15.煽てられると木に登るタイプの王子
ウェスホーク王国軍の先頭を走るホーランドは既に大分、後悔していた。
一応、国境とか途中の領地とかの顔パス役として先頭にいたほうが都合が良いとベルに言われ、そういうものかと一番前で馬に揺られていた。道行く先々でホーランド元王子とウェスホーク王国軍は歓迎されホークロア国王を救ってくれと激励された。いつの間にか、ホーランド元王子がウェスホークを従えて戻ってきたと背びれと尾びれと羽が生えてドラゴンみたいになった噂が立っていた。
それで、ホーランド元王子は調子に乗った。
やっぱり余の風格がそうさせちゃったのかな? あくまで協力しているだけのウェスホーク軍には若干申し訳ない気もしたがでもすんごく気持ちよかったので、噂を否定せず余にドンと任せろと方々に言って廻った。それが、兵士たちにはちょっと気に入らなかったらしい。
ようやく王都に着き、さて戦を仕掛けようという段になって、勿論一番槍の栄誉は我らを率いるホーランド王子ですよねといわれたので、ウンと答えてしまったのだ。
後悔は無い。
うそです、やっぱり後悔してますやっぱり余はただの王子なので一番後ろにしてください。そう言って頭を下げるだけでよいのだ。でもこいつらウェスホークの文化後進国民に頭を下げるなど絶対にやなのだ頭を下げるのは向こうの方なのだ。
こうしてホーランド元王子は望んでもいないのに先陣を切って反政府軍が陣を敷く首都の北端に突撃した。
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「おぉー! 王子がやりやがったぞ!」
「続け続け続け続けえ! お前らあれに後れを取るなんて恥ずかしいまねするなよお!」
よもや本当にホーランド元王子が一番槍を入れにいくとは思っていなかったウェスホークの面々は、引きずられるように一気呵成に敵陣へと突き進んだ。
戦の常道であれば待ち構えている敵に対して一塊になって当たるのは避けるべきなのだが、相手も意表を突かれ正面への兵の配置に遅れが出ているので一周回って最良の一手になっている。
「一番隊、そのまま進め。二番、三番、後詰で着いて行け。裏取りなんて考えるな、向こうさんは町を背中にしてるんだ。下手に分散するだけだからなあ」
兵士長が意外にも理知的な指揮を執り部隊を有機的に動かしていく。そんな彼らに対して体制を立て直した反政府軍の一部が一斉に弓を射掛けた。兵士長を中心としたウェスホーク軍の中央は前に張り出しすぎたのが災いして完全に射程の入り込んでいる。
だが、空を覆う数千の矢に対して兵士長たちは逃げる様子一つ見せなかった。彼らの側にはもっと頼もしい味方がいるからだ。
「ようやく、ワシの出番か」
雪と泥が舞う戦場に不似合いな落ち着いた少年は、やはり不似合いな学生服を綺麗に身に着けていた。周りは傷だらけの鎧で輝きが鈍っているにもかかわらず、その少年の周囲だけは水面に反射する朝日のように明るい。その光の源は彼が抜いた一本の剣から放たれていた。
飾り気もない、無骨と言うより特徴がないその剣はしかし少年が握ることで誰もが目を離せなくなる。
流れるような、まるでここが戦場ではなく稽古場のような自然ないつもの動きで剣が正眼に構えられる。
そして、一刀。
木から落ちる葉を切るように軽く、まっすぐに。その一振りはあっけなく終わった。
あまりにあっけなくて、目の前の矢が全て折られていることに誰もが最初は気付かなかった。
『抜山蓋世』
山を引き抜き、世を覆す。剣一つでそれを行えることを少年は背中で味方に示した。
ネスケ・ネイクリッド。まさに剣聖の孫に相応しい剣の冴えである。
「い、いかん、腰が」
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「ル、ルペン知事。指揮系統が寸断されています。このままでは建て直しは不可能です」
「どういうことだ! 所詮はイノシシの突撃だろうあんなもの。最初の勢いさえいなせば、地の利はこちらにある」
ルペンの言うとおり、頑丈なレンガ作りの建物が多いこの首都では守勢が圧倒的に有利なはずだった。相手が最初の勢いを失くし立ち止まりさえすれば包囲陣で膾になるのはあちらの方だ。しかし、そんな反攻は規律だった軍隊でこそ可能な代物。敵軍に怖気づき壊走を始める反政府軍にはそんなチャンスは回ってこない。
「だから! なぜ我が軍はここまで混乱している!」
「それが……」
理由の一つは間違いなく戦力を浪費し続けた結果だろう。勝てると見込んだ戦争に対して如何に華々しく飾るかという欲が出た。その結果、守備堅牢な王城に対して突撃を繰り返すと言う愚策に出てしまった。
いや、これを愚策と一言で切って捨てるのはいささかルペン知事に対して不公平かもしれない。戦術・戦略面から見れば愚かの一言に尽きるものでも、政治面から見ればいくらか擁護できる。権力の移譲というのは決して単純なものではない。少しでも不備があればそこを突かれて政敵から追い落とされる可能性が常にある。
主君を討つというのは後に政敵から逆賊と糾弾され、合法的に処刑される危険性がある。今回のルペン知事はホークロアの中心州を味方につけることに成功したが外縁の州は国境の監視を理由に様子見を決め込んでいる。これはいつでもルペン知事の背後を討てるよう戦力を温存していると言ってもいい。
それゆえにルペン知事たち反政府軍は王国軍を華々しく打ち倒す必要があったのだ。そうすることで、英雄譚としてホークロア中に今回のクーデターの正当性を流布し市民の支持を取り付ける。一度英雄になってしまえばそうそうルペン知事たちクーデター側を糾弾することはできない。なぜなら市民にそっぽを向かれればその後の統治が悲惨になることは目に見えているからだ。
しかし、それでもどこかで妥協すべきだった。それができなかったのは結局のところ突撃による自分たちの被害を過少に報告し、止める理由を自分たちで潰してしまったからだ。
そして、今まさに反政府ー軍が混乱し続ける理由は他にもある。
「それが、鍋が爆発したのです」
「ナベ?」
ルペン知事は兵士の報告に思考が固まる。ナベ? 鍋? なんでそんなものが爆発する?
