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17.王子の選択

 余はこれから祖国ホークロアの支柱にならなければいけない。


 窓から差し込む光を受けてホーランド王子が目を覚ます。朝の清々しい太陽の輝きは一日を気持ちよく始める光景としては最適だ。あの埃っぽい部屋でカビの臭いのシーツに包まれたまま惰眠を貪る生活。そんな過去を思い出し少し郷愁に浸る。

 思えばあの生活も悪くは無かった。


 朝、というか昼に起きると大体は食堂でウルク元王子とネスケがどうでもいいくだらない話題で盛り上がっている。そして、遠慮も敬意も無い砕けた挨拶で一日が始まるのだ。


 今は余が起きるのに合わせて従者たちが衣服を整えていく。静かに恭しく、時計のように決められた几帳面な働きは自分が王子であることを自覚させる。


 昼間に起きた余はいつも食堂に残された冷めた食事をもそもそと食べる。ここではテーブルマナーなど無い。昼のまどろんだ陽気の中でそんなことに気を使うのがバカらしくなるからだ。


 朝食はいつもホークロア最高峰のシェフが用意する。新鮮な前菜、完璧に温度管理されたスープ、焼きたてのパン。従者たちが整列する厳かな朝の風景は衣擦れ一つが耳障りな雑音になる。


 食事を終えるともうやることがない。次の晩御飯が出て来るまでただぼんやりと過ごす。と優雅なひと時はすぐに同居人たちに邪魔される。今日は貧民街で流行っているというおはじきなる遊びに巻き込まれた。まったく、これだから、下賤な輩は、このような低俗な遊びを余がするわけ……。おい、やめろ、それは余の巨大おはじきだぞ、それを狙うなど、お前それでも高貴なる者のすることか!


 優雅な朝食が終わればもうそこから休憩の時間はない。就寝までのスケジュールが分刻みで決められている。余はこの国の第一王子、それは当然の務めであり、それだけの大役は期待ゆえのものだ。この国を麻の様に乱したクーデターに終止符を打った余は今やこの国の英雄、謁見の申し込みは後を絶たずそうした者たちに口触りの良い美辞麗句を並べることが未来の王家の忠臣を産みだすのだ。だが、そんな大役にも関わらず少しも余の心を浮き立たせない。


 余は全てを失ってしまった。余は生まれたころより王子だった。王子とは立派な王になることが定められた者の名前だ。しかし、ただ生きているだけで賢王になれるわけではない。なりふり構わず研鑽を積んできた。それらが全て無駄になってしまった。最早、余には何も残っていない。だのに、何故この者らは余にまとわりつくのか。何者でもない余を、どうして。


 今や国中が余を理想の王子と認めている。素晴らしき次代の王ともてはやす。なのにその全てが空虚だ。


 あの頃、余は大きなものを失い、取り返しようもない深い絶望の中で、そこで小さな幸せたちを見つけた。あの頃はそれらが埋め合わせになるなどと思えるはずもなくただただ過去への憐憫を引きずり、それでもどこかで安らぎを感じていた。あやつらには絶対に言えないが、気の合う友とああしてくだらないことで笑い、名声や称賛とは程遠い、ただ生きたいように生きる人生も悪くはなかった。そして、大きな不幸の中でも小さな幸福で笑うことができると教えてくれたのは彼女だった。


 宮中の煌びやかな星々に祝福され余は玉座の頂へと続く階段を上っている。恋焦がれ、生まれた頃より欲し続け、一度は挫折した。そんな天頂に輝く星が手の届くところにまで来ている。ふと、後ろを振り返る。もしもこの道を戻りあの生活に戻ったのなら。最も大切なものを捨てて、それでも溢れるほどに小さな大切なものを拾い集める人生を選ぶのなら。それは、それこそが幸福と呼べるものなのではないのだろうか。


 それでも、余は足を階段の次の段に乗せる。一人の人間であるホーランドとしての幸せな生活はもう終わった。これからはホークロアの王子として生きていく。

 これが余の選択なのだ。

 許してくれ、生涯唯一の最愛の女性、ベル・べチカ。



「ふんふふーん」


 ベルは珍しくご機嫌だった。何せ不良債権の一つをきれいさっぱり清算できたのだから。


「うおー、なんじゃこれ、王子、なんじゃこれ」

「これはね、魔晶石PCと言うんだよ、ネスケくん。僕がスロットの景品で当ててきたのさ」


 (マイナス)3が-2になっただけなのだがそこは目をつぶる。不幸ばかりを見ていても気が滅入るだけだ。小さくても幸福な部分に目を向けよう。


「ほぉほぉ、世の中便利になったもんじゃのう」

「どれニュースの一つでも聞いて世界情勢について語り合おうじゃないか」


 お前らは世間の心配よりも自分の食い扶持の心配をしろ。

 ベルは思わず口に出そうになる。そうして、ふと思い出した。そう言えば彼もそうだった、と。

 今はもういないが、つい最近まであそこには一緒に馬鹿騒ぎをしていた三人目がいたのだ。

 いつもダラダラと飯を食べ、自分は興味ないというふりをしながら結局は他の誰よりも遊びに夢中になる。かと思えば、自分は不幸だと、そう思い込み塞ぎ込んではベッドから出てこなくなる。

