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13ー3.対岸の火事 その3

 王城内での意見はようやくまとまりかけていた。ホークロア王家の内情に詳しいという触れ込みで入り込んだダッツ・ゼイとそのシンパたちが掲げるクーデター支持の声を抑え込むのに随分と時間と労力を使ってしまったのだ。


「陛下、主だった貴族はホークロア王国支援に賛同する旨、根回しは済んでおります」

「うむ、苦労をかけたなコースレア」


 ウェスホーク王が公爵に短いながら謝辞を述べる。長く王国を支えてきた初老の貴族にとってそれだけで十分に意図は汲み取れた。しかし、それだけに自らの力不足が口惜しい。


「しかし、申し訳ありませぬ、陛下。あまりに時をかけすぎました。貴族が纏まったところで、市井の民と軍の支持を取り付けねば後々禍根を残すことになるでしょう」


 いかにも、政治を一握りの者たちだけのものだと勘違いすればそれは反感を買うことは必定。長く安定した支配を望むなら彼らに対して鈍感になるわけにはいかないのだ。


「仕方あるまい、誤りを認めるために時間が必要だったのだ」


 特にプライドの高い我々のような人間には。その自虐の部分を口にするわけにはいかない王の立場を慮り、公爵もそれ以上は言わない。ただ黙って王のそばに寄り添っていた。


 そんな静かな王室に無作法なまでに足音を立て衛兵が入ってくる。


「御前であるぞ」


 先ほどとは打って変わって威厳に満ちた顔で公爵が衛兵に睨みを利かせる。公爵よりも上背があり、当然体格も上回る衛兵はその覇気だけで怖気づき、しかし震える声のまま伝えた。


「も、申し訳ありません。その、それが、どうしてもご判断をいただかなければならなかったため」

「なんだ、申してみよ」


 王が静かに問う。その落ち着いた態度にいくらか衛兵は冷静さを取り戻し口調を改めると報告した。


「王城前にぃ、市民が集まりぃ、ホークロア救援のぉ、嘆願を行っております!」


 いつもの格式ばった声は王室に良く響いた。その声にいつもどおり首肯を返した王は、しかしその内容に一瞬戸惑い、つい聞き返してしまう。


「ホークロアを救援?」


 王に聞き返され反射的にもう一度衛兵は報告を繰り返そうとした。しかし、その言葉は後から来たもう一人の衛兵によって中断される。


「伝令! 伝令! 王国軍の主だった部隊がホークロアを救援すべしと嘆願書を持ってこちらにやって来ます」


 王家への反逆とならないよう軍が何か決死の覚悟で願い出る場合には先触れを出す手順になっている。そのことを勿論知っている王と公爵だったが目まぐるしく動く事態の推移に一瞬、我が国にもクーデターの機運が舞い込んできたのではないかと、そんな勘違いをして慌てるほどだった。



▼▼▼


 ホークロアの元王子、ホーランドはベッドに体を横たえながらただ時間が過ぎるのを待つ日々を過ごしていた。

 何もやる気がしない。今まで自分を突き動かしていた自尊心や功名心、他者から認められたいという欲求はすっかりと消えてしまった。あの厄介な感情に突き動かされていた時分はなぜ自分はこんなものに振り回されるのかと内心では疎んじていたはずなのに、いざ無くなってしまえば、それ以外に自分が夢中になれるものが無かったのだと気付いてしまった。

 決して褒められたものではなく、世間から見れば人の醜い面の一つに数えられる。そんな感情でも自分にとっては大切なものだったと、今更のように認めることができた。


 まるで、余のようだな。


 自虐的にホーランドは思う。自分が人から疎まれる性質であることは鼻から承知だった。それでも、ホークロア国民の自尊心を満たすために彼らが一時の溜飲を下げられるようにウェスホーク王国を中傷する言葉を吐いてきた。そうすれば、彼らは喜んでくれたのだ。

 ホーランドは愛されないがゆえに愛に飢え、そして飢えを満たす単純な方法を選んでしまった。

 その一時は、確かに心が満たされるのを感じた。だからそれが誤りだと訴える心のどこかの言葉を見えない振りができた。

 しかし、こうして全てが失われると、これまでの後悔が押し寄せてくる。見えない振りをしようとも結局は自分は気付いていたのだ。だからこそ、自らの愚かさを十分に突きつけられる。


