01
僕は今、猫を捕まえるために全力で走っている。
「待って、待ってよ。ミケちゃん!」
大きな声を出して走る僕に、道行く人は何事かと視線を向ける。しかし今はそんなことに構っていられず、ミケちゃんを捕まえるためだけに全速力で走り続ける。かれこれ一時間くらいは僕とミケちゃんは追いかけっこを続けていた。僕の前を走るミケちゃんはスイスイと人込みの中を駆け抜けていき、近くの草むらの中へと入って行った。そこで僕もミケちゃんを追いかけて草むらへと入る。着ている騎士団の制服を葉っぱまみれにしながら進んで行くと、少し離れたところにミケちゃんはいた。その場に留まって優雅に毛繕いをしていた。僕との追いかけっこに飽きたのか、近づいても逃げる様子がない。そこで僕はゼェゼェと言いながらミケちゃんに近づき、捕まえた。
「はぁはぁ…やっと捕まえた。もう、ミケちゃん足速すぎだよ。僕、もうクタクタだあ」
そう言って腕の中にいるミケちゃんを見れば、涼しい顔で毛繕いを続けていた。そんな姿に思わず溜息が漏れる。人の気も知らないで…
…まあ、何はともあれミケちゃんを無事捕まえられてよかった。早く依頼主であるケビンさんに返してあげよう。
僕は依頼されて猫探しをしていた。依頼主はケビンさんという60代くらいの男の人で、昨日の晩に飼い猫であるミケちゃんが、家から脱走してしまったらしい。そこで依頼を受けた僕が今朝から町中で必死にミケちゃんを探していたというわけだ。
僕は捕まえたミケちゃんと一緒にケビンさんのもとへと向かった。ケビンさんはミケちゃんを抱えた僕を見るなりとても喜んでいた。そしてミケちゃんもケビンさんを見つけると僕の腕から飛び出し、ケビンさんの腕の中へと納まった。
「レイさん、本当にありがとね。ミケを見つけてくれて。ミケがいなくなったときは、もう一生帰らないんじゃないかと本当に不安で…」
「いえいえ。ミケちゃんが無事に見つかってよかったです」
「今朝から町中を必死に探してくれたそうじゃないか。それに、綺麗な制服もそんなにボロボロになって…」
ケビンさんは僕の姿を見て申し訳なさそうに言った。今の僕は、先程草むらに入ったせいで、葉っぱやら砂やらで着ている白い制服が汚れてしまっていた。
「いえいえ!本当に大丈夫ですよ。ちょっと草むらに入っただけですから。むしろいい運動になりました」
僕が明るく笑いかけると、ケビンさんはもう一度、深く頭を下げた。
…本当に無事にミケちゃんが見つかってよかった。
猫探しの依頼が無事終わって、僕は王都にある自分の勤め先へと戻った。
僕が勤めているのは王立ローレンス騎士団というところだ。王立と名の付く通り、僕の住むヴァローネ王国という国の直属の憲兵組織である。その役割は王国内部の治安維持と、他国などの脅威から国を守ることだ。僕はその騎士団の生活安全課という部署の市民相談室というところに所属している。そこは市民から来た様々な依頼を解決するのが仕事だ。相談内容は多岐にわたっており、今日のような猫探しやゴミ拾い、落し物の捜索など本当に様々だ。そして僕はこの仕事にやりがいを感じている。僕が依頼を解決することで、色んな人が喜んでくれたり感謝してくれることはすごく嬉しい。今日も一生懸命ミケちゃんを探してよかった。そんなことを考えながら歩いていると騎士団の校舎についた。
そして僕は入館手続きをしてから一旦騎士団内にある寮の自室に向かった。自室のクローゼットから予備の制服を取り出し、汚れてしまった制服を着替えた。そして洗面台で身なりを確認する。そこには白い綺麗な制服を着た色白の青年が写っている。この国では珍しい黒髪に焦げ茶の大きな瞳、そして低い鼻に薄い唇は実年齢よりも幼い印象を与える。僕は今年で18歳なのだが15歳くらいに見える頼りなさそうな顔だ。騎士団のかっこいい制服にこの童顔はアンバランスで似合わない。そして自分の似合わなさを再認識してから、最後に少し乱れた髪を整えて自室を出た。
そして自らの職場である市民相談室へと向かう。
