9.悪役令嬢コーネリアス様は王子の許嫁ですわぞ
「おーほっほっほっほ、皆さま、ごきげんよう! ですわよ」
今日も学院の一日が始まる。よく通るコーネリアスの高笑いは確かにチャイム代わりに最適だ。
最近では近隣住民から騒音の苦情があるせいでチャイムを鳴らすにも気を遣うご時世だ。そんな世知辛いクレーマーさんたちも流石にウェスホーク王国の一大公爵家、コースレア公爵のご令嬢には文句をつけづらい。
そんなわけで今日も元気な悪役令嬢の高笑いが学院に響き渡っている。
「おーほっほっほっほ、相変わらず貧乏くさいですわよ。ベル・べチカさん」
「ごきげんよう、コーネリアス様」
コーネリアスは今日も令に絡んでくる。しかしその絡み方も空回り気味で周りからはコミュニケーション下手のお嬢様が不器用にじゃれついていると思われているようだ。
「コーネリアス様は本当はベル様と仲良くなりたいんですわ」「でも、生来の意地っ張りがそれを正直に口に出せないんですわ」「だからああやって周りくどい絡み方をされていらっしゃるの」
「「「うふふふふ、本当にかわいらしい方ですわ」」」
青い血は争いを避ける。
喧嘩において相手に自分以上に損をさせようとすれば、いくらでも手がある。そしてそれは自分を省みなければ青天井に過激な手段を用いることができる。
故に持つものの多い上流階級の子女たちは他人から恨みを買わない所作と心根を幼少の頃より叩き込まれる。それは一つの帝王学と言ってもいいだろう。
こうして学院に通う生徒たちは他人からの悪意に疎く、無用の争いを起こさない性質を身に着けているのだ。
しかし何事にも例外というものが存在する。お仕着せの教育などには屈さず嫌いなものには堂々と嫌味を言う。それが公爵令嬢、コーネリアスだった。
「あらあら、またその焼きそばパンですかしら。いい加減、貴族にふさわしいお食事をとることをお勧めしますわ。あらあらあら、ごめんなさい。ベル・べチカさんはもう貴族ではございませんでしたわよね」
「はい、わたし、その、奨学生が住まわせてもらえる寮で暮らしていまして、その、奨学金で足りない分はアルバイトしなけらばいけないので。あまり余裕が無くて」
「だからあり合わせの、いつものそれなんですわよね。でもそんな言い訳はここでは通用しませんですわよ」
周囲からの温かい目をものともせずコーネリアスはベルと険悪な雰囲気になろうと努力している。今まではその努力は周りの緩い空気に流されてまったく実ることは無かった。しかし、今日はいつもとは違うようだ。
「やあごきげんよう、クラスの皆。今日も良い天気だね」
「これは王子様。今日は学校にこられる日でしたか」
「まあ、ウルク王子がいらしたわ」
「最近は親善試合の準備で王国軍の方に行ってらしたから、久しく拝見していなかったなあ」
(来た来た来た、来ましたわぞ)
令が心の中で喝さいを叫ぶ。
コーネリアスからの嫌味を大人しく聞く態度のまま意識は周りのクラスメイトたちが話す言葉に向けられる。彼らの口からベルが待ち望んでいた名前、ウルク王子という言葉を鋭敏に聞き取っていた。
彼こそはこれから令を死ぬまで養ってくれる人。まさに令にとっての王子様なのだから。
気分はヘラブナの釣り堀で散々焦らされた後に竿が力強く引かれたあの瞬間の高揚感そのものだ。
王子が今まさに令が垂らした釣り針の鼻先に現れたのだ。
(やったるで)
令は心の中で気合を入れると同情を誘う演技に一層の力を入れる。
「よよよよよ、誠に申し訳ありませんでした。今回の件はすべてこちらの不手際によるものです。何卒何卒ご容赦いただきたく。今はこのような形でしか誠意を示せませんが、どうか今回はこれにてご容赦いただきたく存じます」
令は両手で焼きそばパンを差し出すと必殺の全方位土下座で同情を誘う。
これこそは営業職時代にどんなクレーマーも怒りの矛を収めざる負えなかった令の必殺技。これで令は数々の強敵たちに勝利してきた。
しかし、そんな必殺技も筋金入りの悪役令嬢コーネリアスには通じない。差し出された焼きそばパンを邪険に手で叩き落とすと、言い捨てた。
「いい加減にしなさい。そのようなもの貴族の舌に合うわけがありませんですわよ」
コーネリアスの冷たい態度に傷ついたようにベルが泣き崩れる。
「しくしくしく」
(勝ったぁああ)
そうだよ、そーゆーのでいいだよ。それでこそ悪役令嬢。それでこその引き立て役。
コーネリアスがベルの差し出したパンを取り上げ床に叩きつけようとした。その瞬間を人混みの中から顔を出した王子はちゃんと見ていた。
「コーネリアス!」
「ひっ、ウルク王子」
(いいぞいいぞ、ガツンと言ったれ)
令は内心でほくそ笑む。全ては計画通りだ。
「君は!」
「あ、あの、王子、これは違うんです」
(語尾を忘れていますわよ、コーネリアスお嬢様)
コーネリアスは全身を震わせて、誰から見ても恐怖で身がすくんでいる様子で言い訳を探している。
「君は! 君は、なんておいしそうなものを持っているんだ」
「へっ?」
(えっ?)
