35
僕が視線を向けると、そこにはフィル君の姿があった。急いで来たのか、息が乱れている。
フィル君は鬼のような形相で室内をぐるっと見渡し、僕と目が合うとズカズカとこちらへやってきた。
「あ、フィル君じゃないか!今までどこ行ってたんだよ」
「そうよ!団長に続いていきなり休暇を取るなんてどういうつもりよ!私たち過労死寸前だったのよ!」
「そうだぞ、フィル、お前がいなくて大変だったんだ」
「どいて」
途中で若手三人組に話しかけられるもフィル君は全く取り合わず、僕を真っ直ぐ見つめてこちらへとやってきた。
僕は思わず立ち上がり、フィル君のもとへと歩み寄った。
どう考えても僕に用があることは明らかだったからだ。
「あ、あの、フィル君、久しぶりだね…」
僕はビクつきながらもそう言うと、フィル君は眉間に深い皺を刻み、僕をじっと見つめた。
「ねぇ、レイ君、君はいつから不良になったの?」
「え?ふ、不良?」
「そうだよ!なんで僕からの連絡無視すんのさ!!ここ一ヶ月何通もチャット送ってるし、電話もしてるのに全部無視したよね?!なんで?!なんでなの?!!」
「え?チャット?電話?」
「そう!!僕、百件以上送ってるよね?それを全部無視するなんて、君はいつからそんな不良になったんだよ!!」
フィル君の怒気に思わず萎縮していると、いつの間にかヴィンスさんが僕を守るように僕の前に立っていた。
「レイが怖がってるんだけど?」
「はあ?!このサイコ野郎、なんであんたが出てくるんだよ!どけよ!僕はレイ君に話があるんだ!」
「レイはお前に用はない」
「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないんだよ!どけ!」
「うるさい」
「なんだと?!だいたい、レイ君がグレたのは全部お前のせいなんだよ!どうしてくれるのさ!」
フィル君の怒鳴り声を聞いて、ヴィンスさんは一瞬顔を歪めて、僕の方に視線を向けた。
「ねえ、レイ、こいつ目障りだから殺していい?」
え?殺す…?最近はその口癖治ったと思ったのに、またぶり返しちゃった。とにかくダメなことを伝えないと!
「あ、あの、ダメです!」
「でも、レイに怒鳴って、不愉快だった」
「あ…でも殺すのはダメです!」
「そう。じゃあ止める」
よかった。やめてくれた。
「ありがとうございます」
僕はヴィンスさんにお礼を言った後、フィル君に視線を向けた。
「あ、あの!フィル君、えっと、僕なにかしたかな?チャットとか電話とかよくわからなかったんだけど」
そう言うと、フィル君は僕をキッと睨みつけた。
「レイ君、僕からの連絡なんで無視するの?!僕のことがそんなに嫌いなの?!!」
僕はなんのことを言われているのかよく分からず首を傾げた。
「え?嫌いじゃないよ」
「だったら、なんでなのさ!僕悲しかったんだから!」
…なんだかよくわからないけど、フィル君を悲しませたのだったら、謝らないと。
「あ…ごめんね?でも、連絡は、その、無視してないと思う。僕もいきなりフィル君からメッセージの返信が来なくて、心配だったんだ」
「え?僕はちゃんと返信したよ、ほら!」
そう言ってフィル君は僕とのメッセージ画面を見せてくれた。
確かにそこにはフィル君が一方的に膨大な数のメッセージを送信した画面が写っていた。
そこで僕も慌ててフィル君とのメッセージの画面を確認するが、そこには一ヶ月前に僕がメッセージを送ったきり、何もないトーク画面が広がっていた。
「あの、僕のはこれだよ」
それを見せると、フィル君は怪訝そうに眉を顰めた。
「何これ?なんで僕が送ったメッセージが届いてないの?」
「な、なんでだろう…。電話も不在着信は一件もないよ。…もしかしたら、僕の携帯が壊れてるのかな?」
僕が不思議に思っていると、フィル君は何やら携帯を操作した。
「レイ君、今メッセージ送ったけど届いた?」
「何も来てない…」
僕はそう言って画面を見せた。
…本当にどうしたんだろう。メッセージが届かないなんて初めてだ。やっぱり僕の携帯は壊れてしまったんだろうか。
あ、でもヴィンスさんとは毎日やりとりできてる気がする。
「あの、ヴィンスさん、今僕にメッセージ送ってみてください」
「うん」
ヴィンスさんは懐から携帯を取り出して、軽く操作した。すると即座にヴィンスさんからウサギのスタンプが送られてきた。
「ヴィンスさんからは普通に来てる…なんでだろう?フィル君もう一回送ってみて」
「わかった」
そして、フィル君がもう一度僕にメッセージを送ってくれるが届かない。
本当になんでだろう?なんでフィル君のメッセージだけ届かないんだ?