僕の職場は騎士団校舎の三階の隅にひっそりとあった。中に入ると、狭いスペースに窮屈そうにデスクが数台並んでおり、二人の人物がそこに座っていた。空気はどことなくどんよりしていて重苦しい。そしてデスクに座っている二人の顔には覇気がなく目が死んでいた。僕はそんな部屋の空気に、これまで上がっていた気分が急降下していくのを感じた。静かに自分のデスクに座り、猫探しの件の報告書をまとめる。そしてしばらくして報告書が完成したので上司のミハエルさんのもとへと提出しに行った。ミハエルさんはこの市民相談室の室長で40代くらいの男の人だ。
「ミハエルさん。猫探しの件の報告書を見てもらいたいのですが」
僕の言葉にミハエルさんは面倒くさそうに顔を上げた。
「んー、あーそれね。んーいいんじゃない。後で出しといてよ」
報告書をほとんど見ないで、ダルそうな顔でそう言った。
「はあ。わかりました」
僕はデスクに戻って、上司のあまりに適当な対応に溜息をついてしまう。そして何気なく隣のデスクを見ると、仕事そっちのけでゲームをしている同僚が見えて、さらに気分が落ち込んだ。
…この部屋では僕以外はほとんど真面目に仕事をしていないのが現状だ。それはここが窓際部署だからだろう。この部署に配属される人は、ここ以外の部署で「使えないやつ」認定を受けた人たちだった。そして僕もそのうちの一人だ。そしてここでの仕事は市民から来た依頼を解決することだと述べたが、正確には「市民から寄せられた依頼の中で、他の部署が対応するには馬鹿馬鹿しいものを押し付ける雑用係」といった位置づけだ。なので騎士団の他の部署の人々からは雑用係、雑用部屋なんて呼ばれている。僕はそんな風に呼ばれている部署でも、やりがいを感じているが、他の二人はそうではないらしい。そんなことをデスクで考えていると昼休みを知らせる鐘がなった。
僕はこの部屋のどんよりとした空気が苦手で、鐘がなった瞬間に席を立ち、食堂へと向かった。そして食堂の前の売店でサンドウィッチとジュースを購入し、食堂に入る。
食堂は昼食時ということで混雑していたが、幸い奥の方の席がまだ空いていたのでそこに座った。そして昼食を食べようとすると、急に誰かに話しかけられた。
「あれぇ〜。見た顔がいると思ったら、役立たずのレイ・ベルモンドじゃないか。こんなところで会うなんて奇遇だなあ」
顔を上げるとそこには皮肉げな笑みを浮かべた青年がいた。そして彼の周りの数人の取り巻きも僕を見てクスクスと笑っている。
「…アーサー君」
アーサー君は僕と同い年で騎士学校時代からの顔見知りだ。燃えるように真っ赤な髪に、吊り上がった大きな瞳を持つ彼は男らしい野性的な顔立ちをしている。しかし僕は彼がとても苦手だった。彼からは騎士学校時代から何故かひどく嫌われ、目の敵にされているのだ。そして彼は僕を蔑むような笑みを浮かべながら続けて言った。
「なぁ、そこどいてくれないか?俺たちが座りたいんだけど」
「えっ」
「早くどけよ。のろま」
戸惑っている僕にアーサー君は、それまで浮かべていた笑みを消して凄んでくる。
「で、でも僕もまだ昼食食べてなくて…」
「あぁっ!?お前より俺たちの方が優先だろ。お前なんて雑用係だろ。どうせロクに仕事もしてねーんだから、昼なんて食べなくても平気だろ」
「そうだ、そうだ。私たちはお前とは違って、忙しく働いているんだぞ」
「はやくどけよ。役立たず」
アーサー君とその取り巻きにそう言われて僕は席を立った。確かにアーサー君は入団一年目だというのに、騎士団の花形である治安維持室という部署で華々しい活躍を遂げている逸材だ。僕みたいな役立たずがアーサー君みたいに優秀な人に席を譲るのは当然のことだろう。
「ごめんなさい。どうぞ」
「ふん。最初から早く譲れよ。のろま」
そう言ってアーサー君たちは席に着いた。僕はあたりを見渡すが、もうどの席も満席で、座れる場所は無かった。そこで僕は仕方なく食堂を出た。
食堂を出ても昼休みとあってどこも人でごった返していた。食事を食べられそうなスペースはあまり見つからない。仕方ない。屋上で食べよう。
騎士団校舎には屋上があって、そこは立ち入り禁止の張り紙こそしてあるものの、特に施錠されているわけでもなく簡単に入ることが出来た。食堂が混んでいるときは時々そこで昼食を食べている。屋上は完全に穴場で、僕以外に昼食を食べに利用している人はいなかった。しかし厳密には立ち入り禁止となっている場所なので、あまり進んでは利用しないようにしていた。しかし今日はしょうがない。そう思って屋上に向かった。