「所詮は全て無駄だったのだ」


 間違った努力も間違った信念も間違った仲間たちも、全ては間違いなのだから無駄でしかなかった。

 そうだ、これから行うことも間違いなら無駄になるだけ、なら何もしない方がいい。ホーランドはそう言い訳をし、今日も学生寮でニート生活を続けている。


 ホーランドは空腹を感じてベッドから起き上がる。太陽は随分と高く昇り朝とはいえない時間帯だが夜更かしが通例になっているホーランドにとってはこれが一日の最初の食事になる。

 いつものように食堂に行けば今朝の残り物のパンと焼きそばが机の上に置いてあった。


「落ちぶれた余には似合いの食事であるな」


 ホーランドはそう自嘲すると机に着き勝手に食事を始める。寮は別に誰か管理人がいるわけでもなく、食事や洗濯といったものは各々で何とかするただの寄り合い所帯の意味合いしかないのだがホーランドは先人であるウルク元王子やネスケに従いしっかりとベルに寄生している。

 この食事も別にホーランドのために用意されたものであると決まっているわけでもないが名前が書いてないのだから文句は言われまい、と勝手な理屈で自分の朝食にしてしまっている。


「往時であった頃は、暖かいスープが出てきたものであるが、落ちぶれた余には過ぎたものか」


 そう言いながら焼きそばをパンに挟み豪快にかぶりつく。ウルク元王子を真似して最近身に着けた習慣をホーランドは気に入ったのか、誰も見ていないところでの食事のスタイルはいつもこれだ。


「もぐもぐ、この油まみれの麺を、むぐ、パンで包んで誤魔化すとは、もぐ、なんとも品の無い庶民的な、はむ、もぐ、このような物を食べねば生きていけぬとは、ごくん、余はなんと不幸なのか」


 指についたソースを丁寧に舐め取る無作法は別に誰に強制されたわけでもなく、ただもったいないのでやっているだけだ。ホーランドがつぶやいているのは言い訳ではない。この場に誰もいないのだから敢えて言い訳する相手などいないのだから。ただ、自分が不幸なほうがこうやってする食事がうまくなる気がしたのだ。


 寮の玄関でなにやら音がした。

 まずい、ベルが帰ってきた。

 ホーランドはもしかしたらこの食事がベルの昼ご飯である可能性に勿論気付いていたので証拠隠滅のために急いで残りを口にほうばり飲み込む。慌てて喉に突っ返させた苦しさから目じりに涙が浮かんでいた。


「ホーランド王子、起きていたのですね」


 むせるのを我慢しているホーランドの背中に優しい言葉がかけられる。鈴の音を思わせるリンと響くその声は、この学生寮でともに暮らすベル・ベチカのものだ。

 ホーランドは喉につまり気味のパンを何とか飲み下そうと返事ができない。それに下手に顔をそちらに向ければ口元のソースで昼飯泥棒がばれてしまう。


「よかった。心配していました、さぞや御辛いのだろうって。ですからかける言葉が思いつかず見守ることしかできませんでした」


 どうやらホーランドの沈黙をベルはいい具合に勘違いしてくれたようだ。

 しかし、余が食っちゃ寝する様子をベルは殺意のこもった目で見ていたような気がしていたが、それは勘違いであったようだな。

 ホーランドは安心すると喉のつまりも取れ、ようやくベルに返事ができるようになった。


「すまないな、ベル。よもやそなたが心配しているとは」

「当たり前じゃないですか、ホーランド王子。私は王子とは同じ学び舎の友人、心配して当然です」

「よせ。もう余は王子ではない」


 ホーランドは今更ながらベルが自分を王子と呼んでいることに気付いた。その名は既に忌まわしきものとして捉えているホーランドは思わず強い声で否定してしまう。


 女性に向かって声を荒げるなど、堕ちるところまで堕ちたな。


 今日、何度目かの自嘲をし、こんなことでは見捨てられても文句は言えないと投げやりな方向に思考が向いてしまう。

 だがベルは違った。


「いいえ、王子は王子です。あなたには、ホーランド王子には叶えたい夢があるのでしょう?」


 夢、彼女が夢と呼んでいるのはそんなきれいなものではない。ただ国の民たちから愛されたい、そんな欲望のことを夢と呼べるはずがない。それに、


「余の夢はずっと遠くに行ってしまった。今更、追いかけたところで、もう遅い」


 夢に手を伸ばせば届きそうな、そんな場所にいたのにホーランドは転げ落ちた。そのことがより一層自分を惨めにする。ここから這い上がらなければいけない、まず元いた場所にまで戻らなければ。いったいそれはいつのことになるのか。どれだけの努力をしなければいけないのか。それは無駄ではないのか。

