どこへだって、行けますよ
「こっちですよ」
『ノコ』
ユリトはキノコゴーレムを引き連れて、上階を目指します。
まっ白でのっぺりとした見た目は怖がられるので、少女の姿に偽装してみました。
キノコの傘みたいな茶色のおかっぱヘアに、萌木色のワンピースと靴。実は髪も服もすべて、菌糸から編み出した体の一部です。
特別な魔法の鍵で、隠し通路に入ります。
鍵といっても実体のない、魔法の認証キーなので、手のひらをかざすことで解錠します。
「ここです。いっしょに来てね」
『ノコ!』
やがてハーレム殿の入り口につきました。
王族の居住エリアの更に上階。特別な人間しか入れない秘密の裏口です。
ハーレム殿の魔法の鍵を解除し、中に静かに入り込みました。
「失礼します、魔法師のユリトです」
ハーレム殿の中は甘い香りが漂っています。
薄暗く、奥のほうが明るく浮かび上がっています。 絹のような薄い半透明の幕が、幾重にも折り重なるように天井から下がり、まるで胎内のような不思議な雰囲気です。
どこからともなく弦楽器の音色が聞こえます。焚かれた香のせいでしょうか。思わず夢見心地になりそうな、足元がおぼつかない感覚に陥ります。
「……っと」
気を確かにしないといけません。
ここに踏み込んだ男性は、こうなるみたいです。かなり強力で特殊な魔法の一種でしょう。
ユリトは体の内側で、防御結界の構成を変え、対抗します。
「あら……また来たの? 可愛い坊や」
「ムダなのに、仕事熱心だこと」
いきなりのご挨拶で先制パンチです。
ハーレム十二嬢姫の乙女たち。シルエットがぼんやりと浮かびます。
シルエットに浮かぶグラマラスな身体のライン、声も大人の雰囲気です。
「説得には応じないわ。みんな姉妹の契りを交わしているの。抜け駆けもしない」
これは聞き捨てなりません。
逃げ出さないように、仲間内で相互監視しているのでしょうか。
「皆さんとお話をしに来ただけです」
「そんなことを言って、油断させようとしているのね? 抜け目のない子だこと」
「あたしたちの絆は、切り崩せないわ」
「一昨日も大臣が説得に来たけれど、私が骨抜きにしてあげたわ!」
「フフフ……! パンツ一枚で帰っていったっけ」
キャハハ、と笑い声が響きます。
「そうですか」
声の感じ、立ち振舞いからみても、年齢的に上の乙女たちでしょう。実質的なハーレム殿の支配者かもしれません。
幕越しに相対する三人の位置関係から、それぞれの名前は把握できそうです。
魔法の杖『携帯魔法端末』を指先で操作し、対人認証術式を励起します。
個人識別術式で個人特定。城内の人事データベースと照合します。
リガルターノさん、28歳。
メルカリアさん、27歳。
クリスマークさん、26歳。
なるほど、十年超えのベテラン勢でしたか。
ハーレムには毎年一人ずつ追加されます。成人となる16歳でお輿入れし、29歳でお役御免……という流れです。
あと数年もすれば、この乙女さんたちは晴れてご卒業だったはず。
そして、残りの人生を遊んで暮らせるほどの、退職金を手に出来たはずです。
その前にハーレムが閉鎖することになり、大臣は「退職金の上乗せ」交渉をされたはず。
となれば、お金が欲しくてゴネている、というわけでもなさそうです。
退職金を手に故郷や実家に戻る。それが彼女たちにとって最善だと思いますが、単純にはいかない事情があるのでしょう。
悩み、わだかまり、不安や不信を紐解かないかぎり、交渉は難航するでしょう。
「あの、すみませんリガルターノさん。大臣は退職金の上乗せ交渉をしに来たはずが……。ご満足いただけませんでしたか?」
「……! その名をどうして知っているの!?」
「あ、源氏名は存じ上げないので、本名でお呼びしますが、いけませんか?」
乙女たちの雰囲気が変わりました。
「故郷に捨ててきた名前よ……。王族エリアに出入りできる、最上位の魔法師……?」
「その子……ちいさなハーフエルフ君が?」
「うそ、信じられない」
「交渉のために、権限を与えられただけです」
「あなた……本当に、交渉人なのね」
「そう申し上げたつもりですが」
思わず苦笑します。
まぁこの見た目では信じてもらえませんよね。大臣閣下の後に、子供みたいな魔法師が来ても。
新人の魔法師、伝書鳩程度と思っていたのでしょう。
けれど実は交渉の全権を委任されています。
個人情報は城内の人事データベースから引き出せます。それに金庫番の大臣閣下、国境を越えて移動する場合に必要な内務省、外務省のお偉い様との連絡も交渉も、すべて認められています。
直接交渉し、協力を頂ける手はずになっています。
魔法師の長老様より「適任じゃ!」と推薦を頂きましたが、身に余る光栄です。
「メルカリアさんに、そちらはクリスマークさんですね。ここは腹を割ってお話ししませんか? 見ての通り、経験不足で。腹芸はぜんぜん得意じゃありませんし……」
ユリトは攻勢をかけます。人間、コミュニケーション力がものを言うときもあるのです。
「なぜ、平気なの?」
「え?」
もう一人が話しかけてきました。メルカリアさんのようです。
「このハーレム殿には、特殊な魔法がかけられているの。王さま以外の男が足を踏み入れると、色香に惑わされて正気を失うのよ?」
「あの偉そうな大臣も、力ずくでどうこうしようって輩もね……! 脳みそが股間に食われちまう」
大臣が病欠で不在と小耳に挟んでいましたが、そういうことでしたか。
「その話なら存じあげています。でも、僕には効かないみたいです」
平然とユリトはこたえました。静かに魔法の杖を握りしめたまま。
