4.キレイな王子たち
ベル・ベチカが疲れた体を引きずり寮へと戻っている。ここ最近では見慣れた光景に近所に住む人たちの目は同情と悲嘆に濡れている。
あの快活だった少女をここまで追い詰めるのは如何な悪人たちだろうか。彼らには想像もつかない寮内の様子は外からでは窺い知ることはできない。
「おかえり、ベル。今日はご馳走だよ」
「ワシはちゃんと掃除をしたんじゃ。ぴかぴかじゃろ」
「どうだ、余の完璧な服の畳み方は」
しかし、どうしたことだろう。疲れたベルを迎えたのは温かい料理と埃一つない部屋と裏返っていない靴下たちだった。
「ど、どうしたんですか? まさか何か犯罪に手を染めたんですか?」
「はっはっは、ベルは冗談がうまいね。僕たちはいつもどおりだよ」
「そうじゃそうじゃ、ただ普段は本気出してないだけじゃ」
「余はやればできる子と評判であるからな」
だったら最初からやれよ。
その言葉は喉の寸前まで出掛かっていた。ベルはそれを意志の力で飲み下した。
えらいっ!
自分を褒めてやりたい。ここで説教をすればこいつらクズはやる気を無くすに決まっている。だから褒めなければいけない。言いたいことはいくらでもあるが、ここは血反吐を吐いてでも褒めなくてはいけない。
「え、えらかったですね、グフッ」
体への負荷が強すぎたのか、思わず口元から胃液が逆流しそうになる。口で抑えて誤魔化し、できるだけ苦悶に歪む顔を見られないよう下を向く。
「はっはっは、そんなに感動するなんて大げさだな、ベルは」
「ワシもちょっと本気出しすぎたかの」
「見よ、この洗濯物の折れ目を。まったく余は自分が恐ろしい」
クズ共が、調子に舐め腐りおって。
だが、人は自分の気持ちを胸中に収めて笑うことができる生き物なのだ。獣とは違う。
「皆さん、本当によくぞここまで、私は、私は嬉しくて……」
「さぁさぁ、泣いてないで食べてくれ」
「そうじゃ、ワシはもう腹ペコじゃ」
「余も今日は働きすぎた」
どれくらいぶりだろう。この寮がこんなに明るくなったのは。恐らく元王子たちが来てから一度もなかった幸せな食卓の風景が、本来あったはずの幸福が遅ればせながらこの寮に訪れたのだ。
「本当に、プロが作ったみたいな味ですね」
「ギクッ」
「この床も、きれいにワックスがけまでされて、プロみたい」
「ギクギクッ」
「この洗濯物もパリッと糊を使ったみたいでプロみたい」
「ギクギクギクッ」
やや、三人の様子がおかしい。
ベルの脳裏に疑念の種が蒔かれる。
よくよく考えたら、包丁も握ったことのないウルク元王子に突然こんなご馳走が作れるのだろうか?
クズ共が培ってきた土壌が種に栄養を与える。
何度言っても、トイレで立ちションをして狙いを外すネスケに床を磨くという発想など湧くのだろうか?
クズ共が長い間貯めていた水が種を潤す。
何度言っても靴下を裏向きにして洗濯に出すホーランド元王子に洗濯物をきれいに畳むという難業を為せるものだろうか?