僕がしばらく頭を悩ましていると、フィル君がハッとした様子で僕に言う。
「ねぇ、レイ君、ちょっと携帯貸して」
「え、うん」
素直に携帯を渡すと、フィル君は何やら画面を操作したのちに憤怒の表情を浮かべた。え、どうしたんだろう?
「ねぇ、レイ君」
「う、うん」
「この携帯、最近誰かに貸したりした?」
「え?貸してないと思うけど…」
「じゃあロック解除のパスワード知ってる人とかいない?」
「あ、パスワードならヴィンスさんが知ってるよ」
その言葉を聞いて、フィル君は怒り狂った。
「おい!お前!!僕のことブロックしやがったな!このクソ野郎が!!着信拒否までしやがって!!」
え、そうだったの?僕が驚いてヴィンスさんを見ると、ヴィンスさんは能面の様に無表情だった。
「おい!なんとか言えよ!」
「…知らない」
「お前以外誰がいるんだよ!!」
「……」
ヴィンスさんはそっぽを向いて黙ってしまった。
「あの、ヴィンスさん?ブロックとか着信拒否とかしたんですか?」
僕が困惑気味に聞くと、ヴィンスさんは僕をじっと見つめたのちに頷いた。
「え?なんでですか?」
「うざかったから」
「え?う、うざい?」
「うん」
「えーと、どんなところが?」
「レイに馴れ馴れしいところ」
「え?でもフィル君は友達だし…」
「友達は僕だけでいいでしょ?」
殆ど表情を変えずにそう言うヴィンスさんが何を考えているのかはよくわからなかったが、僕は微かに違和感を感じた。
ん?友達?僕とヴィンスさんって友達なのかな?
確かにヴィンスさんは僕にとって、一番大切な人であることは間違いない。でも、友達かと言われれば、何か違和感が残った。
だって僕がヴィンスさんに抱く感情は、フィル君に抱く感情とは全く違う。上手く言い表せないけど、でも明らかに違う。
そこで僕は正直に言う。
「あの…僕にとってヴィンスさんは友達っていうか、なんか少し違う気がします…」
「じゃあなに?」
目を細めてそう聞くヴィンスさんに僕は首を傾げた。
え?確かに、友達じゃないならなんだろう。
…強いて言えば先輩?
違うな。なんだか、ヴィンスさんのことをそんなありふれた言葉で言い表したくないような気がした。ヴィンスさんは僕にとって、もっと特別だ。
「…えっと…憧れの人?…」
うまい言葉が見つからず、僕は首を傾げながらもそう言った。
するとヴィンスさんは微かに落胆したように顔を暗くした。え、なんでだろう?もしかして、僕に憧れられるのが嫌だったとか?
僕がオロオロしていると、ヴィンスさんはそんな僕をじっと見つめたのちに、口を開いた。
「…友達より大事?」
え?友達より…?
僕にとって友達はフィル君だけだけど、フィル君とヴィンスさんに優劣なんてつけられない。どちらもこんな僕に優しくしてくれる天使のような人たちだ。
…でも、優劣はつけられないけど、僕にとって特別なのは、やはりヴィンスさんだと思う。
「あ…えっと、大事と言うか特別です。ヴィンスさんは僕にとって」
「特別?」
「はい」
「友達より?」
「はい」
「一番?」
「はい。一番特別です」
僕がそう言うとヴィンスさんはなぜか満足そうに頷いた。
「そう。じゃあいいよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
…よくわからないけど許してくれた。ヴィンスさんは優しい。
「レイ君、洗脳されるな!そいつは勝手に僕をブロックしたやつだ!」
あ、そうだった。忘れるところだった。確かに、フィル君のことをブロックするのは良くないことだ。
「あの、ヴィンスさん」
「なに?」
「フィル君のことを勝手にブロックするのはよくないです」
「ごめん」
「もうやっちゃダメです」
「うん。もうやらない」
うん。一件落着だ。そう思ってフィル君を見ると、フィル君はまだ険しい顔で僕たちを睨んでいた。ん?なんでだろう?
