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フィル君はヴィンスさんの差し出した手を見て、目を極限まで見開き、固まっていた。そしてしばらく固まった後、今度は驚愕の表情で何度もヴィンスさんの顔と手を交互に見た。ん?どうしたんだろう?
「え、その手なに?」
「握手」
「は?」
「握手」
「え?」
「握手」
「…」
フィル君はヴィンスさんの言葉が飲み込めないようで、若干混乱している。しかしフィル君の動揺した様子とは対照的に、ヴィンスさんは無表情だ。そして機械のように「握手」という言葉を繰り返していた。
フィル君はしばらくヴィンスさんをまじまじと見つめた後、突然、何かを思い出したかのように激昂した。
「なに勝手に解決しようとしてるのさ!!!僕は許してないからね!何が握手だよ!!こんなやつと握手するくらいなら死んだ方がマシだね!!!」
すると今度こそあからさまに嫌そうな表情をしたヴィンスさんが僕の方を向いた。
「レイ。僕は歩み寄ったのにこいつが意地悪する」
「何が意地悪だよ!お前、前に僕のこと殺しかけたこと忘れてないぞ!このサイコパス野郎が!!!」
あ、そうだった。前にフィル君は、ヴィンスさんがフィル君を敵のアジトに閉じ込めたままアジトごと破壊したことがあるって言ってた…。確かに、そんなことをされたらフィル君もヴィンスさんのことが嫌になるだろう。それはやっぱり謝った方がいいんじゃないかな?
「あ、あのヴィンスさん…」
「なに?」
「あの、ヴィンスさんはフィル君に、その、謝ったらどうかな、なんて…。そうすれば仲直りできるかも…」
そうだ。きちんと今までやってきたことをヴィンスさんがフィル君に謝れば、もしかしたらフィル君も仲直りを受け入れてくれるかも。
「…レイは僕が謝ったら嬉しい?」
ヴィンスさんは僕の目をじっと見つめて聞いてきた。嬉しいわけじゃないけど、やっぱり仲直りしてくれたらそれが一番いいかな?たぶん。
「あ、そうですね?」
「わかった。謝る」
ヴィンスさんはフィル君の方に向き直る。そしてまた表情を無にしてフィル君を見つめた。
「フィル、ごめん。いろいろ酷いことして」
そう言うヴィンスさんの声はとても機械的だ。言葉になんの感情ものっていない。
…まあでもヴィンスさんって感情表現が乏しい時があるし、きっと言葉には出ていないだけで心はこもっているはずだ。
「はあああ?!そんなんで許すと思ってんの?僕はあんたに何万回ボロ雑巾のように扱われたか!!」
その声に一瞬、面倒臭そうに顔を歪めたように見えたヴィンスさんだが、また無表情に戻った。
「じゃあ、それ全部言って。謝るから」
「はあ?!そんなのやられ過ぎていちいち覚えてないよ!」
「じゃあ一回謝ったんだから、もういいでしょ。お前うざい」
「うざいってなにさ!?あぁ!やっぱり思い出した。お前が僕にしたこと」
「…」
「お前、僕が最初に特別課に配属になったとき、明るく自己紹介する僕を見て「うざい」って言ったよね?!なんで自分を紹介しただけでうざいなんて言われなきゃいけないのさ??!!」
「ごめん」
「それに初任務でラーニャ渓谷に大量発生した魔物退治に行ったとき、お前、僕のこと崖から突き落としたよね?下には何千匹と凶悪な魔物がいたのに。僕死ぬかと思ったよ?!!」
「ごめん」
え、そんなことしてたんだ。よく生きてたな。フィル君。
「それにこの前は、半年間も僕を散々こき使っておきながら名前すら覚えてなかったし」
「ごめん」
「前だって、僕がただ普通にデスクで先輩と話してたら「目障り」って言って空間魔法で北の極地まで飛ばしたよね?!帰るの大変だったんだから!!」
「ごめん」
え、フィル君、北の極地まで飛ばされてよく無事で帰ってきたな。
「あとは、最近もアジトごと僕のこと殺そうとしたし」