クズ共が今まで為してきた太陽のようにさんさんと輝く偉業たちが種に芽吹くときを伝える。
「これ、誰がやったんですか?」
「いや、別に」
「誰っちゅーわけじゃ」
「よ、余はぽんぽん痛くなってきたから」
逃げようとするホーランド元王子をベルが瞬きよりも早い抜き手で捕まえる。
「ぐえっ」
襟元を掴まれ首が絞まったウルク元王子がカエルのようにうめく。その拍子にポケットから一枚の紙がひらひらと床に落ちた。
「これ、何ですか?」
綺麗に磨かれた床に落ちたその紙は僅かにも汚れることなくベルの手に渡る。そこにはっきりと書かれている請求書の文字。そして金額。
「これ、聖金貨10枚って書いてませんか?」
「「「……」」」
空気が凍る。先ほどまで春のように暖かだった食堂が一秒で季節を一巡したかのように冬の極寒の真っ只中にいた。
「お前に聞いとんじゃ!」
感情が喜から怒に振れた勢いでベルの首から下がムキムキになる。この世界に来てから肉体労働で鍛えられた中年の肉体は現代にいたころよりもよほど健康的になっていた。さらに感情が乗ったことで魔法の力が暴走し後背筋に鬼が宿る。
「お前、金がないのにこんな無駄使いしよってからにぃ」
「べ、ベル、息が……」
「ベル嬢、タップしてるのじゃ、王子がタップしてるのじゃ」
「やめるのだ。それ以上は死んでしまう」
鍛え上げられた上腕二頭筋がウルク元王子の気道を通行止めにする完璧なチョークが決まっている。王子は顔色を紫色にし口からは泡を吹く。
「違うのじゃ、これはワシらで稼いだ金なのじゃ」
「そ、そうだ。余たちは動画で一発当てたのだ」
「動画?」
死に掛けの下王子を右腕に抱えたまま、ようやくベルは2人の言い分を聞く気になる。
その2人が言うにはあの全く不評だった動画配信がどういうわけかバズって再生数がうなぎ登り、ついには収益化の申請も通り臨時収入が転がり込んできたのだ。
「ワシら、ほら、いつも迷惑かけてきたじゃろ。じゃから罪滅ぼしに」
「余は、恩は返すタイプの高貴な血筋であるからな」
ベルはしばらく黙考する。その様子を固唾を呑んで2人は見守る。今この時、2人の友人の命が助かるか否か、その瀬戸際なのだ。
「なーんだ、そうだったんですね。早く言ってくれないと、私勘違いしちゃいました、えへっ」
「……ははっ、ベルは、お茶目さんだね」
死にそうな顔色になりながらウルク元王子は笑う。その心意気にネスケとホーランド元王子は静かに涙を流した。
「それでそれで、どんな動画なんですか?」
「むむっ、よくぞ聞いてくれた。何を隠そう、今回は余が大活躍したのだがな」
そう言ってホーランド元王子は嬉しそうに解説を始める。
そういえば、部屋に引きこもって何やら動画撮影をしていたのは彼だった。あながち、バカにならない活躍を今回はしたのだろう、いつもの自慢話を黙って聞いてあげる。
「余は、今の流行をリサーチして、再生数が稼げるトレンドを見つけたのであるよ」
ようは人気のあるやつをパクったのだろう。武士の情けでそこまでは突っ込まず元王子が小鼻を膨らませながら見せてきた動画を見る。
『ホークロアの元王子が切る、新生ホークロア共和国のここがクソ』、『民主主義が絶対に失敗する100の理由をホークロアの元王子が解説』、『時代は絶対君主のウェスホーク、ホークロアは5年で滅びる。ホークロアの元王子が断言する理由』、『民主主義は闇の勢力に支配されているだけ、喜んでいるのはバカだけ、ホークロアの元王子が暴露』
ホークロアの元王子が嬉しそうにそんなタイトルの動画を見せてくる。コメントには最近民主主義になったお隣さんを罵倒する熱心なウェスホーク国民の賛辞で溢れている。というか、コメントの更新速度がえげつなくてちょっと引く。
「あの、ホーランド元王子? これって」
「分かるか、ベルよ。余も最初はそんなでもなかったのであるが、大衆が求めるものを理解していくうちに真実に目覚めたのだよ」
これはあれだ。カルトとかでよくあるやつだ。特定の傾向の意見を持つ人たちが集まると、そこではひたすら賛同だけが繰り返される。そうするとだんだん気持ちよくなってくるのだ。特に、あまり世間ではおおっぴらに言えないことが言えてしかも賞賛までついてくると、最早自分は全知全能の天才のような気分になってくるのだ。
自分は天才なのだから真実が分かる。天才なのだから褒め称えられて当然。無辜の民たちを正しき道に導き、邪悪な企みを打ち滅ぼさねば。
ホーランド元王子には悪気など一切ない。ただ純粋に自分が天才で、勤勉で、善き人間であるから皆から尊敬されているのだと信じているのだ。
どうやらネスケのナンパ講座やウルク元王子のギャンブル爆死動画もホーランド元王子の人気にあやかって再生数が伸びているようだ。
ここで元王子にこのジャンルを辞めさせれば集まったファンたちは霧のごとく消え散り、二度と戻ってはこないだろう。
「うん、いいと思います。じゃんじゃんやってください」
金が稼げればなんでもいいのだ。ベルは今日一番の笑顔で三人にエールを送った。