ウルク王子は自然と割れる人垣から歩み出ると背筋の伸びた姿勢のままやや足早にコーネリアスに近づく。
そうするのが自然なことのようにコーネリアスは焼きそばパンをウルク王子へと渡した。
王子はまっすぐに通った鼻筋を庶民感丸出しの焼きそばパンへと近づけ、その香りを嗅ぐ。
「んー、このわかりやすいチープな香り。実にいい。一口いいかな?」
「え、あ、はい」
令は呆気にとられたまま頷く。
そんな彼女にウルク王子は優雅に一礼して感謝を伝えると焼きそばパンの端をかじり取る。口の中でそばとパンを転がすように噛み、まず食感を楽しんだ後、舌で味わう。
「いけませんわよ、王子! そんな、そんな炭水化物を炭水化物で挟んだ料理なんて。王子が口にしていいお食事ではありませんですわよ」
許婚が止めるのも聞かずに王子は咀嚼を続ける。そして十分に味わうと今度は喉越しを確かめるように口の中のものを一息に飲み込んだ。
クラス中の視線を集めながらウルク王子はコーネリアスに言う。
「コーネリアス。君には分からないのかい? この、甘いのとしょっぱいのが合わさればうまいだろうというストレートなメッセージが」
ウルク王子が白い歯を覗かせながら笑いかける。その歯についた青海苔はまぶしさの中の一点の曇りとしてやけに目立つ。
ウルク・ウール・ウェスホーク卿。
その名の通りウェスホーク王国の王家の血筋の一員、いや王家の血筋を継ぐ人間だ。その精神は博愛と情に満ち溢れ、市井からの人気も高い。
やや天然で能力的には疑問符が付くが、王に求められるのは能力のある臣下をいかに重用できるかである。むしろ中途半端に能力があることで賢明な臣下に余計な嫉妬心を抱く心配が無く、理想的な王になるための美点とさえ評価されている。
裏を返すと王に成れなければただの人の良い無能である、とも言えるのだが。
そんな王子の存在から次のウェスホーク王の治世もまた安泰であるともっぱらの評判だ。そして、ウルク王子は今目の前にいるコーネリアスの許嫁でもある。
「この料理を作ったのは君の家のシェフかな?」
「王子、それ以上は王家の品格に関わりますわよ」
コーネリアスが許婚の責務として王子に注進する。しかし、楽天的な気質のウルク王子はそれを意に返さない。
そんな空気の中でまだ学院に入って間もないベルは肩身の狭さを身を縮めて表しながら王子の問いに答えた。
「すみません、ウェスホーク卿。私の家にはシェフを雇うような余裕は無く、それは恐れながら私が手ずから作ったものです」
そんな縮こまったベルの様子にウルク王子は微笑を崩さず問いかける。
「すまなかったね、君、名は何というのかな。見かけない顔だが」
令はウルク王子に促されると家で散々練習した完璧な所作で自己紹介した。
「はい、恥ずかしくも没落貴族のべチカ家を名乗っております。ベル・べチカと申します。ただ亡き父の汚名を僅かでも注ぐことができたならと、この学院でその方法を学びたくお慈悲にすがる身にございます。ウェスホーク卿のお目汚しになりましたこと、深くお詫びいたします」
「はっはっは、よしてくれ。それにこの学院では身分は関係ない。皆、そのために名前で呼び合っているのだ。君も気軽にウルクと呼んでくれたまえ」
「はい、ウルク王子」
ベルの惚れ惚れするような完璧な貴族の所作は没落した浅ましさなど僅かにも感じさせず、むしろその身の上で堂々とした口上を述べる姿に皆、感心していた。
ウルク王子もそんなベルの健気な振る舞いに報いるようにベルの作った焼きそばパンをまた一口食べる。
「王子、いけません、王子。そのように青海苔のついた歯で笑っては王家の名に傷が」
コーネリアスが止めようともウルク王子は気にせず焼きそばパンをほおばり、その歯を見せて笑う。
ベルは自分の考えていた悪役令嬢から王子様を略奪するシナリオとは随分と違ってしまったが好感度は稼げているようなのでとりあえず納得することにした。
一つ気になることがあるとすれば、このままだと自分の昼ごはんが王子の胃袋に消えてしまうことだろうか。
令の目算が狂ったことがどれだけ重大であるか、彼はまだ気づいてはいない。自分の未来は王子と玉の輿で一生養われるものと信じている。
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これが後に戯曲となって世に広く知られることになる『爆誕・賭博狂一代男ウルク』、その喜劇の幕開けだった。