当にありがとね」
普段は陽気なリンダさんが穏やかに微笑んだ。
「はい!僕でよければこれからも何でもお手伝いするので、困ったら言ってくださいね」
明るく言う僕にリンダさんは眉を下げて微笑んだ。
「あぁ、助かるよ」
話がひと段落すると、僕は残りのアップルパイを食べ進めた。本当にすごく美味しくて、僕はまだ昼食を食べたばかりだというのにあっという間に平らげてしまった。
そして美味しさの余韻に浸っていると、不意にヴィンスさんから話しかけられた。
「レイ、こっち向いて」
その声に隣を向くと、ヴィンスさんの指が僕の口元あたりへとあてられた。
「ついてる」
そう言って僕の口元についたパイをとると自分の口元に持って行った。その様子を見て僕は一瞬フリーズする。
えっ、今何が起こった?僕の口についたアップルパイをヴィンスさんがとってくれて、…そのまま食べた?その光景を理解すると何故か僕は猛烈に恥ずかしくなり顔が真っ赤になる。しかしヴィンスさんはそんな僕の様子を気に留めず、涼しい顔で言った。
「おいしい」
そんなヴィンスさんの行動に僕は耐えきれなくなった。
「な、何してるんですか!」
「ん?レイの口にパイがついてたから、おいしそうだなって思って食べただけ」
「えっ、いや、はっ、おいしそう?」
「うん」
「…あ、そうなんですね」
あ、そうか。おいしそうだったのか。確かにヴィンスさんのアップルパイは既に無くなっているし、もしかしたら足りなかったのかな。それで僕の口についているパイがおいしそうに感じて思わず食べちゃったんだな。意外とヴィンスさんって子供っぽいところもあるんだな。そんな風に無理やり納得しているとリンダさんが言った。
「…あんたたち、仲いいねえ。ほら、まだパイはあるから、よかったら食べておくれ」
そうだ。まだパイはあと一つ残っていた。でも僕はヴィンスさんに譲ろうと決めた。さっき、僕の口元のアップルパイを思わず食べてしまったのも、量が足りなかったからだろう。
「あの、ヴィンスさん、アップルパイ食べてください」
そう言う僕にヴィンスさんは首を傾げた。
「君はもういいの?」
「はい。僕はだいぶお腹が満たされましたから。…すごく美味しかったのでもう少し食べたい気持ちもありますけど、さすがにあと丸々一個は入りそうにありません」
「そう。じゃあちょっと食べる?」
「えっ」
「まだ食べたいんでしょ。一口いる?」
「いやっ、僕に気を使わなくていいですよ。ヴィンスさんが食べちゃってください」
「そう?わかった」
ヴィンスさんは残ったアップルパイを食べ始めた。ヴィンスさんが食べ進めている間にやっぱり一口貰っておけば良かったと後悔した。確かにだいぶお腹は満たされたけど、欲を言うならあと二口くらいは食べたら満足できただろう。そんなことを考えながらヴィンスさんが食べ進めていくのを見ていると、ヴィンスさんは不意に、フォークで切り分けたアップルパイを僕の口元へと向けた。
「はい。あーん」
その突然の行為に僕はつい反射的に口を開いてしまった。
口の中に入れられたパイはすごく美味しかった。あぁ幸せだ。欲を言うならもう一口は食べたいな。そんなことを考えて、はて?と気づく。あれっ?今、僕ヴィンスさんにあーんされた?えっ?えっ?
混乱している僕の口元にまたフォークが向けられた。
「はい。あーん」
「えっ?」
今度は驚いて開いた口にパイが差し込まれた。あぁすごく美味しい。
…いやっ、そうじゃない!
「あ、あの、今、あーんって…」
「うん。君が食い入るように見てたから。食べたいのかなって」
あ、ばれてた。そっか、食い入るように見てたのか。自分の行動に恥ずかしくなって一気に顔に血がのぼる。
「あ、すみません。行儀悪くて」
ばつが悪そうに言う僕にヴィンスさんは微笑む。
「ううん。もう大丈夫?もっといる?」
「…いや、もう満足です。あとはヴィンスさんが食べてください」
「そう。わかった」
一連の光景を見ていたリンダさんは面白いものを見るような顔をしている。
「二人ともお熱いねえ」
その言葉の意味はよく分からなかったが、そんな僕たちをリンダさんは微笑ましいものを見るように生温かい視線を向けていた。
僕たちはパイを食べ終え、リンダさんにアップルパイをご馳走になったお礼を言った。そしてリンダさんに玄関まで見送られて、リンダさんの家をあとにした。
僕とヴィンスさんは騎士団校舎に戻るための道を歩いた。するとヴィンスさんが口を開いた。
「レイはこれから騎士団に戻って何するの」
「あ、えっと、僕は一旦今日の件の報告書をまとめようかなって思います。でも、想定よりもすごく早く終わったから、後で射撃場に行こうかな…」
「射撃場?」
「あ、はい。前に僕、魔法銃撃てなくなっちゃったって言ったじゃないですか」
「うん」
「でも射撃の練習だけは定期的に続けてて。人を撃つことが出来なくなっただけで、的なら大丈夫なんです。だから僕のトラウマがいつ治るのかはわからないけど、訓練は続けておこうと思ってて」
「そう」
「はい」
そう言う僕にヴィンスさんは優しく微笑んでくれた。あぁ、美しい。
「あの、ヴィンスさんはこれからどうするんですか?」
僕は騎士団校舎に戻るけどヴィンスさんはどうするんだろうと思って聞いてみる。
「僕も家に帰るよ」
「そうですか」
そうしてしばらく歩くと、僕たちは騎士団校舎の近くまで来た。そして別れ道でヴィンスさんが立ち止まった。
「僕はここで曲がるから」
「あ、そうなんですね。…あの!今日は本当にありがとうございました。すごく助かりました」
そう言う僕にヴィンスさんは優しい笑顔を向ける。
「ううん。僕の方こそありがとう」
僕たちが別れようとしたときに、ふとヴィンスさんが何か思い出したかのようにコートのポケットに手を入れた。そしてそこから、昨日僕が貰ったチョコレートを出した。そして丁寧に包みをはがす。
「はい。あーん」
そして僕の口にチョコレートを入れた。
「射撃の練習頑張ってね」
そう言ってヴィンスさんはにこっと微笑んだ。
「ふぇっ、あ、はい。ありがとうございます」
「じゃあ、またね」
本日三回目のあーんに気をとられている僕をよそにヴィンスさんは去っていった。…うん。やっぱりこのチョコレートは美味しい。それにしてもかっこいい人のあーんってすごい破壊力だよな。一回一回のインパクトがすごい。
…しかしヴィンスさんはあーんが好きなんだろうか。あーんなんてラブラブな恋人同士がするものだと思ってたけど、ヴィンスさんはそうでもないみたいだ。あんなイケメンな人にあーんなんてされたら女性ならイチコロだろうな。僕でさえドキドキしてるのに。もし誰彼構わずやっているなら恐れながら注意した方がいいだろうか。ヴィンスさんのあーんは心臓に悪いしな。そんなことを考えながら僕は騎士団校舎へと戻った。