泥だらけの、幼なじみ
◇
天井までびっしりと書物が並んでいます。
林立する書棚は迷路のよう。ジャンルごとに分類され、魔導書、医学書、妖精学に歴史書……と、王国内に現存するありとあらゆる書籍が集められています。
王宮の図書館。王城の2階部分のおよそ半分を陣取るのは人類の叡知、王立図書館です。
王宮で働く者なら出入りは自由。いつでも好きな本を閲覧できます。
あぁ、なんて素敵なんでしょう!
中には禁書庫もあって、王族とごく一部の上級魔法師様以外は出入りできない、なんて秘密めいた場所もあるのです。
「んっ!」
ユリトは書棚の中から、お目当ての本を探し当てました。
神聖ヴァームグリフェン王国年代記。その近代史を記した最新刊です。
「んーっ!」
……とどきません。
背が低いユリトは踏み台が必要のようです。
魔法を使って浮かせて本を取るのも、格好が悪いです。
つま先立ちをして、なんとか引っ張り出そうとしますが、あとすこしで手がとどきません。
「く……」
すると、不意に後ろからすっと手が伸びて、本をつかんで引っ張り出してくれました。
「こちらですね」
「あっ……ありがとうございます! ……マリアテリュスさん」
「いえ、どういたしまして」
クールなすまし顔でメガネをくいっと動かします。
図書館の主、司書長のマリアテリュスさんです。
長い綺麗な黒髪をきゅっとひとつに結び、いつも険しい顔で図書館の利用者を睨んでいます。
本を大切に思う方なので、誰であろうと雑な扱いは許さない。そんな信念を感じます。その揺るがぬ姿勢、見習いたいです。
先輩曰く、三角形のザマスメガネ(?)が印象をキツめにしているとか。確かに、こうして見上げるお顔は女神さまみたいに綺麗です。
実はかなりの美人さんだと思うのですが……。
「なにか?」
「あっ、いえ。綺麗なお顔だと思って、つい」
「んまっ!?」
大声を出しかけたマリアテリュスさんは、顔を赤くしました。ぼふっ、と三角メガネが曇ります。
「だ、大丈夫ですか!?」
けれどそれは一瞬でした。
「……なんでもありません」
すぐに平静に戻ります。すごい、心の乱れを感じさせません。
「すみません、急に変なこと言って」
すぐに思ったことを口にしてしまうのは悪い癖です。反省しないといけません。
「コホ……ン。と、とにかく、図書館ではお静かになさってくださいね」
「はい……」
マリアテリュスさんは、すたすたと去ってしまいました。途中で一度だけ立ち止まり、こちらを振り返るとメガネをくっと動かして。
「魔法師になられたのですね、ユリト君」
「ここで勉強させていただいたお陰です」
ユリトが魔法学徒だった時分から、図書館はよく利用させてもらっていました。マリアテリュスさんはそのころから親切でした。見つけられない本を見つけてくれたり、借りたい本を取り置きしてくれたり。
本や言語学にも詳しくて、優しくて素敵な司書様です。憧れます。
魔法師になれなかったら、司書になりたかったなぁ。とユリトは密かに思っていたくらいです。
「がんばってくださいね」
「はいっ」
机に座り、分厚い書籍をめくります。
「さて、と」
ぺらぺらとめくると、最終ページの少し前。そこにハーレムについての歴史が書かれていました。
神聖ヴァームクーフェン王国の王宮、その奥に存在するは女の園、ハーレム。
絶倫先王ミナギュール様が作ったのは周知の事実です。しかし、時代は移り変わりました。
一夫一妻の純愛婚へ。
愛する人と幸せになって一生添い遂げる。そんな価値観が主流になりました。
もはや一夫多妻や欲望を満たすハーレムは時代遅れ扱いです。世間の風当たりも他国からの評判もよろしくない。ハーレムとして機能していたのは、先王の時代まで。
そこで廃止がきまったのでしょうが……。
大切なのはこれからです。
ハーレム乙女を外に連れ出す方法。
それを考えないといけません。
異国の神話、天岩戸に関する本も探したいところですね。
「あー! やっぱりここにいた、ユリト!」
図書館の静寂を破り、ユリトの名を呼ぶ声がしました。
司書のマリアテリュスさんが声の主にむかって、しーっと唇に指をあてます。
「すまねぇえだ!」
「ですからお静かに」
「ドムニカ?」
気を使っているつもりなのでしょうが、それでも大声なのは、彼女の地声が大きいからです。
ずんぐりとした体型に、ユリトの倍はありそうな、太くてみじかい手足。
まるくて愛嬌のある顔に、ぺちゃっとした鼻。二つに結い分けた赤茶色の、ゆる編みのお下げ髪。
ドワーフ族の女の子、ドムニカ。
くりくりとした子犬みたいな目を輝かせ、笑顔でぶんぶんと手を振って近づいてきます。
「仕事おわったのだか? オラもおわったとこだ」
「ドムニカ、靴が泥だらけ……」
「仕方なかっぺ、王城の施設管理なんだから」
あっけらかんと笑います。
「それはそうだけどさ」
彼女の名はドムニカ。
ユリトと同じ城で働く仲間であり、同郷の村出身、古くからの友達、いわゆる幼なじみです。
「汗と泥なんて、オラ気にしないど?」
「気にしてよ、もう」
気が緩み、口調も砕けてしまいます。
ドムニカは城では数少ない同郷の友達です。
勤め先は王城施設管理省。壁を直したり、部屋を作り替えたり、秘密の通路を掘ったり。いろいろな土木関係のお仕事をしています。
それはドワーフ族ならではのスキルを活かした天職でしょう。仲間や先輩たちと、毎日汗を流しながら楽しそうに働いています。
ユリトよりもずっと力持ちで、パワフル。身体も丈夫、少々のことではくじけません。
ガテン系の女の子です。
「コホン……」
マリアテリュスさんがすごく睨んでいます。手にモップを持ち、抗議したげな顔つきで、床をコツンと柄でつつきます。
ドムニカの通ったあとには泥が点々とついていました。
三角メガネの向こうから、なんともいえない鋭い視線を感じます。
「もう、ドムニカは。……仕方ないなぁ」
魔法の杖『携帯魔法端末』をそっと操作して、汚れまくったドムニカの靴に差し向けます。
「お……?」
「動かないで」
――不浄なるもの、座標設定簡易転送トゥ植木鉢
簡単な魔法を組み合わせ、不浄なる汚れ、つまり泥だけを近くの植木鉢の中へと転送します。
キラキラと光が瞬いて、ちいさな魔法が弾けました。
「おぉ!? 綺麗になっただ!」
座標設定なしの空間転移は、室内でしか使えませんが『不浄なるもの』すべてが転送されます。ドムニカの汚した床も一瞬で綺麗になりました。
こつん、と魔法の杖で床を鳴らします。
微笑みながら一礼をすると、マリアテリュスさんは苦笑しながらため息を吐き、司書のテーブルへと去っていかれました。
「ありがとユルト。ついでにオラの汗で汚れた身体も、綺麗にしてくれると嬉しいんだけども」
「それはお風呂に入りなよ……」
「えへへ」
ドムニカは相変わらずです。土と汗の匂いがします。それは懐かしい、よく知っている匂いです。
「お腹空いたのだ、地下食堂に食べにいこ!」
昔からずっと変わらない、屈託のない笑顔にほっとします。
ユリトが戦災孤児、汚れたハーフエルフだと大人たちが陰口を言っても。ドムニカだけは変わりませんでした。ずっと仲良しで笑顔を見せてくれました。
「そうですね、ドムニカ」
これが友達のいいところですね。