7.芸術にとって優劣よりも大切なこと
ホーランド王子とエロォウの芸術対決の日がやってきた。天気は快晴。しかし、それはもしかしたら不幸なことだったのかもしれない。
ホーランド王子とエロォウのプライドを賭けた、そしてホークロアとウェスホークの両国の文化を否応なく比較されるこの戦いは学院だけでなく王都に住む多くの人々にとっても注目の的だった。
それを反映してか芸術勝負の場は首都の中心にほど近い森林公園で執り行われた。
この森林公園は地面がレンガで舗装され緑が寂しいこのウェスホーク王国の首都において森林浴を楽しめることで民に愛されている。勿論、その景観はウェスホーク百景に数えられるほど整えられたものだ。
芸術勝負の場に選ばれるには十分な理由があった。
だからこそホーランド王子がこの森林公園を会場にすることに固執した違和感に気付いたものはウェスホークの側にはいなかった。逆に言えばホークロアの側は大体察していた。
「まずいよまずいよ、また王子の病気だよ」
「おい! どうなんだ! 大丈夫なのか!」
「今、ウェスホークの法律を調べているところだが、五分五分といったところだ」
「おい! そんな曖昧な。責任を取らされるのは俺達なんだぞ」
ホークロアの側で何やら小声で争う声が聞こえる。
もしも対戦相手が焦った様子を見せていたならば気になるだろう。何しろ相手が自壊するのは最も確実に勝負を取れる展開だからだ。
しかし、エロォウは相手のことなど気にしていない。エロォウが向かい合うのはキャンバスのみ。いや、キャンバスの中で無邪気に舞う一糸纏わぬホビットだけだ。
「流石はエロォウさん。素晴らしいホビットの美しさです。私、とっても感動でもう言葉が無いです」
観戦に来ていたベルはきっちりエロォウへのアピールを忘れない。
「私、エロォウさんの言うホビットの美しさの話、理解しました。まさにその通り、と言うか」
徹底的な褒め殺し戦略をとるベル。しかし、そんなベルの言葉も当然エロォウには届かない。何故ならベルは対象年齢ではないからだ。もとい、ホビット族ではないからだ。
そんな感じでわちゃわちゃしているとベルからだけではなく周りの観衆からもエロォウに声援が飛ぶ。
「エロォウ、頑張れ! ウェスホークの誇り!」
「ホークロアの鼻をあかしてやれ!」
「エロォウ! お前の絵はアレだが、応援してるぞ!」
観衆の中には明らかにエロォウの芸術を解さない類の人間も含まれていた。
そんな彼らがエロォウを応援しようと詰めかけているのは対戦相手が原因だろう。ホーランド王子の人から嫌われる性格が皮肉な形で奏功した。
元来、論議を呼ぶエロォウの作品だったがホーランド王子の鼻をあかして欲しい人々が応援に回っている。そんな人々が集まることでこの芸術対決が大変な盛り上がりを見せているのだ。
だがこれはホーランド王子の様に性格の悪い自信家にとっては垂涎の状況だろう。勝利を信じて集まった有象無象が絶望に顔を歪ませる。勝手に持ち上げられた英雄が敗北を責められる。与えらた声援以上の石つぶてが哀れな男に降り注ぐ。王子の一番お気に入りの戯曲が荘厳なオーケストラで奏でられるような、そんな最高に気持ちの良い瞬間が今そこに待っているのだから。
ホーランド王子はいつもの怜悧な白貌に常よりも深い笑みを刻ませた。
王子の格好は不思議なものだった。真っ白な、染み一つない一枚のシーツに身を包んでいる。草地とは言え僅かに覗いている裸足の足元が汚れるのも厭わないその格好は普段の王子からは考えられない。
「くっくっく、バカな奴らだ。余の、ホークロア最高の芸術の前では勝ち目など無いというのに」
王子が誰かに聞かせるようにワザとらしく呟く。好きな戯曲の好きな主人公の好きな台詞、を意識した王子の完全なオリジナル。なりきり王子がいきり散らしている。
だが、残念ながら王子の周りの人間たちはその戯曲には参加していない。
「もうだめだ、おしまいだ」
「俺はかんけいない、かんけいないかんけいない」
ホーランド王子は自分を取り巻く言葉を無視して歩き出す。森林公園の木々に隠れていた王子が観衆の前に姿を現す。
観衆は一瞬どよめき、静かになる。王子の格好に驚きはしたが努めて無視をする。ホーランド王子への反発心が王子に反応すること自体を戒める。
そんな大衆の心が手に取るように分かる王子はこれ見よがしにエロォウに近づく。
「なんだ、エロォウ殿はまだそんなものを描いているのか。余は知っているぞ、あれだろう、幼いものに惹かれる人間と言うのは、自信が無いのだろう、自身のアレに」
「……」
口元が裂け、大きく開いた目はエロォウの頭を見下ろしている。椅子に座りキャンバスに向かい合うエロォウの内心の傷を舐めるように観察し、満足すると彼をおいて王子は観衆へと向かい直った。
「それでは、諸君。ここに居合わせた幸運な諸君。本当の芸術を知らない哀れな諸君。ホークロアの、文化先進国の、最高の芸術である、余を、お目にかけよう」
ホークロアにおける芸術は世界の最先端を走っている。
芸術とは何か。ホークロア王国その問いの答えを求め続けた。美とは何か。暇を持て余した貴族たちが議論を尽くした。その結果、一つの結論が導かれた。
