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僕はまず、クリームパスタに手をつけた。もちもちの麺をフォークに巻きつけ、口に運ぶ。
ああ、美味しい…美味しすぎる…食堂のランチは絶品だ。
「久しぶりに食堂に来たけど、やっぱりBランチは美味しい」
「僕のAランチもすごく美味しい。こんな美味しいもの食べたの久しぶりだよ、なんか…感動してきた」
そう言ってフィル君は涙ぐんだ。
やっぱり、特別課だと忙しすぎてまともなものを食べる時間がないのかな?あ、でも、フィル君って昨日までは休暇中だったって聞いた気がする。休暇中なのに美味しいものを食べてなかったのかな?
「あの、フィル君?」
「ん?なに?」
「フィル君って昨日まで休暇中だったよね?何してたの?」
するとフィル君は持っていたフォークを捻じ曲げた。え、なんでだろう…
「休暇あ?!!」
「あ…ち、違ったかな?」
「違うよ!あいつの嫌がらせだよ!!」
「あ、あいつ?嫌がらせ?」
僕が戸惑いながら聞き返すとフィル君は憎々しげに口を開いた。
「そう!あのクソ団長が僕に嫌がらせしてたんだよ!!」
「え?そうなの?」
「そうだよ!僕が市民相談室に行った日のこと覚えてる?」
「あ、うん」
フィル君はヴィンスさんが市民相談室に異動して間もなく、市民相談室にやってきて、主にヴィンスさんに怒っていた。そして一時間くらいヴィンスさんと言い争いをした後、「必ずお前からレイ君を連れ戻すから!」と言って立ち去ったのを覚えている。
「で、その日の帰り道、僕が普通に歩いてたら、いきなりあいつが僕の前に現れてね。空間魔法を使ってきやがったんだ!それで僕、よくわかんない国に飛ばされてさあ!」
「えっ?よ、よくわからない国に飛ばされたの?」
「そう!それで、言葉も通じないし、帰り方もわからないし、大変だったの!」
「そ、そうなんだ…」
フィル君がそんなことになってたなんて全然知らなかった…知らない国にいきなり飛ばされるなんて、とても大変だっただろう。
「うん。で、なんとかして三日かけてローレンスまで帰ってきたんだけどね、帰ってきた瞬間に、いきなりあいつが現れて、また空間魔法で変な国に飛ばされたんだ!」
「また?!」
え?ヴィンスさん、またフィル君を飛ばしちゃったの?
「そう!それでまた、なんとか数日かけて帰ってきたら、また!いきなり現れて空間魔法出されてさあ!」
「え?それで、また飛ばされたの?」
「そう!それで今度は砂漠の真ん中にとばされて、脱水症状で死にかけたし、また自力で帰ってきたら、今度はジャングルの奥地に飛ばされて、原住民から槍を投げられるし、その後はとうとう北の極地まで飛ばされて、凍死しそうになったし…それに、昨日だって、やっとの思いで戻ってきたかと思ったら、また空間魔法で地下格闘技場みたいなところに飛ばされて、なんか戦うことになっちゃってさあ」
「あ、そうだったんだ…」
フィル君、僕の知らない間にそんな壮絶な体験をしてたのか…
「それで、どうしようかと思ってたら、総督から連絡が来て、助けてもらったんだ」
「そうだったの?」
「うん。なんか、僕がいない間に特別課がやばくなってるから、今すぐ戻って来てほしいって」
「そうだったんだ…」
フィル君もすごく大変だったんだな…
それにしても、知らない国に飛ばされまくって、無傷で帰ってくるってフィル君って本当に逞しいな…
「フィル君は本当にすごいね。僕だったらいきなり知らない国に飛ばされて、自力で帰ってくるなんて無理だよ」
「うん。まあ、これが初めてじゃないからね。団長に空間魔法で飛ばされて死にそうになるのなんか慣れっこだから」
え、空間魔法で知らない国に飛ばされて死にそうになることが慣れっこなの?
