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入って来た治安維持室の人たちの中には何人か見たことがある人が混じっていた。僕も少しの間だけ治安維持室にいたからその時に関わりがあった人達だ。
…しかし見たところアーサー君はいないみたいだ。僕はホッと胸を撫で下ろした。
「レイ君、久しぶりですね」
「エミールさん!」
話しかけてきたのは治安維持室の室長のエミールさんだ。彼は20代半ばの眼鏡をかけた知的な感じのイケメンだ。治安維持室という花形部署で20代半ばで室長というのは異例中の異例で、それほどに若くして室長以上に出世しているのはヴィンセント騎士くらいしかいない。それほどに優秀な人なのだ。僕も少しの間エミールさんの部下だったが、エミールさんはすごく優秀な上に優しい人格者だった。僕が魔法銃を撃てなくなった時もきちんと寄り添ってくれた。
「君から連絡が来たときは驚いたよ。君が強盗に魔法銃を撃ち込んだって…」
「はい」
頷く僕にエミールさんは優しく微笑んだ。
「トラウマを乗り越えたんだね」
「はい。…でもそれは僕一人の力じゃなくて…ヴィンスさんがいたからできたことなんです」
その言葉にエミールさんは首を傾げた。
「ヴィンス?誰だいそれは?」
「あ、今はお手洗いに行ってるんですけど、もう戻ると思います」
そう話しているうちにヴィンスさんがお手洗いから戻ってきたようだ。僕はフロアに入ってくるヴィンスのもとへと駆け寄った。
「ヴィンスさん!騎士団の人たちがきました!」
「そう」
そして僕はヴィンスさんを紹介しようとエミールさんの方を振り返った。するとエミールさんは何故か信じられないようなものを見たかのように固まっていた。
ん?どうしたんだろう?
あ、ヴィンスさんの美貌に見惚れちゃったのかな?確かにこの異次元な美しさは初見だとびびるよな。早くエミールさんにヴィンスさんのことを紹介しないと。
「あの、エミールさん、この人がヴィンスさんです」
「…」
エミールさんは固まって動かない。食い入るようにヴィンスさんを見つめたままだ。
流石におかしいと気づいた時、エミールさんはハッと我に返った。そして思い出したかのように叫んだ。
「あ、あなたは、ヴィ、ヴィ、ヴィンセント・ブラウンじゃないですかあああああ!」
…エミールさんがこんなに大声出すの初めて聞いた。それにしても何を驚いているんだろう。
ん?今なんて言った?ヴィンスさんを見てヴィンセントって言った?え?
「え、えーとエミールさん?」
「レイ君!これはどういうことです!?なぜヴィンセント騎士がここに?」
「え?ヴィンセント騎士?!どこに?」
「だから!ここにいるでしょう!」
興奮気味にエミールさんはヴィンスさんを指差した。
ーーえ、ヴィンスさん?
「え、えーと、ヴィンスさんがヴィンセント騎士なんですか?」
「そうです!」
「エミールうるさい」
大声を出すエミールさんにヴィンスさんは顔を歪ませた。しかし僕はそれどころではなかった。
え、ヴィンスさんがあの騎士団最強のヴィンセント騎士?え?え??
「えぇぇぇぇ!!!ヴィンスさんヴィンセント騎士だったんですか?!」
僕は驚愕に目を見開いてヴィンスさんを見た。そんな僕にヴィンスさんはにっこりと笑う。
「うん」
驚く僕を見てエミールさんは少し怪訝そうな顔をした。
「レイ君、まさか、ヴィンセント騎士のこと知らなかったんですか?」
「え、あ、はい。だってヴィンスって…」
「ヴィンスはヴィンセントの略称」
ヴィンスさんは涼しい口調で言った。
「えぇ…」
そっか、ヴィンスさんがヴィンセント騎士だったのか。
…確かにそりゃそうだよな。冷静に考えて、素手で魔力変換できる人はヴィンセント騎士くらいしかいないじゃないか。そっか、ヴィンスさんがヴィンセント騎士かあ…
そんな僕たちの様子を見ていたエミールさんは深く溜息をつき、呆れたようにヴィンスさんを見た。
「ヴィンセント騎士。あなた自分のことレイ君に言ってなかったんですか?…相変わらずお人が悪いですね」
その言葉にヴィンスさんはエミールさんを邪険に睨みつけた。
「うるさい。お前は早く強盗を捕まえに行きなよ。邪魔」