「フィル君、ヴィンスさん、もうやらないって」
「はあ?!そんなの信じられるか!僕にちゃんと謝れよ!!」
確かに…フィル君を勝手にブロックしたのは、フィル君にも迷惑がかかってるわけだから、謝らないといけないな。
「フィル君、ごめんね?迷惑かけちゃって」
「何でレイ君が謝んのさ!!団長に謝らせてよ!」
「え?…あ…えっとヴィンスさん?フィル君に謝りましょう」
「どうして?」
ヴィンスさんは心底意味がわからないと言うように首を傾げた。
「僕に迷惑かかってるからだよ!!クソ野郎!」
「なんで僕がお前の迷惑を考えないといけないの?」
「はあ?!人としての常識だろうが!人に迷惑をかけないようにって学校で習わなかったのかよ!!」
フィル君が怒ってそう言うと、ヴィンスさんは不愉快そうに眉を寄せた。
「レイ、こいつうるさい」
「うるさいってなんだよ!!」
更にプンプン怒ってしまったフィル君とヴィンスさんを見て僕は場を納めなければと口を開いた。
「あ…えっと、フィル君落ち着いて…。あとヴィンスさんもフィル君に謝らないとダメです」
「なんで?」
「フィル君は僕の大事な友達だからです。友達に迷惑をかけたら、謝らないとダメです」
「…わかった」
わかってくれた。これでヴィンスさんがフィル君に謝れば解決だ。
そう思ってヴィンスさんを見ると、ヴィンスさんは僕に向けた申し訳なさそうな表情から一転して無表情になっていた。
「フィル、ブロックと着信拒否してごめん」
なんか棒読みだけど、まあ、誠意はこもっているはずだ。
「はあ?!なにそれ、そんなんで僕が許すと思ってんの?!!」
「レイ、これでいい?」
怒るフィル君を無視して、ヴィンスさんは僕をじっと見つめた。
「おい!許してないって言ってんだろ!!」
しかしヴィンスさんはフィル君の声は聞こえなかったかのように無反応だ。
「謝った。もういいよね?」
僕はそう言われて曖昧に頷いた。
「…まあ、いいと思います」
僕がそう言うと、フィル君は声を荒げた。
「だから!許してないって言ってんだろうが!!」
その剣幕にヴィンスさんは大きく眉を寄せた。
「お前うるさい」
「レイ君!こいつ反省してない!」
僕はニ人の圧に怯えながら、小声で言う。
「あ…まあ、その、ヴィンスさんも口が悪いだけで反省してると思うけどなぁ…」
「してないよ!」
フィル君の怒気に僕は怯えながらも、なんとかこの場を納めようと提案した。
「じゃ、じゃあ、今日、昼食ぼくが奢るよ。それで許してくれないかな?」
その言葉を聞いて、フィル君の顔つきが一気に変わった。
「…レイ君とご飯?」
「う、うん。あ、嫌ならいいんだけど…」
僕が恐る恐るそう言うとフィル君は「じゃあ許す」と即答してくれた。
「ありがとう!」
「でも、そいつは絶対に連れてこないでね!!」
フィル君はヴィンスさんは指差した。
「あ、うん。ヴィンスさん、今日は別々で食べましょう」
「…やだ」
「えぇ?今日だけダメですか?」
「やだ。フィルなんかと食べないで僕と食べよう」
「僕なんかって何だよ!!」
「こいつといても楽しくないよ?僕と食べよう」
「あ…でもフィル君には迷惑かけちゃいましたし、その埋め合わせはちゃんとしたいんです。だから今日はフィル君と食べちゃダメですか?」
「…今日だけなら…」
やった!ヴィンスさんがオッケーしてくれた。やっぱり優しい。
「じゃあフィル君、今日お昼一緒に食べよう!」
「うん!」
フィル君は花が咲いたように微笑んだ。
…やっぱり可愛いな
フィル君の無邪気な笑顔を見てそう思っていると、ふとフィル君はヴィンスさんの方を向いた。そして鼻を鳴らし、勝ち誇ったように口角を上げた。
「ああ!クソ団長がいなくて正々するなあ!!」
「……」
フィル君の挑発するような言動に、ヴィンスさんは無表情を貫いている。しかし明らかに全身から殺気が充満していた。僕はそれに気づいて慌てて二人の間に入った。
「あの!二人とも、もう喧嘩はやめましょう」
僕がそう言うと、フィル君は「ふんっ」と言ってヴィンスさんから目を逸らし、ヴィンスさんは不服そうながらも殺気を引っ込めてくれた。
…よかった。これで一件落着だ。
そしてふと周りを見渡してみると、特別課全員が目を見開いて固まっていた。ん?どうしたんだろう?ん?なんか、全員僕を見てる気がする。なんでだろう…あ、僕が騒いじゃったから、迷惑だったのかもしれない…。じゃあ、謝らないと…
「あ、あの、皆さん、来たばかりなのにお騒がせして申し訳ありませんでした」
しかし誰も反応しない。石像のように固まったままだ。え、なんなんだ?
「え?今、団長がフィルに謝ってました?ジャンくん」
「あ、ああ。マイケル、俺、団長とフィルの喧嘩を普通に収めるやつなんて初めて見たぞ?あの子は何者なんだ?」
「団長とフィルをやり込めるなんて只者じゃないわね。やっぱりあの子はすごい子だわ!」
「あの団長を止めれるなんて、僕感動しちゃった」
「いつもあの二人が衝突すると俺たちまで死にそうになるからな」
特別課の人たちはヒソヒソと何か話していたが、僕には小さくてよくわからなかった。




