16.いざ英雄の一撃
ルペン知事率いる反政府軍本隊が動き出した。その姿はまるで食いつかれた体を囮として見捨て頭だけで這う蛇のようであった。
囮にされ見捨てられた反政府軍の末端たちはたまったものではないだろう。しかし、碌に抵抗できない彼らも足止めぐらいにはなる。本隊は追撃するウェスホーク軍を振り切り王城へと到達した。
「うおおおおおおおおおおおおおお! 城門が開いているぞ!」
「流石はルペン知事、このことを予見されていたのですね」
「はっはっは、当たり前であろう」
混乱に乗じて逃げ出そうとした貴族でもいたのか城門は開け放たれ反政府軍の本隊は城内へと安々侵入した。
城内では反政府軍を阻もうとする者は誰一人いない。まるでそう言い含められているかのように皆が道を通す。
「これはもう降伏したも同然だな」
そうと決まれば早々に勝利宣言を出した方がいい。ルペン知事は本隊を細分化し城の各所へと派遣する。特に旗を掲げる各屋根には多くの人員を送り込む。旗印が変われば、多くの市井の民も王が変わったことを理解するだろう。
自分は王城の中心、謁見場へと出向く。そこに王がいることは確信している。こういった場面で玉座を空にすることは退位を自ら選んだと判断されるからだ。
「戸を開けよ!」
新しき王者に相応しい堂々とした口調。その命令に謁見場への扉が厳かに、恭しく開く。
そしてそこにはホークロアの王だけでなく、ウェスホーク王とその王子。そしてホークロアから追われた元王子が待っていた。
「よ、余が、ホークロアを継ぐ者として、汝ルペンに決闘を申し込むぅ!」
◇
ルペン知事率いる反政府軍が王城に進攻する数刻前。王城の前にはボロボロのゴミが横たわっていた。ゴミの名はホークロアの元王子、ホーランド。
ホーランドは運のいいことに最初の一番槍で突撃した箇所が丁度鍋と小人で混乱を極めていた部隊で特に反撃を受けることもなくそのまま駆け抜けることに成功した。
しかし徐々に乱戦へと向かう戦況の中でホーランドの元の貴公子然とした格好からボロ雑巾へと姿を変えていき、いつの間にか懐かしき王城の前までたどり着いていたのだ。
「おや、予定とは随分違うけど、無事に着いたみたいだね」
そのボロ雑巾の前に立ったのはウルク元王子。落ちぶれた生活ですっかりとスラムに慣れ親しんだ彼は謎のスラム街ネットワークでホークロアの乞食の元締めに話をつけ貴族すら知らない裏道を使ってここまで来ていたのだ。
それならホーランドにもその裏道を教えてやれば良いものだが、クーデター軍の注意を引いてもらうには最高の餌であるホークロアの元王子は敢えて危険な最前線へと送り込まれた。もし何か危険があればネスケがなんとかする手筈になっていたのでそこまで心配はしていなかったのだが。
「さて、陛下、役者は揃いました。舞台に上がりまずは挨拶と洒落込みましょう」
ウルク元王子は一人でこの場に来たわけではない。彼が振り返った先にはウェスホーク王とその護衛役である精鋭近衛兵団が控えていたのだった。
◇
「な、これはどういうことだ。敵国ウェスホークの兵たちを城に招き入れるとは」
ルペン知事が糾弾するようにその場で叫ぶ。自分の不利を悟っているのは明白だが、自国の内憂を治めるために外患を招き入れたとなれば王こそが国を裏切ったと主張することもできる。戦争で負けても政治で勝てば良い、政治家であるルペン知事らしい機転の効かせ方だった。
「頭が高いぞルペン。余は友邦より来られた賓客を饗しているのだ。そなたは何用あって会談の場を乱しておる」
「は、それは……」
あくまでもウェスホーク王はクーデターとは関係なく外交のためにこの場にいる。その体で来られればルペン知事もそれ以上は言えない。ウェスホーク王が連れてきた軍隊もあくまで護衛のため。そこでたまたま敵対的な組織とぶつかろうとも護衛任務の一環である。誰からも文句は言われまい。
その場の戦力バランスは今や完全に読めなくなっていた。
バラバラに散った反政府軍はもしかしたらウェスホーク軍に各個撃破されているかもしれない。城外に残してきた軍隊はどれほどが生き残っているか。
「して、ルペンよ。余の息子がそなたに用があったようなのだが。どうやら聞こえなかったようだな」
「余は、ホークロア王家の正当なる後継者。それに異を唱えるルペン、貴様に決闘を申し込む」
今、ルペン知事は誘い水を向けられている。このまま自分の狙いがホークロア王だと言って王位の簒奪を企てればこの場にいるクーデター軍と王国軍で争いが起こるだろう。その時、ウェスホーク軍はどう出るか。静観を決め込むのか、王国側に肩入れするのか。ホークロア王もウェスホークに貸しは作りたくないだろう。それ故にそれは最後の手段としたいはず。それ故に互いに妥協した結論へと導こうとしている。
つまりこれは王位継承の問題にするつもりなのだ。
国内の有力貴族は遡れば王室との血の繋がりがどこかで見つかる。それ故に多少無理矢理にでも理屈をつければ王位継承権第何位と主張することが出来なくもない。翻ってホーランド王子は一度廃嫡になった身。どうやら今回のドタバタで王子の座に返り咲いたようだが、経歴に傷がついたことには変わりない。ここで何かしら手柄を立てないと王位継承権の第一位になれない名ばかりの王子になるのだろう。
