9.王子、勘当される
「どうであるか? ベル・ベチカ。余の素晴らしさが分かったであろう」
「はあ、いえ、ぜんぜん」
飽きもせず粉をかけて来るホーランド王子にベルは聞き飽きた様子でいつもの返事を返す。
「まったく、これだからウェスホークは、まったく。ホークロアの先進的な文化を理解できないから余の素晴らしさも分からないのだな」
「な、僕のベルに対してなんだ、その態度は。謝り給え」
「ふふん、ウェスホークでは正直に物を言うと謝罪しなければならないのかね」
口調とは裏腹にホーランド王子は何やら嬉しそうだ。ウルク元王子が反応してくれるのが嬉しいのだろう。しかし、その光景はいつものことではあるが、ベルはふと疑問に思った。
ホーランド王子がベルにやたらと求愛行動というか絡んでくるのは明らかにウルク元王子への当てつけだろう。実際、もうベルなどそっちのけでホーランド王子はウルク元王子とやりあっている。
「僕のベルはね、心の優しい女性なんだ。だから君が失礼なことを言っても我慢しているんだ。それを君は調子に乗って」
「ふふん、これだからウェスホークは。余には分かっているぞ、あの女の卑しい性根が。男を資産価値でしか見ていない人間の目だ」
「ホーランド王子。君の目は節穴だよ。彼女のつぶらな瞳を見てそんなことを言えるなんて」
大使館で聞いた話を総合するとホーランド王子はそろそろやらかしが過ぎて本国に強制帰国させられるのでは、と思っていたのだが、その考えはまだ甘いのではと思えてきたのだ。
「わしのベルにあまり言い過ぎるとわしの剣のサビにしてくれるぞ」
「ふふん、これだからウェスホークは。口では敵わないと見るとすぐに暴力に訴える」
「口で言っても聞かぬ小僧にお仕置きをしてやろうと言う話なだけなんじゃがのう」
その証拠に今ではクラスで若干鼻つまみ者になっているウルク王子とネスケの言葉に周りが同調しつつある。
「そうですわ! いい加減、わたくしたちも耐えられなくなりましてよ」
「いい加減にしたまえよ! いくら王子とはいえ我々も言われっぱなしではいられないぞ」
「王子の言葉は友好国からの苦言で済ませられる限界を越えているぞ」
いつもは品よく大人しい上流階級のクラスの子弟たちが隣国の王子に抗議の声を挙げる。罵声と言うほどではないが、しかし彼らのいつもの様子を知っていればそれが最大級の警告であることは普通の感性を持っていれば分かるだろう。残念ながらホーランド王子にはその感性は備わっていなかったが。
「ふふん、お前たちはそのような口を余に叩いても良いのか? 余は王子ぞ、そこの勘当された元王子ではなく、現役王子ぞ」
引き合いに出されたウルク元王子は別段その揶揄に表情を変えることはない。いやもっと悔しそうにしろよ、ベルは内心でそう思ったが生粋のノーブレスであるウルク元王子にとってはその程度の嫌味でいちいち腹をたてるようなことはしないのだ。僕が怒るのは愛する君が侮辱されて時だけだよ、そんな視線をベルに送っている。
クラスの空気が険悪になっていく。そんな中、この学院で最も空気を読まない人物が登場した。
「おーほっほっほ、どーしたのですわよ。そんなに険しい顔をして、元王子」
何やら久しぶりに聞いた気がする高笑いはコーネリアスのものだ。
ホーランド王子よりも尊大な態度を惜しげもなくばら撒きながら周囲の注目を攫っていく。
「あの、コーネリアス様、お久しぶりです。あの、一応ウルク王子のことを元王子と呼ぶのはよしましょうと、この前の帰りのホームルームで決まったのですから、あの、一応はウルク王子と呼んで差し上げてください」
圧倒されているクラスを代表してベルがコーネリアスにご注進を立てる。キョトンとした顔でベルを見返すコーネリアスは別段悪気があるわけでは無さそうだが、それがまたウルク元王子を惨めにする。悪意のある言葉には滅法強いウルク元王子だが、他意のない純粋な事実の指摘は心臓までグサリと届く。そんなウルク元王子の様子に、ついベルは彼を庇ってしまった。
ホーランド王子は勿論こんなチャンスを逃すはずがない。ウルク元王子が傷ついていることを察すると、すかさず追い打ちをかける。
「ふふん、どうしたんだ元王子、ふん、悩みがあるなら、余が相談に乗ってやろうぞ、現役王子として」
「……、君に聞いてもらう悩みなど無い」
珍しくぶっきら棒に答えるウルク元王子。それを見てますます増長する現役王子。まさに光と闇が一所に現出している。
「何を言っているのですわよ?」
そんなやり取りの中、コーネリアスだけが未だにキョトンとした顔をしている。ベルは他の生徒たちに代わり仕方なく説明する。
「ウルク元王子は平気な顔をしてましたが、本当のところは親から勘当されたことを気にしてらしたんです。だからギャンブルにのめり込んだりもしているんです。でもそれは本人に言うと傷つくので皆知らないふりをしているんです」
「そのくらいのこと、わたくしも知っていますわよ。それよりも、わたくしが疑問に思っているのは、なんでホーランドさんは嬉しそうに元王子と連呼されているのですわよ?」
「え?」
「ですわよ? だって、ホーランドさんも勘当されて立派な元王子になったのですわよ?」
悪意のある言葉というのはえてして身構えていればダメージはそれほど大きくはない。人は日々の生活の中で知らないうちにそういった訓練を積み、心の衝撃を逃がすことを覚えていくのだから。しかし不意の、まるで背中から刺されるような一言には存外に弱い。だからこそ卓越した貴族というのは無邪気を装い相手の心に隙きを作るのが上手いのだ。
コーネリアスもご多分に漏れずそういった手管に造詣が深い。相手を調子に乗らせ、失言を誘発し、自分の吐いた悪意が山びこのように返ってくる、そんな状況に陥れる。そんな悪辣な手管を極めている。
今やコーネリアスの表情には隠されていた悪意でベッタリと染まっている。
「あら? あらあらあら、もしかしてもしかしなくても、ホーランドさんはご存じなかったのですか? 先程、ホーランドさんのご実家のホークロア王家が発表されていましたのですわよ。ホーランドさんはまだ王子の粋に達していないとかで王子の位を剥奪すると。でも大丈夫ですわよ、きっと頑張れば許してくれますわよ、わたくし心の中で応援していますわよ、だから頑張ってホーランド王子、いえ、元王子」
コーネリアスが親切ぶった口調でホーランド元王子に説明する。混乱の中に逃さぬよう、ホーランド元王子がきっちりと理解できるように説明を刷り込んでいく。
そのせいで呆然としながらもホーランド元王子は状況をきっちりと理解した。
「余が、余が、元王子?」
「ぶっふ」
他人の不幸というものは数ある娯楽の一つに数えられる。その最大の魅力は不幸になる人間が憎まれていればいるほどエンターテイメントとして完成されていくことにある。今がまさにそんな状況だった。
「元王子が、余?」
いつものウルク元王子の性格の良さなら傷ついているホーランド元王子に追い討ちをかけるような事はしなかっただろう。ただ、散々煽られた後では流石に堪忍袋の緒が切れたのかホーランド元王子の肩に手をやると一言だけ言い放った。
「ようこそ、元王子の世界へ」