正直、乙女の色香は魅力的ですが、それ以上、なんとも思いません。
「貴方は、何者なの?」
「王宮魔法師なりたての、ユリトです」
「その耳、エルフ族の血を引いているのね」
裏側には「子孫をあまり残さない」という意味が込められています。特に成人男性のエルフは。
ユリトの場合、人間の父とエルフの母をもちますが、99%はそのカップリングみたいです。
「でもハーフエルフだって、男としての本能、抗いがたい性欲はあるはずなのに……!」
動揺する気配が伝わってきました。
ユリトは一歩、ハーレム殿に踏み込みます。
「あなた、実は女の子……?」
「可愛いものね」
「確かに……!」
もう、納得しないでください。
「いいえ! 男です!」
何はともあれ、ハーレム乙女たちを結束させ、解散に反対しているのは、この年長の乙女たちのようです。
しばらく話しているうちに、リガルターノさんが幕の向こうから姿を見せました。
「でも……気に入ったわ」
すらりと背の高い美人でした。顔は非の打ち所のない美形で、思わず息を飲むほど。ゆるやかにウェーブした髪が腰までかかっています。
「お目にかかれて光栄です。リガルターノさん」
「近くで見ると、骨格は男の子って感じね。危うく騙される男がいそうだけど……」
「いえいえ、そんな」
どう反応してよいか困りますが、ここは愛想笑いでごまかします。
「大臣は退職金の上乗せを提案してきたわ」
「それでは不満だった、ということでしょうか」
「不満……? いいえ、お金は十分よ。私たちはただ、身の安全を保障して欲しい。そうお願いしたの。だけど金を渡すの一点張り」
だから交渉決裂した、というわけですか。
「身の安全なら保障する事に関しては、王政府の名において保護を約束しています。ご自宅に帰省するまでの道中はもちろん、他の土地に移り住みたいというご要望でもお応えします」
ユリトは与えられた交渉権のすべてを明かし、言いきります。
「わかっていないのね。家に送り届ければ終わり。そう思っているのなら、君も大臣と同じよ」
リガルターノさんは失望の気配を浮かべました。背後の二人も同じ空気を感じます。
「ま、まってください! どういう意味ですか? 教えてください」
ユリトは食い下がります。折角のチャンス。逃してなるものか。
「ハーレム殿帰りの汚れた娘……。古い土地で受け入れられると思う?」
「家の面汚し」
「帰ってからが地獄よ」
「お金目当てに」
「殺されてしまうかもしれないの」
口々に言葉をこぼします。
「……あ」
ユリトは息を飲みました。
そうか。乙女さんたちは、身の安全を保障してほしいと頼みました。つまり王城からご実家までの道のりの安全はもちろん、更なる願いがあったのです。
「君にできるかしら?」
「わたしたち全員よ?」
「救うことができて?」
ようやくわかりました。
王宮魔法師の長老さまが言っていたことが。
――ハーレム乙女たちの社会復帰をサポートするのじゃぞ。
新しい人生の再スタートまでの安全を、いえ。それからの人生も幸せでありたいと、乙女さんたちは願っているのです。
どうして気づかなかったのでしょう。
「大丈夫です! まかせてください。そのために、僕が来たのですから!」
細い身体に気合いをこめて、ユリトは言いきりました。その気迫に打たれ、リガルターノは小さな魔法師を見つめます。
「信じていいの?」
真っ直ぐで澄んだ瞳。まるで森の大気のように、清涼な光を湛えています。
「はいっ!」
力強く頷きます。
「全員を救ってくれなきゃ、ダメなのよ」
「頑張ります。できる限りの事をします。ですから皆さんも僕と……」
「ユリト!?」
不意に、ユリトを呼ぶ声がしました。
幕の向こうから駆け寄ってくる気配がします。ほかにも数人いるようです。
「メリアさん?」
「お姉さまたちも……! ユリトとお話しを?」
「メリアも出てきなさい」
「でも……よろしいのですか? お姉さまは決して顔を出すなと」
「もういいわ、ユリト君ならね」
「ありがとう! お姉さま!」
今日はそもそも、メリアさんと友達になろうとして来たのですが、思わぬ展開になりました。
「籠城は終わりよ。それぞれの悩みを、不安を、みえない未来への悩みを。この可愛らしい魔法師様に聞いてもらいましょう」
ハーレム殿に向かって声をかけてくれました。
「リガルターノさん……!」
「あたしたちの悩みを聞いてくれる?」
「可愛いし、大臣よりは信じられるかな」
メルカリアさんとクリスマークさんも姿をみせました。黒髪と青い髪が印象的な美人さんたちでした。
「ず、ずるーい! 私が最初! ユリトと友達になったんだから!」
飛び出してきたのは栗色の髪の少女でした。
ユリトと同い年ぐらいの、丸いくりくりとした瞳が印象的な、イメージ通りの娘です。
「メリアさん……! そうですね、約束でした」
「今日は来てくれてありがとう! って、後ろのその子は……誰?」
メリアさんはユリトの手をとりつつ、背後の人物をけげんな表情で睨みます。
「あ、これは僕のつくったゴーレムで……。皆さんの身代わりに、あちこち行けるアバター、分身です」
「分身?」
「どこにでも行ける?」
乙女さんたちが顔を見合わせます。
「えぇ。ここにいながらにして、安全に。視界を共有して経験できるんです。城の中はもちろん、街だって!」
「すごい! それで外を見て回れるの? どこへでも?」
メリアはぐいぐいと顔を近づけてきます。
乙女耐性があるとはいっても、さすがに……ちょっと照れます。
「もちろん。どこへだって、行けますよ」