血だらけの、幼なじみ
神聖ヴァームヴゥフェン王国のお城は、とても大きくて立派です。
飛んで空から眺めれば、巨大なニンジンを逆さまにしたような円錐形をしています。城全体がクリスタルな鱗状のタイルで覆われていて、昼夜を問わずキラキラと輝いて見えるのです。
「腹がへって歩けねぇ」
「がんばって歩いてよ、ドムニカ」
ドワーフのドムニカは体格のいい女の子です。ユリトよりも横幅が大きくて燃費効率が悪いのか、いつも腹ペコ。
とはいえ背負って進むわけにもいきません。励ましながら食堂までの長い道のりを進みます。
「現場みたいに出前が来てくれればいいのになぁ」
「そんなのありませんし」
ユリトは苦笑しますが、魔法で使役人形を造り、お食事を運んでもらう手はあります。
でもイタズラ好きな他の魔法師さまに、運んでいる最中に何をされるかわかりませんが。
城の中はとても広くて、まるで一つの街のよう。端から端まで歩くだけでも疲れてしまいます。敵の侵入に備え廊下は曲がりくねり、意味もなく分岐しています。
第一層はいろいろな商店が軒を連ね、生活に必要なものは大抵買い揃えることができます。
「やっと一階だ」
「もうすこしですよ」
五層ほど重なったフロアは、中心を巨大な吹き抜けが貫いています。
中心には神聖樹――不死の神木があるのです。
不老不死の針葉樹は、国名の由来となった神聖なご神木。何千年も前からここにあるらしく、城はあとから覆うように建築されたのだとか。
各フロアは階段や、魔法で上下する昇降機でつながっています。
誰かが『美しい蟻塚』と呼んだらしいのですが、言い得て妙です。
ドムニカとユリトはすれ違う同僚や知り合いと挨拶を交わしつつ、地下への階段を降りてゆきます。
「やっと……ついただ」
「食堂はまだ混んでいませんね」
地下は地上と同じように明るく快適です。
目の前に広い食堂があります。何百人もの人間が食事ができる大きなフードコートです。安くて美味しい、いつでも食べられるのでお城で働く人々の多くが利用します。
偉い人や貴族さまはほとんど来ない、庶民的な巨大食堂なので、気兼ねなく食事やお酒が楽しめます。
「今日のA定食はトマトソース、B定食は甘酢ソースですか。トマトがいいですね」
「Aは若鳥、Bは羊かぁ。羊肉が食いてぇだ!」
ユリトとドムニカのチェックするポイントは違うようです。
フードコートは岩を削った空間になっています。武骨な柱が無数に林立し、その間に丸テーブルがキノコみたいに並んでいます。
柱には香油ランプが灯され、時間的にはディナーの雰囲気です。
「A定食ひとつお願いします」
「あいよ!」
ユリトは注文カウンター越しに、鶏肉のトマトソース煮込みとパンのA定食を頼みます。
「おばちゃん! オラはB定食3つ大盛りね!」
「あいよっ! 大盛り3つ!」
「みっつて……」
「これぐらい普通だべ」
ドムニカが豪快に注文します。いつものこととはいえよく食べます。人の三倍は余裕で食べる娘です。
食事の載ったトレイを受け取りテーブル席へ。
顔見知りの先客がいます。みなさん仕事を終え、食事しながらのお酒とおしゃべりに夢中です。ちなみに水とお茶は無料ですが、果汁やワイン、エール酒はワンコイン追加です。
「いただきます」
「いっただきます!」
「……美味しい」
「うんめぇっ!」
ふたりで向かい合ってパクつきます。
座った席はフードコートの端でした。ここからは地下水路が見えます。広い洞穴のような空間です。
明かりが灯され、地下運河を船がゆっくりと移動しています。
対岸は物流拠点になっていて、船がゆっくりと荷を運んできます。地下は王都全体に張り巡らされた地下水路を利用した運輸網がひろがっているのです。
「ところでよ、ユリトは何か大きな仕事をまかされたんだっぺ?」
一人分を前菜のように平らげ、ドムニカが尋ねてきました。詳しいことは極秘なので他人には話してはダメな決まりです。