僕が密かに動揺していると、フィル君は眉間に皺を寄せて言う。
「そんなことよりも僕にとって重大だったのはレイ君のことだよ!全然連絡繋がらなくてさあ、それが一番辛かったよ…」
あ、そっちの方が大事だったんだ…普通、僕と連絡が取れないことよりも、空間魔法で異国に飛ばされまくる方が辛い気がするけど…
…なんだかフィル君も変わった人だ。
「あの、連絡のこと本当にごめんね」
「まあ、あのクソ団長のせいだったわけだから、レイ君は悪くないけどさ…。でも、そんな酷いやつと仲良くするもんじゃないよ!」
「…う、うん。考えてみる…」
僕が曖昧な返事をすると、フィル君は何か言いたそうな視線を向けてきた。僕は気まずくなり、そろ〜と視線を逸らすと、フィル君のため息が聞こえた。
「レイ君、本当に団長とは距離を置いた方がいいよ。僕はレイ君があの鬼に何かされないか心配なんだ」
「…うん。心配かけてごめん。でも、ヴィンスさんは僕にはすごく優しいから大丈夫だと思う」
僕が必死にそう言うと、フィル君は怪訝そうに眉を顰めた。
「本当に?僕はあいつが人を思いやる姿なんて想像できないんだけど」
「え?ヴィンスさんはいつでも優しいよ」
僕が力説すると、フィル君は納得できないように顔を顰めた。
「例えば?」
「え、えーと、ヴィンスさんは、毎日僕を尞から職場まで送り迎えしてくれるし、毎日メッセージくれるし、重いものは持ってくれるし、よく食事に連れて行ってくれるし、仕事もいつも手伝ってくれるし…」
ヴィンスさんの優しいところなんて挙げるとキリがない。僕にとっては優しさの塊のような人だ。
「ふーん。…なんか信じられないけど、でも、あいつに何かされたら、僕に言うんだよ。僕が殺してやるから」
「う、うん。わかった」
そうして僕たちは昼食を食べ終え、食堂を出た。そして僕たちが特別課に着くと、ちょうど昼休み終了を知らせる鐘が鳴るのが聞こえた。そして次の瞬間、僕たちの前に突然、魔法陣が現れ、ヴィンスさんが出現した。
「うわっ!」
いきなりヴィンスさんが現れたことに僕はびっくりして、後ろに慄いた。
「え?なんでヴィンスさんがいきなり?」
僕が頭にはてなマークを浮かべていると、ヴィンスさんは僕の隣にいたフィル君に先ほどよりも二倍ほど分厚い紙の束を渡した。
「午後の分。明日までに片付けて」
「はあ?!なんでだよ!僕は午前中にいっぱい働いただろうが!なんで追加でこんな量の任務をやんなきゃならないのさ!」
「うるさい。さっさと行け」
そう言ってヴィンスさんは怒るフィル君を問答無用で空間魔法で飛ばした。
そして困惑する僕に視線を向け、困ったように眉を下げた。
「ごめんね。驚かせて」
「え?あ、なんで、いきなり現れたんですか?」
「空間魔法で転移したの」
「あ、そうだったんですね」
初めて見た。これが空間魔法か…
「うん。フィルといるのはレイに悪影響だから、急いで来た」
「あっ、それは、ご苦労様です」
「うん。何か変なこと吹き込まれなかった?」
「え?あ、そういえば…」
ヴィンスさんはフィル君を空間魔法でいろんな国に飛ばして嫌がらせをしてたって言ってた気がする。それが本当なら、あんまり良くないよな…
「なに?」
「あ…一ヶ月前からフィル君を空間魔法でいろんな国に飛ばして嫌がらせをしてたって聞いたんですけど、それは本当ですか?」
「……」
ヴィンスさんは沈黙して視線を逸らした。あ、本当だったんだ。
「あの…ちょっと、そういうのは、あんまり良くないと思います。フィル君も大変だったって言ってたし…」
「ごめん。もうやらない」
視線を下げてそう言うヴィンスさんは、しゅんとしていて、とても反省しているのがわかった。
…なんかきつく言いすぎたかな?そう思って謝ろうとしたところで再びヴィンスさんが口を開いた。
「でも、フィルのためを思ってやった」
「え?そうなんですか?」
フィル君のため?それはどういうことだろう?
「うん。前にフィルが旅行雑誌見てて、旅行したいって言ってたから」
「え?そ、そうだったんですか?」
「うん。そんなに旅行したいなら、叶えてあげたいと思って空間魔法を使った」
え、そうだったの?やっぱりヴィンスさんって優しい人じゃん…
それを頭ごなしに否定して、僕は最低なやつじゃないか…
「あの、ヴィンスさん、すみませんでした」
「なんで?」
「僕、ヴィンスさんはフィル君を思ってとった行動を、勝手に嫌がらせだと決めつけて、否定して、最低ですよね」
「ううん。レイは悪くないよ。悪いのは全部フィルだから」
「え?そ、そうですかね?」
「うん。僕の思いやりを踏み躙って、嫌がらせされたって嘘ついたのはフィルでしょ?だからフィルが全部悪い。そんなフィルとはもう関わらない方がいいよ」
「え?あ、考えてみます」
え?そうなのかな?なんとなくヴィンスさんの発言に違和感を覚えたが、ヴィンスさんが言うことに間違いはないはずだ。そう思って僕は頷いた。
「じゃあ、僕も任務に戻るから、レイはここで待ってて」
「あ、はい」
そうしてヴィンスさんは消え、僕は広い特別課にポツンと一人残された。




