プロローグ
「さぁ新しい人生を始めましょう!」
ちいさな魔法師――ユリトが優しい微笑みを浮かべます。
「ここから?」
「はい。ここには貴女を知っている人は誰もいませんから」
ユリトは、傍らの少女にそっと手を差し伸べました。
少女はつい先日までハーレム殿に囚われていました。彼女の名はラウリア。青い瞳とウェーブした金色の髪に目を奪われる、とても綺麗な少女です。天涯孤独でひとりぼっち、行く宛のない娘でした。
そんな彼女にとってハーレム殿は唯一の拠り所でもありました。仲間がいて、それなりに楽しく暮らしていたのですから。
でも、ハーレムは閉鎖されました。
真の愛を見つけた王様が閉鎖を決めたのです。
ラウリアは孤独に逆戻りすることに絶望しました。でも、救いの手が差しのべられました。
今日からあたらしい人生が始まるのです。
「行きましょうラウリア、準備は全て整えてあります」
ハーレム乙女の再出発をサポートする。それが王宮魔法士、ユリトの役目です。
そこは広大な草原地帯でした。果てしなく広がる緑の海を、風が波のように揺らしています。
なだらかな丘陵が連なり、合間を縫うように続く道が小さな町へと続いています。
浮遊する水晶――飛行結晶魔法の輝きが空を滑るように飛行し、町へ近づきます。
「着陸します」
「は、はいっ」
音もなく町の入り口に降り立った水晶が、幾何学的な立体パズルを解くように消えてゆきます。
空間に結晶構造の結界を構築、空間を切り離して浮遊する。空を飛ぶ魔法は、ユリトのように王宮魔法師ならば誰でも使えるのです。
「さぁ、着きましたよ」
「わぁ……!」
ユリトがラウリアの手をとり、町へ導きます。
ラウリアは目を輝かせました。
「ここがラムラースの町。羊の毛を使った、織物で有名な町です」
「素敵……!」
初めて見る町は、落ち着いたところでした。
騒がしくもなく、静かすぎず。町の人達は穏やかな雰囲気で、買い物をしたり、荷物を運んだりしています。
中央広場の噴水の周りでは、明るく笑う子どもたちが大勢いました。
「子供が安心して遊べる町は、平和でいい町です」
「楽しそうで素敵なところね!」
ラウリアが嬉しそうに笑います。ハーレムにいたときは見せなかった、自然な笑顔で。
「気に入ってもらえて嬉しいです」
ユリトはラウリアの歩調に合わせ進みます。
町は羊の毛に関連するお店であふれていました。羊毛問屋、織物工房、縫製工房。それに服屋。買い付けに来る商人たちが行き交っています。
屋台からは串焼き肉の屋台からはいい香りが漂ってきます。
ラウリアは物珍しげに見回しながら歩きます。
「こちらです」
やがて町角にある一軒のお店につきました。
看板には『縫製工房、毛玉のリリシャ』とあります。
毛糸のオーナメントが可愛いです。
「素敵なお店……!」
「女性オーナーのお店ですから、いろいろ安心です。住み込みで働けます。衣食住、心配ありませんよ」
ユリトはドアをノックしました。
中から出てきたのは大柄な筋骨隆々とした中年女性でした。ドアに頭がぶつかりそうで、すごい迫力です。腕や頬に傷跡がありました。
エプロン姿ですが、二の腕の筋肉がすごいです。
「……!?」
鍛冶屋の間違いでは!? とラウリアが目を丸くします。
「こちらがラウリアさんです」
ユリトは事前にすべての根回し、準備を終えていました。淡々とお店のオーナーにラウリアを紹介します。
「あぁ! 話は聞いてるよ、ラウリア。あたしはオーナーのリリシャ。ここじゃ気兼ねも何もいらないよ、あたしに……まかせときな!」
ばちん、とウィンクをして親指を立てて豪快に笑います。
「ラ、ラウリアです。よ、よろしく……おねがいします」
「こちらのリリシャさんは元Sランカーの冒険者さんだったんです」
「ま、引退して、趣味が講じて……こうして毎日好きな服を縫ってるてわけ!」
店の中へと導きます。そこには可愛い子供用の洋服がたくさんありました。オーナーの第一印象とは裏腹に子供服の工房でした。
「わぁ可愛い!」
「だろう? 気に入ったかい」
ラウリアは感動と尊敬の眼差しをリリシャに向けました。そして、
「リリシャさん! 私をここで働かせください!」
「いいとも、そのために来たんだろう?」
「はいっ!」
リリシャはそれ以上、何も聞きません。
ラウリアが訳ありなのは承知の上です。ユリトは静か優雅に礼をします。
工房内には二人ほど老婆がいて服を縫っていました。
「おやおや、可愛いお弟子が出来たねぇリリシャ」
「シシシ……! 孫じゃ、孫ができたでぇ」
「ばーちゃんたち、余所見すると針を刺すよ!」
「では、僕はこれで」
ユリトは踵を返しました。
「行ってしまわれるのですか!?」
ラウリアがはっとして声をあげました。
「えぇ。他にもまだ、お手伝いしないと行けない方々がいますから」
王様がハーレムの閉鎖を決めてから、乙女たちは行き場をなくしました。
親身になって話を聞いてくれたユリト。
人生の再出発を手助けしてくれた優しくて可愛い、王宮の魔法師さま。ユリトにもっとお礼を言いたいと思ったのです。
「あの、お礼を……なにか」
「いいえ。ラウリアさんは今日、ここから新しい人生を歩みをはじめます。昨日とはさよならです。僕は、そのお手伝いをしただけですから」
「ユリトさん……」
「そうだ、困ったことがあったら魔法通信でメッセージをくださいね! いつでも飛んできますから」
では、と言いながら優雅に一礼をします。
ドアから差し込む光が、少年魔法師の髪をキラキラと輝かせました。
「あ……」
ラウリアが瞬きをした瞬間、魔法師の姿は消えていました。
こつぜんと、初めから居なかったかのように。
――ありがとう、ユリトさん。
ラウリアは祈るようにつぶやきました。
◆
<つづく>