 随分と手のかかり、それ故に思いが強くなる。


 あいつがいなくなって清々した、と。


 ほんとーに今回は上手くいった。これ以上ないくらいに入念に準備をし、もしもを考え何十にも安全策を講じ、気に食わなかったがコーネリアスにも頭を下げた。そのかいあってホーランド王子を追い出すことに成功した。

 何という僥倖。

 今思い出すだけでもムカムカする。

 さっさと飯を食べないからいつまでも食器が片付かない。働きもせず遊び呆けて、そのクセ食事は当然のように出てくるものと世の中を舐め腐っている。自分は世界一不幸だとか抜かして惰眠を貪り、正当化する。

 本当に世界一不幸なのはなぁ、お前の目の前にいるんだよぉ。何度となく言ってやりたかった。だが、こういう手合は強く当たると、怒られたからやる気が無くなったとか言い出して、ようは逃げる口実を与えるだけになってしまうのだ。

 だからホーランド王子がやる気を出すよう完璧な環境を作り出した。そのタイミングを見逃さずおだてて部屋から追い出した。実家が気持ちよく引き取ってくれるよう、あちらの問題の解決のために奔走した。

 それもこれも、全ては。


 努力というのは報われたか否かで、その評価が変わる。

 今、ベルは最高の気分だ。


『ここで、臨時ニュースです。ただ今、入った情報によりますとホークロア王国で政変が起こった様子です』

「なんじゃ? 随分と古いニュースじゃのぅ、壊れてしもうたのか?」

「ちょっとネスケくん、魔PCを叩くのはやめてくれ。ほんとに壊れてしまうから」


 ホークロアのクーデターなんてついこの前蹴りがついたばかりだ。それを今更臨時ニュースだなんて、ネスケの言うとおり周回遅れの変な魔力波でもひろっているのではないか?

 ベルは台所で食器の洗い物をしながら後ろで騒ぐ二人の会話を聞くともなしに聞いていた。


「ほら、続きが聞こえないだろ」

『現地の情報によりますと、前回の貴族中心のクーデターとは異なり、今回は市民による平和的な抗議行動が中心のようです。また、ホークロア王はこの市民たちからの要求である民主化を受け入れることが今夜発表されると一部有力筋から情報が流れている様子です』


 は?


「ほーん、あの王子も大変じゃのう」

「まあ、民主主義は最近の流行だからね。知ってるかい? 今時、専制君主なんて時代遅れって言われてるんだよ。旧態依然とした体制にしがみつく王族とか哀れというか滑稽というか。そう言えば流行といえば、今最先端を行ってるのが王家を追放された王子が成功してざまぁする展開でね。知ってるかい? 実は王子にはギャンブルの才能があってね、一方で王子を追い出した王家はどんどん没落していってね。これが痛快なんだよね。ねぇ聞いてるかい、ベル?」


 何かのスイッチが入ったウルク王子は放っておく。そんなことよりも今はこのニュースだ。


『ホークロア王は退位後は地方で農園を経営し、政治には関わらないと周辺に漏らしているそうです』


 そんな話はどうでもいい。ええい、王子について話せ。あれがどうなったのか話せ。


「おいおい、ベル嬢は元気じゃのう。そんな風に揺するとぴーしーが壊れるぞい」

「ははっ、ベルは国際情勢に興味があるなんて勤勉だね」

『なお、第一王子は失踪し、現在行方不明となっております』


 だいいちおうじは、ゆくえふめい。

 第一王子は、行方不明。


 何か、ヤバい気がする。

 ベルは親指の爪を噛み、急に周囲を気にしだす。

 奴が、奴が近づいてきている気がする。


「どうしたんじゃ、ベル嬢。そんなに慌てて」

「今日は学園はお休みだよ、ベル」

「ちょ、ちょっと用事が、急病なので、早抜けします」


 ベルが慌ててつい口走ったのは、現代に生きていた頃の名残だった。そのくらいに自分を見失っていたベルはとにかくここから離れるため寮を出ることにする。

 クソッ、靴が上手く履けない。

 慌てているときは単純な作業ほど上手くできなくなる。


 ドンドンドン!


 ベルの目の前で扉が叩かれる。

 もしかしたら、ご近所さんが鶏の卵をおすそ分けに来たのかもしれない。ただの郵便かも。あるいは何か、何か。


 ドンドンドン!


 助けを求めるように乱暴に扉を叩く者など他に誰もいないというのに、ベルは少しでも別の可能性を思いつけば目の前の現実が変わる様な気がしていた。


 ドンドンドン!


 もう少し、あと少しだけ、りょうが現実に向き合うためには時間が必要だった。

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