8.隣国の王子の評判
「やーばいでしょ、後輩」
「まじやーばいですよね、先輩」
ホークロア王国の若手官僚の二人が仲良く連れションしているこの場所はウェスホーク王国の首都に位置するホークロア大使館の男子用トイレだ。爵位持ちが滅多に利用することがない、下々のためのこういった場所は上の人間には聞かせられないグチや噂話を吐露するのには打ってつけなのだ。
「うちの王子、何考えてんでしょうね? 先輩」
「おいおい、俺に聞くなよ。後輩」
不用意と言えばその通りではあるが、しかし胸のうちに溜め込んだままではそのうちプツリと切れてしまいかねない。そうなったら、それこそ取り返しのつかないことを仕出かしかねないのだから、これはある意味で必要なことなのだ。
「マジで、王子、ゼイ商会の脱税、庇うつもりなんっすかね」
「つもりも何も、もう揉み消した後なんだから、あれは存在しないことになってんだよ」
そんな二人の若手官僚のガス抜きの話題は今や公然の秘密と化したある商会の脱税事件だった。何を隠そう、その商会と言うのが王室御用達の商会でありホーランド王子の友人と言うことにもなっている人物、ダッツ・ゼイが率いているゼイ商会なのだ。
その件の人物であるダッツをホーランド王子の指示で罪一等を減ずるどころか罪自体を無かったことにしてしまったのだ。
「でも、王子ってそういうキャラじゃないっすよね、先輩。友達だろうが落ち目はちゃっちゃと切り捨てるってキャラっすよね」
「それがざあ、後輩。ほら、あれだよあれ、王子の自伝」
「あー知ってるっす。あれですよね『ただのホーランド』。あの嘘八百の。あれマジでギャグとしては傑作なんっすけどね。ノンフィクションの自伝って言っちゃったから笑えないんっすよね」
「それがさあ、王子、信じちゃったんだよ、あの嘘八百の自伝を」
「?」
「だからさあ、あの自伝の王子が、本当の自分だって、思い込んじゃったんだよ」
「???」
「いや、俺も訳わかんねーんだけどさ」
「え? だって、『ただホ』の王子ってあれでしょ。仲間は絶対守る、仲間が間違えたときは寛容に許す、仲間のことは最後まで信じる、て熱血バカキャラっすよ?」
「だから、自伝書いてるうちに自分はそういう熱いキャラだって信じちゃったのよ」
「はぇ~」
すっかり勢いを無くした小便のアーチが後輩の内心を物語っている。自分たちが大わらわになって対応している問題の根が思った以上にしょぼい所にあったのだから当然とも言えよう。
そのせいか、後輩のグチは少々先鋭化していった。
「でもマジでシャレにならないっすよ。この前も貴族が一個潰れたじゃないっすか。商人の脱税が原因で首が回らなくなって」
「ああ、そうだな」
「あんときも俺らめっちゃ説得したんすよ。今、王家主導で脱税撲滅キャンペーンやってますからって、『STOP!脱税!』で商人の脱税無くなりますから、したらまた貴族家の再興も夢じゃないすから、今は我慢してつかーさいって。なのに当の王子が脱税した商人かばっちゃったらやばいでしょ。不満続出でしょ」
「普通はな、普通は、ああいうやらかした商人かばうにしてももう少し上手くやるんだよ。調査の結果、脱税の事実はありませんでしたって言っといて、しれっと処分はするんだよ。それで大体は察して皆鉾を収めるんだよ。それでやらかした商人も禊が終われば復帰の道もあるんだけどさ、今回はガチでかばってんだよ。マジで処分無しで押し通すつもりらしい。これ絶対荒れるから、いや一番可哀想なのは商人かもな。王子が全力でかばってるからもう後に引けないし、周りからは針のむしろだし」
若手官僚の二人は言いたいことを便所に流し終えると幾分スッキリした顔で出ていった。これからまたストレスフルな職場での仕事を再開するのだ。こういった息抜きがなければやっていられない。
そんな男子トイレの中で珍しく大の方のトイレが一つだけ使用中だった。
どうせお貴族様はこんなところには来ないと高をくくっていた彼らは最後まで注意を向けることはなかった。だからこそ、令はしっかりと一部始終を聞くことに成功したのだ。
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やはり、今回は冴えている。
令は自画自賛しながらあの隣国の王子、ホーランドという名の地雷を避けた判断の正しさを再確認した。最初からあの王子からは臭っていたのだ。ことごとく掴まされたクズ男の臭いが。
その結果として、2回も他の地雷を踏み抜いてしまったのだがそれはまあ別の話だ。切り替えていこう。
令はいつもの魔法道具店『魔女の鷲鼻』の営業活動の一環としてこのホークロア大使館にまでやって来ていた。流石に高級貴族たちが利用している区画までは入り込めなかったが、一般職員が使うような警備の甘い区画なら安々と侵入できた。そして、こういう上司の目が届かない場所というのは往々にして社内事情の噂話の社交場になることはかつてのブラック企業勤めの営業時代に培った経験から予想できた。その予想はビンゴだったわけだが。
「あのホーランド王子、やたらとウェスホークに対して攻撃的というか上から目線で来てたのはこれが原因だな」
隣国に留学する王子の役割といったら箔を付けるかパイプを作るか、それぐらいのはずだ。だというのにあの王子はやたらと周りを挑発して反感を買うぐらいしかやっていない。やっていることがちぐはぐだ。
だがさっきの二人の話をピースとして組み込めばこのパズルは一つの形を浮き立たせる。
ホーランド王子は自分とは似ても似つかないキャラクターを自分のことのように自伝に書き記した。そしてどういうわけかそのキャラクターこそが真実の自分だと思い込んだわけだ。何故そのようなことになったのか、例の王子の自伝を読めばなんとなく想像はつく。
令は営業職の性で取引相手のトップが自伝を書いたならば一通り目を通すことはしている。自伝の内容を引いてヨイショすると非常にウケが良いのだ。
一応、ホーランド王子はともかくホークロア王国に販路を広げる可能性も考え大使館に営業をかける手前、王子の自伝の内容は頭に入っている。
大した内容ではなかったが、よく目についたのは仲間を見捨てない云々(うんぬん)に加えて愛国心がどうたらというものだった。
なるほど、つまり、ホーランド王子の中では自分は仲間を守る義に熱い人間で更に愛国心を燃やす王子様というキャラクターになっているわけだ。そしてその愛国心の発露がひたすらウェスホーク王国を見下して自分の国を持ち上げることに繋がっている、と。
「しかし、あれだけ極端だと、早晩良くないことになりそうだな」
既に留学先のこちらで問題を起こしまくっているが、さっきの二人の話だと本国の方でもやらかしが発生しつつあるようだ。
なるべく距離を取ろう。爆心地から離れていればそれだけ安全だ。
「くわばらくわばら」
令はこれから来ると予想されるホーランド王子の没落劇に特に同情心は抱かず未来の自分の安寧の心配に終始するのだった。