開かざる、天岩戸(あまのいわと)
◇
――王宮ハーレムは解散じゃ。
ユリト、おまえはハーレム乙女たちの社会復帰をサポートするのだ。誠心誠意、がんばるのじゃぞー、じゃぞー……。
窓から見える青空の向こうに、魔法師協会長老のしわくちゃな笑顔が浮かび、声をリフレインさせながら消えていきました。
あ、長老はお元気です。
――長老、わかっています。でも、口でいうほど簡単ではなさそうです。
ハーレムを後にしたユリトは、王城の通路を進んでいきます。
ハレーム殿は緊張しました。
まだ心臓の鼓動が早くて、顔が火照っています。
「はぁ……すこし疲れました」
太陽は傾きつつありますが、夕飯まではまだ早い時間です。
廊下の窓から見える王都の空には、乗用翼竜が何頭も飛んでいます。
他にも、空には四角形の幾何学的な物体が飛行しています。陽光を撥ね返しながら素晴らしい速度で飛んでゆくあれは、魔法師の操る飛行結晶の輝きです。
あの速度で飛べるなんて、上級魔法師さまでしょうか。ユリトも初歩的ながら飛べるのですが、フワフワフラフラしてしまいます。
王城の二階にある王立図書館で本を読んで、心を落ち着けましょう。本を読むと平常心にもどりますからね。
ユリトは迷路のような城の中を進んでいきます。
「こんにちは、魔法師さま」
「お疲れさまです!」
すれ違うメイドのお姉さんたちと挨拶を交わします。小声で「可愛い……!」とか言うのはやめてほしいです。これでも男の子ですから。
「おぉ、魔法師さま。ユリトさん、明日、ご相談をしたいことがあるのですが」
「僕でよければ。なんでしょう?」
「北側の橋なのですが、基礎石の魔法呪印が消えかかっておりまして。見ていただきたいのです」
ハーレムのお仕事はありますが、一日中かかりっきりというわけにもいきません。魔法に関する雑務をこなすのも王宮魔法師の務めですから。
「わかりました! では、明日」
「えぇ、お待ちしております」
互いに優雅に一礼をします。
今のは王政府のお役人の……。お名前はたしかトチナンドさま。施設管理官の偉い人です。
それにしても、城の中はいろいろな人が行き交っています。
王政府の官職のみなさんや、衛兵さんたち。それに……王宮魔法師も。
「よぉユリト、無事に戻ってきたのか?」
先輩の魔法師、ヤミューゾさんです。ひょろりとした背丈に赤い上位魔法師のマント。カマキリみたいな細い顔に撫で付けた金髪がキマっています。
「こんにちはヤミューゾさん。ごらんのとおり、無事です」
「ハーレム殿に行ったんだってなぁ? で、男にしてもらったかぁ? んー? フフフ」
背の低いユリトを見下しながらニヤニヤしています。
「おっしゃっていることが、わかりません」
「おいおいー? トボけんじゃねぇよ。あそこにゃ何人も突撃して、失敗してんだよ? 理由は……グヘヘ。言わなくてもわかるよなぁ? はじめての、ボクちゃんでも、ングフフフ」
なんですかその下品な顔は。
名家の生まれのエリートさんらしいのですが、正直ちょっと苦手です。田舎の村出身のユリトをことあるごとに小馬鹿にするからです。おまけにハーフエルフであることも。
「とてもにぎやかな場所でした。乙女の皆さんとはお話をしただけです」
「ほぉお? で、どうだった? んー?」
「すこし友達になりました」
「はぁ!? 友達ぃい? 何いってんだおま……」
そうだ、先輩にハーレム乙女さんたちの説得に協力いただきましょう!