ルペン知事の頭の中でグルグルと計算が回る。
彼の得意とする政治の分野で相手の望みが詳らかになり、それを如何に利用できるか、勝利への道筋がついていく。
勝った。
ルペン知事の中で結論が出た。ホークロア王は欲をかいたのだ。安全にウェスホークの手を借りれば良いものをこの後のことを考えてその手を払った。そして愚かにも自分の息子に花を持たせようとこの大事な場面を任せてしまった。
見ろ、あのズタボロのボロ雑巾のような姿を。決闘などと格好をつけてはいるが最早倒れる寸前ではないか。
ルペン知事はここまで特別戦うこともなく無傷のままやって来ている。どちらが有利なのかは日を見るよりも明らか。
「いいでしょう、その決闘、お受けいたしましょう」
◇
ウェスホーク王はここまでの流れが理想的なまでにホークロア王に有利に動いていることに舌を巻いた。
上手いな。あのルペンとか言う男、完全にホークロア王の手の平で踊らされている。
ウェスホーク王の護衛についた近衛兵たちはいづれも一騎当千、数で勝る反政府軍を蹴散らすことも可能だった。しかし王城の中で一戦交えれば非戦闘員への被害がどれほどになるか想像もつかない。ではそもそも王城になど招き入れなければよかったとなるが、そうすると反政府軍はどこかの段階で散り散りに逃げ出し国内に脅威を残す結果となる。未来を考えればこの城という名の檻に閉じ込めそこで一網打尽にする必要がある。
そして、王城での戦闘を極力小規模なものにしようとするなら互いのトップ同士による決闘しかない。
相手に自分が取ってほしいカードを取らせたいなら、相手には自分が愚かに見えるように振る舞えばいい。愚か者の手の内など全てお見通しでだからこそ自分は最適解を出せる。そう信じ込ませれば良い。
ルペンはまさにその状態に置かれた。
ウェスホーク王はこの隣人の王のことをよく聞いている。
ホークロア王が玉座に着いたのはほんの10歳の頃。その当時、ホークロアの宮中は乱れ、血による粛清の嵐が始まる寸前のような状態だった。
そんな状況の中で幼帝は貴族と市民の代表者を講堂へと集め、血に飢えた獣たちの前で一言だけ言った。
「ここで全てを決める。存分に話し合え」
ホークロア王が言ったとおり、その講堂で話し合われたことは全て現実に実行された。最早、殺し合いなどしている暇はない。如何に大勢を味方につけるか、そのためにどれだけ説得力のある方策を出せるか。少しでも綻びがあれば質問攻めにされ一瞬で支持を失う。争いごときに思考を割いている時間はない。
皆、思った。これなら殺し合っていたほうがどれだけ楽だったか、と。
いつの間にかホークロアで起ころうとしていた嵐の予兆は跡形もなく消え去っていた。
ホークロア王の逸話を聞くと誰もが真の英雄、賢帝を想像する。しかし、実際に会ってみるとその自己評価の低い遠慮深い性格に戸惑いを覚える。そして、一部の者はこう思う。
この程度の人間が英雄扱いされるのはおかしい、自分こそがその名声に相応しい、と。
ルペンは正にその手合だ。
完全にホークロア王を下に見て、自分が上手くやっていると思いこんでいる。
そうなってしまえば、最早勝負は決したも同然だ。
◇
ルペン知事とホーランドが用意された儀礼用の細剣を握る。先端は潰され刺突能力が制限されているとは言え急所を突けば絶命する可能性もある。これはそれだけ重要な決闘ということだ。
ルペン知事は余裕の態度で居並ぶ観客に礼を送る。勿論、観客というのは謁見場にいる王と家臣、そして兵士たちのことだ。彼にとってはこれは余興に過ぎないことを暗に仄めかしている。
一方でホーランド王子は周りへのアピールなどする余裕は無い。残りわずかな体力を無駄にせぬよう重心を低くし細剣をまっすぐ相手に向ける。
ホーランド王子はぼろぼろだった。当然だろう。相手が混乱していたとはいえ敵陣の真っ只中に先頭になって突っ込んでいったのだ。向かってくる敵を切り伏せ、旗印と目され執拗に狙われてもそれらを掻い潜り、時に追うつめられようとも挫けることなく、ボロボロになりながら王城までたどり着いたのだ。
その意気が、執念が、熱情が、ただの一度も剣を交えることなく守られながらぬくぬくとここまで来た青瓢箪に負けるはずが無い。
「余は、文武両道、質実剛健、泰然自若、傍若無人のホォオオクぅロア第一王子ぞぉおおお!」
王子がぎりぎりまで引き絞った細剣の一撃はルペン知事の胸骨の中心を過たずに突き上げる。
「ゴッホゥ!」
一瞬で意識を失った肉塊はくるくると回転しながら謁見場の重たい扉ごと吹き飛び壁にめり込み、糸が切れた人形のように垂れ下がった。
ホーランド王子は劣等感の塊だった。
ウルク王子と比べられ、それでも理想の王子たらんと努力を続けた。血反吐を吐き続けた。自らを追い込み続けた。その研鑽を知る者は少ない。他者から認められたいという欲求から来る利己的な面が強調され、結果的に裏では道化のように笑われていた。だからこそ、ルペン知事は油断した。ホークロア王は息子の努力を知っていたから信頼した。
これは、知らなかったか知っていたか、ただそれだけの違いが招いた結末だった。