「えぇまぁ。魔法師としては難しい部類だと思います」
ちょっと見栄をはりました。友達ですから、それぐらいいいですよね。
「そりゃすげぇな!」
「でしょうか」
「あぁ! それに引き換え、オラは明日も岩盤掘りだぁ。硬い岩が砕けなくてよ、大変なんだこれが」
羊肉を噛みつつ近くの岩の柱を眺めます。ドムニカ瞳の色は鳶色で、まつげが剛毛です。
「岩……ですか」
そういえば。ハーレム殿は『天岩戸』のようでした。固く閉ざされた岩の扉。
そう考えると悩みは似ているかもしれません。
「んだ、鋼のバンカーも、先輩の土魔法でも砕けねぇんだ」
「そういうときはどうするの?」
「ま、方法はあるで」
「どんな? 参考に聞かせて欲しいな」
ドムニカは二皿目のスープを飲み干すと瞳を輝かせ、むふんと笑います。人間、得意分野を聞かれると話したくなりますものね。
「ひとつめは、コツコツ時間をかけて削って削って、何年かかろうが削り、砕く!」
「直球勝負ですね」
ドワーフならやりかねません。
「ふたつめ。炎と魔法で加熱して、水で一気に冷やす。すると脆くなるから崩しやすいんだな」
「揺さぶりをかけるわけですか」
人間に例えるなら優しくしたり冷たくしたり、ということでしょうか。うーん、難しいです。
「みっめは、岩の周りを掘り進む。迂回するように掘りすすむと、やがて岩本体が動く」
「外堀作戦ですね」
「んだ」
なるほど、現場の経験者の話は参考になります。
「なんだぁユリトは、大きな岩にぶちあたっとるん?」
「まぁ、そんなところですかね」
怪訝な表情をするドムニカ。
と、声がしました。
「おーい! ドムニカ、ユリト!」
水路を進む舟の甲板に男がひとり、こちらにむかって手を振っています。
船は魔法装甲の施された小型の強襲揚陸艇。王国軍の用心棒にして斬り込み部隊の海兵隊です。
「あ……」
「うるさいのが来ただ」
「俺様も飯を食うぜ! とうっ!」
豪快な声を響かせて、水路を進んでいた舟から一人の男がジャンプ。人並外れた見事な放物線を描き、フードコートの縁に降り立ちました。
「っと、へへ! 待たせたな」
魔法の機動アシストジャケットです。鎧と腰に下げた剣の鞘がガシャリと音をたてました。
屈強な細マッチョ。栗色の髪をびしっと逆立てた戦士です。
「ヘルクート、仕事帰りですか?」
「……ユリト! ま、まぁな」
キリッとした眉に、やや目尻の下がった甘いマスク。口元には不敵かつ余裕じみた笑みを浮かべています。
彼の名はヘルクート・ジャングス。
同郷の村出身で一年先輩。
普通の人間種ですが、子供の頃から知っています。ドムニカとおなじ「幼なじみ」の腐れ縁というやつです。
「おめぇなんて待ってねぇだ。てか、全身血まみれでねぇか、汚ねぇな」
「ドムニカがそれを言いますか……」
泥まみれで図書館にきたくせに。
「これか? 討伐した野獣の返り血だから心配ねぇ!」
「おめぇの心配なんてしてねぇだども」
「ドムニカ、おめぇは可愛くねぇなぁ」
「悪かっただな!」
ふたりはいつもこんな調子です。
仲良しというか、なんというか。でも実はドムニカはヘルクートを好きなんじゃないかと思います。
ドワーフの女の子と血まみれ戦士の大声に、食堂の注目が集まっています。恥ずかしくて、おもわず小さくなります。
「まぁまぁ、ふたりとも。ヘルクートの心配はしていませんが、他のお客様の迷惑になります。その姿をみたら食欲を失くします」
泥よりも血は衛生面でもよくありませんし。
「あ……そうか、すまねぇ」
「なんでユリトが言うと素直なん!?」
「仕方ありませんね、魔法で綺麗にしましょう。……えいっ」
ドムニカのときと同じ魔法を使います。
野獣の血は地下水路へと転送、鎧も全身も綺麗になりました。
「お、おぉ! ありがとよユリト! こんなことなら川で水浴びすりゃぁよかったな、ハハ! おっとそうだ、おばちゃん! A定食3つとB定食3つね!」