「先輩、お暇ですか? もしお時間があるなら手伝っていただけますか?」
そうです、なかなかいい考えです。興味もおありのようですし。
「だっ……! だれがあんな魔窟なんかに行くか……! 冗談じゃねぇ。お、俺は忙しいんだ。おまえが任された仕事だろ? ちゃんとやれよ。俺は後輩の仕事にまで手がまわらないんだよ。じゃぁあな!」
すたすたと去ってしまいました。
急にどうしたのでしょう? そんなにお忙しいのに、後輩にお声をかけていただき感謝です。
「では、僕も失礼ます」
ぺこりと先輩の背中に頭を下げ、ユリトも歩きだしました。
でも気になることを言っていました。
「魔窟……?」
ハーレム殿は簡単に行き来できない城の奥、王族のプライベートルームに隣接しています。
ユリトは王宮魔法師ですが、行き来するのはたいへんです。特別な許可――魔法の通行許可が必要な、秘密の隠し通路を通って、ようやくたどりつくのです。確かにあそこは暗く、封印された場所のようです。
ハーレム殿は簡単に踏み込めない領域。
魔法の結界だらけでした。
流石は先輩、いろいろとご存じなのですね。
ユリトは歩きながら回想します。
今日、はじめて足を踏み入れた、ハーレム殿のことを――。
◇
「この友達アカウントで、ユリト君とメッセージ交換ができるのね、おもしろーい」
「えぇ。文字を打ち込んでもよいですし、音声入力でも文字に変換してくれます」
「へぇ……!」
>【メリア】いいね!
「お上手です」
「えへへ! 魔法師さまに誉められた」
メリアさんのお顔は拝見できませんでしたが、明るい声です。人懐っこい感じで、同じ年ごろでしょうか?
>【メリア】気軽に話してもいい?
>【ユリト】もちろんですとも。いつでもどうぞ
>【メリア】ありがとう
「ちょっとメリア、なにこそこそして!」
「私も……送ってみたい……」
「ダメよ騙されないで」
ほかの乙女さんたちからの返信はありませんが、興味はお持ちみたいですから、まずは成功です。
「それでは、今日のところはこれで失礼します」
魔法の杖『携帯魔法端末』を握りしめ、優雅に一礼。
ペコリと頭を下げて下がります。
今日は挨拶だけということで退散です。
ハーレム殿の入り口から奥は窺い知ることができません。かろうじて乙女たち――覇愛麗夢十二嬢姫のシルエットだけが浮かんでいます。
あのなかのどれかがメリアさんなのでしょう。
向こうから自主的に出ていただかないと、手の出しようがありません。
なぜなら、ハーレムには強力な『結界』が幾重にも張り巡らせているからです。
結界の目的はふたつ。
ひとつめは「王族の資格」を持たない侵入者を拒むこと。
ふたつめは乙女たちの逃亡を阻止すること。
ふたつめの「逃亡阻止結界」に関しては、すでに解呪されています。
先代の魔法師長老ディブログア様の作品らしいのですが、王宮魔法師の先輩方が数人がかりで解呪してくださいました。
つまり、ハーレム乙女さんたちは自由の身。
出たいのなら出られます。
望めば、どこへだって行けるのです。
ですが……。
ここでの快適な生活に慣れすぎて、外への拒否感があるようです。
まるで、異国の神話にでてくる『天岩戸』のよう。確か女神さまがひきこもり、出て来なくなるお話でしたね。
あれは……どうやって、外に連れ出したのでしたっけ?
あとで王立図書館にいって調べ直しましょう。
何か参考になるかもしれませんし。
ユリトの『魔法の目』による視界には、淡い魔法円の光が揺らいでいます。
入り口、壁、窓に天井。ハーレム殿の全体をつつむ帳のよう。この「侵入拒否の結界」は聞いていた以上に強固です。
こちらは簡単には解呪できないみたいです。
踏み込めば、体内の魔素――微細魔法詠唱素子は機能を停止してしまいます。別に怪我はしませんが、魔法師としては致命的。簡単にいえば丸裸です。
魔法を励起できなければ、ユリトは魔法師ではありません。
猛獣の檻に放り込まれた小動物も同じこと。
性的な意味でもすっぽんぽんに剥かれ、弄ばれてしまうでしょう。
「いつでも遊びに来てねぇん♪」
「二度とくるんじゃねぇ、ボケナス!」
「あのね、服を脱いだら中に入れるヨ!」
『覇愛麗夢十二嬢姫』の乙女たちは、口々に別れの言葉を発しました。
「はい、また明日、お伺いしますね!」
まずは、コミュニケーションをとらないといけません。何事も一歩から。本日の目的は達成しました。
乙女のみさまへのご挨拶、そしてコミュニケーションをとること。『ともだちアカウント』をハーレム乙女の皆さんに送信できました。
「うん、焦りは禁物です」
慎重に、ゆっくりと。
ユリトの足は、自然と図書館に向かいました。