「ごめん」
フィル君の抗議にヴィンスさんは機械のように「ごめん」を繰り返している。その表情は無だ。でもきっとヴィンスさんも反省してるはずだ。
どんなにフィル君が語気を強めても、ひたすら耐えて謝っているヴィンスさんに、なんだか僕は心が痛くなってきた。
「あ、あのフィル君?もうこの辺でいいんじゃないかな?ヴィンスさんも反省してるし…」
僕は遠慮がちにフィル君に言った。
「反省?!どこがさ!謝罪も全部棒読みで誠意がない!!!」
「いや、それはヴィンスさんはもともと、少し感情が出にくい人だし…。反省してると思うけど…」
「レイ。ぼく反省してる」
僕の顔をじっと見つめるヴィンスさんは本当に悲しそうな顔をしていた。こんな人が反省していないはずがない。フィル君はヴィンスさんに悪い印象を持っているからわからないのかも。
「でも、フィルは許してくれない。ぼく悲しい」
そう眉を下げる姿は痛々しい。
「あ、あの、ヴィンスさん大丈夫ですか?僕はヴィンスさんが反省してるのはすごく伝わってきましたよ?」
「レイ。ありがとう。レイは優しいね。フィルと違って」
「ヴィンスさん…」
僕に向けて力なく笑うヴィンスさんはとても寂しそうだった。フィル君も、ヴィンスさんがこんなに心を込めて謝っているのだから、許してあげてもいいんじゃないかな?確かに、まあ、その、過去にヴィンスさんがフィル君にやったことは酷いかなと思ったけど…。でもこれじゃあ、あまりにヴィンスさんが可哀想だ。痛々しい。
「でも大丈夫。レイだけがわかってくれれば僕はうれしい」
そう言って穏やかに微笑むヴィンスさんに僕は胸がぎゅって締め付けられた。
「わ、わかりますよ!僕はヴィンスさんが本当は優しい人だって知ってます。フィル君がわかってくれなくても、僕だけはわかります」
「ありがとう」
その言葉にヴィンスさんは花が咲いたように微笑んだ。ああ、眩しい。ヴィンスさんが笑ってくれてよかった。
「ねえ、なんで僕が悪者みたいになってんの?」
その言葉に僕はハッとした。そんな僕たちの様子をフィル君は白い目で見ていた。
「いや、その…」
慌てる僕を冷めた目でじっと眺めていたフィル君はやがて大きく溜息を吐いた。
「はあっ。わかったよ。許せばいいんでしょ!許せば!!」
やけくそ気味に言ったフィル君はキッとヴィンスさんを睨みつけた。
「でも僕は認めたわけじゃないから。絶対にお前の魔の手からレイ君を救ってみせる!」
そして、ふんっと言ってフィル君は立ち去って行った。
一方でフィル君と一緒に来た三人は、そんな光景に唖然として石のように固まっていた。
どうしたんだろう?フィル君、行っちゃったけど後を追わなくていいのかな?そしてしばらくして蘇生した三人は口々に話していた。
「僕、信じられないもの見た気がする。団長が謝ってた?え、僕疲れすぎて幻覚でも見たのかな?」
「安心して。ロベール。私も同じことを思ってる。冷酷無慈悲の団長がフィルにごめんって言ってたわ。信じられない。集団幻覚かしら?私たち知らないうちに魔法にかかってる?」
「ロベールにマリーも見たのか?やっぱおかしいよな?自分以外の人間をゴミ程度にしか考えてない団長が謝るなんて。俺、気持ち悪すぎて全身に鳥肌が立ったぞ。こんな気色悪い幻覚作れるなんて術者は天才だな」
ん?何やら三人がコソコソと話しているけどなんだろう?僕が不思議そうに彼らを見ると、それに気づいたヴィンスさんは三人の方へと向かって行った。
「ねえ」
ヴィンスさんが話しかけると三人は一気に顔色が悪くなったのがわかる。
「は、はい!なんでしょうか団長!」
「邪魔なんだけど。早く消えて」
「「「御意」」」
ヴィンスさんは何やら静かに三人に声をかけていたが、僕にはあまり聞こえなかった。しかしヴィンスさんの言葉に慌てた三人は急いでこの場から立ち去った。なんだったんだろう。