ヴィンスさんはエミールさんに僕には向けたことのないような冷たい眼差しを向ける。そのあまりの冷たさにエミールさんは身震いして、そそくさとこの場を離れて強盗のもとへと行ってしまった。
僕たちは二人きりになった。
…気まずい。どうしよう。ヴィンスさんがヴィンセント騎士だったなんて、衝撃すぎて上手く飲み込めないな。それに、そんなすごい人だと分かると緊張してくる。何も言葉が出てこない。
「…レイ。僕のこと嫌いになった?」
「えっ」
ヴィンスさんの言葉に僕は思わず伏せていた顔を上げた。すると目の前のヴィンスさんはとても不安そうな顔をしていた。
「僕がヴィンセントだってわかって落胆した?」
「いやいや!してません!」
僕は慌ててヴィンスさんに言った。落胆なんてしてないし、嫌いにもなっていない。ヴィンスさんがヴィンセント騎士だということにただ衝撃を受けているだけだ。
「でもさっきから目を合わせてくれないし…」
「あ、いや、それは、すごく驚いたからで…」
「ほんとに?」
「はい」
「そう。よかった」
ヴィンスさんは安心したようにホッと息を吐いた。
でもなんで今まで言ってくれなかったんだろう。言うタイミングはいくらでもあったはずなのに…
「あ、あの!ヴィンスさん!…じゃなくてヴィンセントさん?」
そうだ、ヴィンスさんはヴィンセントさんなんだった。略称はこの国ではとても親しい人同士が呼び合うために使われるものだ。騎士団最強のすごい人に、今まで略称で読んでいたなんて恐れ多い。今からはヴィンセントさんに改めよう。
「…ヴィンスって呼んで」
「え」
「だめ?」
僕の目をじっと見て切なそうに訴えてくるヴィンスさんに僕は困惑する。え、略称で呼んでいいのかな?
「いや!ダメじゃないですけど、失礼じゃないですか?」
「ううん。僕は君にヴィンスって呼んでほしい。お願い」
「あ、はい。わかりました。ヴィンスさん?」
ヴィンセント呼びからヴィンス呼びに再び戻すと、彼は花が咲いたような笑顔になった。
…うん。よくわからないけどヴィンスさんが嬉しそうでよかった。
…あれ?なんだっけ、あ、そうだ。ヴィンスさんに聞きたいことがあったんだ。
「あの!ヴィンスさん!」
「なに?」
にこにこと僕のヴィンス呼びに嬉しそうに答える。
「えっと、なんで今までヴィンスさんがヴィンセント騎士だってこと隠してたんですか?」
そう聞くとヴィンスさんは今まで浮かべていた笑顔を消して、また少ししょげてしまった。え、どうしたんだろう。
「レイに嫌われたくなくて…」
「え、別に嫌いませんよ?」
「だって今日、ヴィンセントって酷いやつだって…」
あ、言った。…言ってしまった。
今日僕がヴィンセント騎士について話している時に、ヴィンスさんの様子がおかしかったのはだからか。
…最低だ、ぼく。
本人の前で本人のことを悪く言うなんて。僕はヴィンスさんにすごく優しくしてもらってるのに恩を仇で返す行為だ。
「あ、あの、すみません。今日はその、酷いこと言ってしまって…」
こんな最低な僕をヴィンスさんは許してくれるだろうか。そう思うとヴィンスさんの次の言葉が怖い。握った手が若干震えてしまう。
「レイ。顔を上げて」
ヴィンスさんに言われて顔を上げると、そこには眉を下げて困ったように微笑むヴィンスさんがいた。
「僕は別に怒ってないよ。ただ君に嫌われるのが怖かっただけ」
「嫌いませんよ!ヴィンスさんは僕の憧れで、尊敬する人ですから!」
「ふふっ、ならよかった。この話はおしまい」
よかった。ヴィンスさんに許してもらえた。
…それにしてもフィル君はなんでこんなに聖人みたいな人を悪く言ってたんだろう?
何か誤解があるのかもしれないな。…ヴィンスさんって口数少ないし、ちょっとしたすれ違いがあったのかも。今度フィル君の誤解を解いてあげよう。ヴィンスさんは優しくて素晴らしい人だって。
強盗事件の後処理が完全に終わった後、僕たちはヤンさんに頼まれたネックレスを無事に届けて依頼を完了した。そしてその帰り道にヴィンスさんは言った。
「レイ、今日はレイが魔法銃を撃てた記念にご飯食べに行かない?」
「え、いいんですか?!」
「うん。僕、美味しい店知ってるから行こう」
「はい!楽しみです!」
僕たちは二人で一緒にご飯を食べることになり、ヴィンスさんおすすめの王都にある料理屋さんへと向かった。




