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扉の方を見ると、ちょうどヴィンスさんが入ってくるところだった。
僕は立ち上がってヴィンスさんのところまで行った。
「ヴィンスさん、おかえりなさい」
僕がそう言うと「うん」と言って軽く微笑んだ。
「あの…」
「なに?」
僕が何か言いたそうにしているのがわかったのか、ヴィンスさんは首を傾げた。
「えっと、総督が、いらっしゃってます」
そしてヴィンスさんは僕が視線を向ける方向にゆっくりと目を向け、ソファーに座る総督を見ると、軽く頷き、再び僕へと視線を戻した。
「そう。それより、少し出かけない?」
「え?」
「今日は依頼ももうないし、僕はレイとお出かけしたい」
「え?あ…でも、総督がいらっしゃってますけど」
「そんなのいいよ。外に美味しそうなケーキ屋さんがあったよ。レイの好きなショートケーキも」
「それは、気になりますけど…え?それより、総督…」
「総督はどうでもいいから、行こう」
「あ、はい」
そっか、どうでもいいのか。ヴィンスさんがどうでもいいって言うなら、どうでもいいのかも。僕もケーキ食べたいし行こうかな。
そうして僕とヴィンスさんが部屋から出ようとすると、後ろから「おい」とドスの聞いた声で呼び止められた。
振り返ると、アール総督が怖い顔で目の前に立っていた。
「ヴィンセント!お前には言いたいことが山ほどある!」
あ、そうだった。
僕がそろ〜っとヴィンスさんを伺い見ると、ヴィンスさんは軽く首を傾げていた。
「なに?」
「お前、私の連絡をことごとく無視しやがって!どういうつもりだね?!」
「忙しかったから見れなかっただけ」
「はあ?!なんだそれは!こんな窓際部署が忙しいわけないだろうが!」
…やっぱり総督もそんな風に思ってるんだな…。確かに窓際だけど、僕とヴィンスさんは毎日、コツコツ依頼をこなして、それなりに頑張ってるんだけどな…
総督も他の人たちと同じように市民相談室を軽視しているのを知って少しだけ僕の気が沈んだ。
僕がそんなことを考えている前で総督の怒りはヒートアップしていた。
「だいたい!お前の身勝手な行動でどれだけ周りに迷惑を被っているのかわからないのか!」
怒り狂う総督にヴィンスさんは相変わらず無表情だ。
「おい、なにか言うことはないのか?!ええ?!」
「ない」
平然とそう言うヴィンスさんを僕はハラハラしながら見ていた。
「お前ぇ!!どれだけ私を馬鹿にすれば気が済むんだ!!」
そう言って総督は殴りかからんばかりの勢いでヴィンスさんに詰め寄った。怒っているせいで顔は真っ赤で目は血走っていた。
しかしヴィンスさんはロボットのように無表情で、じっとアール総督を見つめているだけだ。
僕はこれはまずいと思い、慌てて声をかける。
「あ、あの!落ち着いて!と、とりあえず、座って話しましょう」
僕がそう言うと、総督は僕をジロリと見た後、大きく息を吐いた。
「ああ、そうしようか」
そうして僕たちはソファーに座った。僕とヴィンスさんが隣同士で座り、アール総督は僕たちの正面にドサっと腰掛けた。
そして早速話し始めた。
「それでヴィンセント、お前ここへの異動は特別課と兼任だと言ったはずだな?」
「聞いてない」
「言った‼︎ お前のわがままを聞いてやる代わりにここへの異動ら特別課と兼任だと言ったはずだ。そして最低でも週に三回は特別課の任務をこなすこと、私から言い渡す個別の任務も必ずこなすこと、これが条件だと言ったはずだ」
「言われてない」
「言ったが???」
顔に青筋を立てながら、総督はそう言った。
「僕は市民相談室に異動させてくれないなら騎士団辞めるって言った。そしたら、あなたはいいよって言った。それだけ」
「その後に!私はこうも続けただろう!完全な異動ではなく兼任にしてほしいと!そしたらお前はいいよと言ったよな?!」
「言ったっけ?」
「言った!!」
「じゃあ、それ、今訂正する。兼任は嫌。僕は市民相談室一筋だから」
「そんなの許されるわけないだろう!」
「じゃあ騎士団辞める」
「はああああ?!!なんでそうなる!わがままも大概にしろ!」
総督は堪忍袋の緒が切れたように拳でソファーの前のテーブルをバンッと叩いた。あ、机にひびが…
「嫌なものは嫌」
ヴィンスさんはそんな総督にも全く動じずに、平然とそう言った。
「もう、お前はなんでそんなにわがままなんだ?なんなんだ?人に迷惑をかけないようにと小さい頃に習わなかったのかね?」
総督は怒っていたのから一転して、今度は疲れたように大きく息を吐いた。
「話はそれだけ?だったら、もう終わったから帰って。僕はこれから予定があるんだけど」
「いや、帰るわけにはいかない。私はお前を特別課に連れ戻すまで帰らないと決めて来た」
「特別課には戻らないよ?」
「戻れ!」
「嫌」
「これは命令だ!!」
「嫌」
「お前は私の部下だろう!言うことを聞け!!」
「じゃあ騎士団辞める」
「なんでそうなるんだ?!」
そう言って総督は頭を抱えてしまった。
「もう、なんなんだ?私の順調なキャリアの最後に、なんでこんなわがままサイコパス野郎がやってくるんだ?なぜ、この私が、こんなやつに四六時中振り回されなきゃならないんだ…!」
そうして、総督は徐々に肩を震わせ「もうやだ」「なんなんだ?こいつ、頭おかしい」などと言ってすすり泣き始めてしまった。
そんな総督を見て、僕はなんだか可哀想になってしまい、勇気を振り絞ってヴィンスさんに言う。
「あ、あの!ヴィンスさん」
「なに?」
ヴィンスさんは総督に向けていた無表情な表情とは違って、温かい視線を僕に向けてくれた。それに安心して僕は続ける。
「特別課と兼任はどうしても嫌ですか?」
「うん。僕はレイとずっと一緒にいたいから」
「それは、僕もですけど、でも、ヴィンスさんがいなくなって特別課の方々も大変そうにしているらしいですし、戻ってあげた方が…」
しどろもどろになりながらもそう言うと、ヴィンスさんは僕をじっと見つめた。
「レイは僕に特別課に戻ってほしいの?」
「あ…そうですね…困っている人がいるなら、やっぱり戻ってあげたほうがいいと思います。僕とは仕事以外でも会える時間はあると思うし」
「…わかった。レイが戻ってほしいなら戻る」
そう言うヴィンスさんは少し悲しそうだった。そんなヴィンスさんの姿を見て、僕もなんだか罪悪感が湧いてきてしまう。ヴィンスさんが異動してきてくれたのは僕のためなのに、その僕に、やっぱり特別課に戻れなんて言われたら、傷つくよな…
僕が気まずくなって下を向いていると、反対に向かい側に座っていたアール総督はハッと顔を上げた。
「ヴィンセント、戻ってくれるのかい?!」
「うん」
ヴィンスさんの返事に、アール総督は感極まって泣き出した。
「やっぱり君はいいやつだぁぁ…。おじさんは信じていたよぉ」
そうして、アール総督はヴィンスさんと無理やり握手を交わし、
「じゃあ、明日から特別課に出勤するように」
という言葉を残して、風の如く去っていた。