「鍋とは何のことだ?」
「それが、出入りの商人から景気づけにと、前祝いにと、その、ウェスホークで今流行っている高コレステロール食の差し入れがあったのです」
「そんなもの! なぜ調べなかった! 怪しいではないか!」
「いえ、それが調べたときは何も、爆弾のような怪しいものは無かったのです。ごく普通の油がギトギトした料理で。なのに」
全く訳が分からない。何故そんなものが爆発したのか。いやそもそもそんな料理がウェスホークで本当に流行っているのか。その商人に騙されたのではないか。
数々の疑念がルペン知事の頭を駆け巡る。
商人から差し入れされた鍋は反政府軍の炊き出しとして各所で振舞われる予定だった。それが災いして軍隊の広範囲で混乱が起こっている。
「あの、実はまだあるのです」
「今度は何だ!」
言い難そうに伝える兵士は怖気づきながらそれでも報告する。
「その、小人が目撃されていまして、その小人が軍を混乱させている、と」
「小人?」
兵士の頭を疑うような視線。兵士自身も自分の報告に半信半疑であることはその表情から明らかだった。しかし、各所から上がる目撃情報を握りつぶすにはこの兵士は臆病だったし生真面目に過ぎた。
「その、絵から、小人が出てきて、いたずらの様に武器を隠してしまう、と」
「……」
ルペン知事はここに来てこの兵士を疑い始めた。もしかしたらこいつはスパイかもしれない。実は我が軍は一見ピンチに見えるが勝利間近でここを凌ぐだけで済むのかもしれない。自分を混乱させ撤退の判断をさせることこそが敵軍の目的なのかもしれない。
確かに絵というのには思い当たる節がある。確かウェスホーク王国で迫害にあったとかいう芸術家を保護していた。文化人を追い出すとはまさに文化後進国らしい振る舞い。自分たちはホークロアが奴らと違うところを見せつけるいい機会。それぐらいに思っていた。どんな絵を描くかなど興味は無かった。
「そうか、そういうことか、分かったぞ」
ルペン知事は天啓を得たかのように興奮で顔を紅潮させている。兵士は知事の邪魔をできず不思議そうにその様子を見守る。
「あの西瓜頭どもの企みが分かったのだ。
奴らが使っているのはトリック、つまり幻術の類だ。小人が絵から出て来た? 鍋が爆発した? そんなものトリックでいくらでも騙せる。あのウェスホーク軍もそうだ。あの大軍が我々に気付かれずに国境を越えここまで近づけるはずもない。トリックだ。私の突撃計画が失敗するはずがない。これもトリックだったのだ。
そうだおかしいと思ったのだ。私が計画し、私を英雄へと押し上げる最も最適な適切な答案なのに失敗するはずがないのだ。だって私が思いついたんだぞ。英雄が考えた作戦は成功することになっているのだ。そう歴史書を紐解けば誰にでも分かるのだ。
だのにだのにだのにだのに。
つまりこれは西瓜頭どものトリックなのだ」
公の場で言うとヘイトスピーチ待ったなしの隣国人への蔑称がルペン知事の口から飛び出るがそこを指摘する人間はこの場にいない。
今、この混乱した暗闇で唯一の光明を指し示す灯台に皆惹かれて行く。
「いざ、進もうぞ、我らの勝利は目前だ!」
「「「うおおおおおおおおおおおおおお! ルペン! ルペン! ルペン! ルペン!」」」
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「さて、どうなることやらですわよ」
戦場となっているホークロアの首都が見渡せる高台で場違いなほど優雅にティータイムを楽しんでいるのは誰あろうコーネリアスだった。
召使たちに絨毯を敷かせ、別荘から取り寄せた机と椅子は汚れ一つない白塗りの物。時折、手元のオペラグラスで戦況を確認しては何かメモを取っている。
「ラードさんとエルォウさんはちゃんとわたくしの言いつけをこなしているようですね。十畳ですわよ」
ここまではコーネリアスが描いた絵図通り。ラードがベルに振舞ったあの爆発する料理とエロォウが魔法の絵の具でホビット族を絵から出すという作戦はホークロア側の油断もあり成功している。
ベル・べチカが焚きつけたあの三人も役割を果たしている様子。
このまま上手くいけばルペン知事を捕縛して、今回のクーデターは失敗という形で幕を閉じるだろう。そう確信しながらコーネリアスはもう一口、紅茶を口に含んだ。
だが、そんな全知の公爵令嬢にも未来の全てを見通せるわけではない。
「反政府軍、ルペン本隊、王城へと進軍を開始しました!」
「え?」
まさか、背後を強襲され混乱した軍隊を見捨てて、軍隊をまとめるべき本隊が動き出す。しかも防御を固めた王城へと向けて。一体どのようなバカが指揮をしたらそのような選択肢を取るのか。
学園を代表する明哲な頭脳を以てしてもこの未来を予想することはできなかった。