「あいよ!」
「六つも!?」
「あたぼうよ! これぐれぇ余裕ってもんよ」
「はは……」
なんでこんなに大食いばかりなのでしょう。ユリトは思わずため息を吐きました。
定食を受けとりユリトとドムニカの席に、どっと腰を下ろします。そして猛烈な勢いで食べ始めました。
まるで野獣です。
「よく食べますねぇ」
「んがっ……だってよ、昼飯抜きで野獣どもと連続バトル! 斬っては投げ、斬っては……! ンゴホゴ!」
声がうるさいです。いちいち動きも大きくて、見ていて面白いのですが。
「ほれ水!」
「すまねぇドムニカ」
豪快に食べる姿をユリトは呆れつつ、楽しそうに眺めていました。
ヘルクートは村のガキ大将でした。
でも、ほかの悪ガキたちがユリトを酷くいじめても、さりげなく守ってくれました。
実は優しくて、頼りになる兄貴的存在。
それは、たぶん今も変わりません。
「ふぅ……。そうだ、土産があるんだ」
「なんだべ!?」
ドムニカが瞳を輝かせます。こういうところは乙女ですね。
「た、たまたま偶然みつけてよ。野獣討伐前の拠点の町で……。ろ、露天で売ってたから、ついな」
恥ずかしそうに、急にしどろもどろになりました。
懐から取り出したのは、緑色の葉っぱを象った、小さな髪飾りでした。
「センスいいでねぇだか」
「そ、そうか?」
ドムニカに誉められ赤面するヘルクート。
「えぇ、可愛いです」
ドムニカにもきっと似合うでしょう。
「そのな……ユリトに似合うかと思ってよ」
「なっ」
「僕に……ですか?」
思わず絶句するドムニカに、不意を突かれて驚くユリト。
「髪色に合う感じだったんで、つい買っちまったんだ。たまたま、そう……たまたまな! 嫌ならいいんだ」
目をときどき逸らしながら、言葉を紡ぎます。
「あ……」
ヘルクートは昔からこうでした。
木登りの得意な彼は、果物の実る樹に登り果実をもぎ取って、手下や子供達に分け与えることがありました。ユリトは離れた位置で見ているだけでした。でも、最後に懐に忍ばせた一番甘い果実をくれたのです。「たまたま残ってたからよ」と照れ臭そうに言いながら。
優しい兄貴、それは今も同じでした。
「ありがとう、ヘルクート」
精一杯の微笑みを返します。
「お……おぉ! おうよ! へへ」
「嬉しいです。でも……付け方がわからないので、つけてもらえますか?」
「――ぶっ、いっ……いいぜ」
ちょっと小首をかしげると、ヘルクートが震える手を伸ばします。
ふほー、ふほーと鼻息が荒いです。
「ヘルクート?」
「触るぜ……ごくん」
ユリトのエルフ耳にかかるさらさら髪に、ぎこちなく指を伸ばし、そして髪飾りをつけました。
「……似合います?」
「いい、いい感じだ」
「ありがとう、大事にしますね」
人からの好意がこんなにも嬉しいなんて。おもわずユリトは小花のように微笑みました。
「ふほぉ……!」
と、正面でドムニカが凄い形相で睨んでいます。
半眼の湿ったジト目です。
「ばっ……、ばかでねぇか!? そういうもんは普通、オラの分で買ってくるもんだっぺがぁ!」
ドワーフの怒号が響きます。またもや注目が集まります。お? 痴話喧嘩だ、と歓声が聞こえてきます。恥ずかしすぎます。
「なんでぇ? あぁそうだ、それなら心配すんな! へへっ。おめぇの分もちゃーんとあるぜ」
「あっ、あるだか?」
ホッとしたようすのドムニカ。流石ですヘルクート、やっぱりできる男です。
「もちろんだぜ! ……ほら、魔獣の乾燥胆臓! 欲しがってただろ? エナジー補充にいいってよ」
爽やかな笑顔を浮かべるヘルクート。
「こんの、アホぉおおおお!」
ドムニカは顔を真っ赤にして感情を爆発させました。
「なんでだよ!?」
「あわわ……!?」
これ、修羅場ってやつでしょうか……?
次回、ユリトをハーレム乙女の修羅場が襲う!