 ホーランドはそれならばこのまま怠惰に堕ちて行った方がいいと思った。誰に迷惑をかけるわけでもない。


「誰に迷惑をかけるわけでもないのだ。放って置いてくれ」


 その言葉にベルがピクリと反応する。今まで柔和に子供に諭して聞かせるようだったものが空気を一変させる。


 バチコンッ!!


 一瞬、何が起こったのか分からなかった。目の前が真っ白になり、頬が熱くなっているのだけが分かった。

 ホーランドの視界にいるのはベル、ただ一人。振りぬいた右の手のひらが桜色に腫れ、目には涙を浮かべている。

 彼女は怒っているのだ。感情が高ぶってつい手が出るほどに。余のことを怒ってくれるのだ。


「夢にゴールはあっても、順位はないんです。周回遅れでも、びりっけつでも、夢のゴールにたどり着けば、それが全てなんです」


 今まで余にこれほど真剣に語りかけた人がいただろうか。無性に目の前にあるものを掴みたくなる。今まで全てを諦め、所詮は無駄になるものと悟った風を気取り、怠惰こそが自分の居場所だと勝手に思い込んでいた、そんな人間が性懲りもなくまた何かを欲しくなる。

 人間とは何と強欲なのだろう、だが、それでよいではないか。


 ホーランドはそっと人差し指を差し出し、ベルの頬を流れる涙を拭った。意外にもざらついた感触がするのはきっと興奮して感覚が鋭敏になっているからだろう。


 いつの間にか、周囲に人の声が溢れている。この寮を取り囲むように大勢の人が熱気と声を伴い集っている。そんな気配に突き動かされホーランドは寮の外へとまろび出る。

 そこにはウェスホークの人々が集っていた。


「王子! 俺はあんたに協力するぜ! 助けに行くんだろ!」

「我々ウェスホーク王国軍は友邦を見捨てなどしない」

「義がどちらにあるかは明らか! 逆賊を討とうではないか」


 いつの間にか余はこんなにも多くの人々から慕われていた。やはり、あふれ出る知性と品位はどのような場所にあっても認められるものなのだ。

 急速に自信を取り戻したホーランドは大衆を前に臆することなく叫ぶ。


「余はホークロア王国が第一王子! 祖国の窮地をいざ、救わん!」


▼▼▼


 何か急にイキリだした元ニートの背中をベルは見ながらとりあえず順調にことが進んだことに満足した。

 あの王子がふざけたことを言い出すのでつい手が出てしまったが何とか言いくるめることができた。そう、あのときに使った詭弁は因縁があるセリフのせいかすんなりと口から出てきたのだ。


 りょうが現代でブラック企業に勤めていた頃の話だ。毎月の営業ノルマには届かなかったもののりょうはそこの営業所でトップの成績となり、そもそも達成不可能な無茶なノルマを課すのが悪いと締め日ではあったが深夜を回る前に帰ることにしたのだ。自分はこの営業所の誰よりも結果の出しているのだから少しぐらい早く帰ったところで文句を言われる筋合いはない、そう思っていた。

 そんなりょうの肩を掴んだのは他でもない営業所長だった。

 自分はこれ以上ないほど成績を残したのだ、そもそも無茶なノルマに付き合う道理は無い。そんなことを言った気がする。

 それに対して所長が言ったのが、さっきりょうがとっさに言ったでまかせだ。


 夢にゴールはあっても順位は無いんだ。トップだろうがなんだろうがゴールしなきゃ意味無いよ。


 あの時抱いた殺意は今でも忘れられない。

 りょうはそんな忌まわしいセリフを他の奴に押し付けることができてどこかスッとしていた。だが、その表情がかつての営業所長と同じものであることに、まだ気付いてはいなかった。

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