つまり美とは価値だ。代えがたいものほど美しい。この世界で最も代えがたい尊いもの、それは血だ。比肩するもの無き尊き血統、それが最も美しく火花を上げる瞬間を切り取る。それこそが最高の芸術だ。
ところで、読者諸兄は知っているだろうか? この世界の果て、海の際涯は崖であることを。もしも世界の先頭を走る船があるとすれば、それは最初に真っ逆さまに落ちる運命にあることを示している。
「これこそが最高の芸術であるところの、余だ!」
真っ白なシーツを脱ぎ捨てたホーランド王子。目を丸くする観衆。頭を抱える家臣たち。侮蔑からすぐさま視線を切るベル。キャンパスから目を離さないエロォウ。
木漏れ日から日光が差し込み無駄に王子の局部を強調する。何故か股に挟んでいる一輪のバラがその豊かな花びらで王子の自信の逸品を下から支えている。
まだ緑の多い森林公園の中で一点の紅はよく目立つ。
脚をクロスさせつま先立ちになり、両腕も頭の上でやっぱりクロスさせる。何かの絵画を意識したポージングでホークロアご自慢の芸術を見せびらかす王子。
そう言えば、ベル・べチカは赤い髪からウルク王子からよくバラに例えられる。ベルはそんなことを思い出しながらスモクリを出した。
「もしもし、はい、露出狂が、はい、刺激しないように、はい、そうします、急いでください」
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ホーランド王子は現着した衛兵の馬車に乗せられている。衛兵の馬車の屋根には派手に赤く光る魔法灯が掲げられ、野次馬たちを引き寄せている。さながら誘蛾灯のような光景の中でホーランド王子は馬車の中に隠され、布がかけられた手元と腰はその下がどうなっているのか他所からは見えない。
一方、王子の家臣が衛兵と交渉しているようだが、あまり上手くいっていないようだ。
「それでホークロアの王子が突然脱ぎだして局部を晒した、と」
「はい、あの、すいません、うちの王子は、一応王子なので、外交官特権で、不逮捕権を」
「いやー、王子は留学生でしょ、外交官じゃないしねー」
「はい、そこをなんとか」
ところで芸術勝負の方はホーランド王子の軽犯罪で一発退場なのでエロォウの勝利は確定している。
だがエロォウは手を休める様子はない。まるでキャンパスの中の世界に半身を潜り込ませるように鬼気迫る空気を背負い筆を振るう。エロォウが言っていたスジという部分には飽くなきディテールが加えられる。
光の表現は、光が見えないものゆえ作者の特徴が如実に現れる。エロォウのそれは一見すると白くつるりとした飾り気の無いものだが、よく見れば白の絵の具の下には赤と青で丹念にその下に息づく血潮を表現している。光を受け血管が透けて見える様は生命を感じさせる。
まさに生きたホビットを閉じ込めていると、それ以上の言葉が思いつかない。
「「「エロォウ! エロォウ! エロォウ! エロォウ!」」」
巻き起こる空前のエロォウコール。オーディエンスの熱気は最高潮。その絵に最後の一筆が足される瞬間を汗を握って待ち受ける。筆に油絵の具が染み込む。顔料を丹念に練り理想の色へと近づける。
筆が止まった。
最後の一瞬がやって来たのだ。
自然と周囲から音が消えていく。人々は口を閉じ叫ぶのを止める。その一瞬は静寂こそ最も似つかわしい。皆がそう思っていた。しかし、公権力にとってはそのような空気など関係なかった。
「はい、どいてね。本部、こちら森林公園、容疑者を発見、補導します」
人垣を分け入って現れた衛兵が重々しい足取りでエロォウに近づいていく。乱暴にエロォウの筆を握る手を止め、何やら口元に寄せた小型水晶で通信を取っている。
「はい、通報どおりです。児童ポルノと思しき絵を描いています。はい、このまま本部まで補導します」
衛兵の言葉はそれほど大きなものではなかったが固唾を呑んで見守っていた観衆の耳に届くには十分だった。
「おい、なんてことをするんだ!」
「それは芸術だぞ。それに児童じゃない、ホビットだ!」
「国家権力の横暴を許すな!}
自身が生み出す熱狂にすっかりのぼせ上がった観衆はエロォウを連れて行こうとする衛兵に罵声を浴びせる。ただホビット族の裸婦画を公衆の面前で描いていただけのエロォウを何の咎で衛兵が連れて行こうとするのか、彼らには全く分からなかったからだ。
そんな観衆に衛兵は怯むことなくお役所的な返答をした。
「はい、えー、こちらのエロォウくんは児童ポルノ作成の容疑で署でお話を聞きますので」
「ホビットは児童じゃない!」
「それはホビット差別だぞ、厳重に抗議するからな!」
「はい、えー、ホビット族につきましては、存在しないことが分かりましたので、本件は児童ポルノとして処理されます」
「「「え?」」」
衛兵が何を言っているのか分からず観衆が呆気にとられる。あれだけ口々に抗議していた声の波に一瞬の空白が生まれた。
「ホビットは、いない?」
誰かは分からない。だが観衆の中からポツリと一言だけ、全員の心中を代弁するように言葉が漏れる。衛兵は律儀にその言葉に答えた。
「ウェスホーク芸術協会の会長がゲロしましてね、ホビット族は存在が認められなかったそうです。いないことが分かっていながら、エロォウくんの絵をホビット族と偽った、と証言しました」
衛兵はあくまでも淡々と事務的に話している。その態度がよりいっそう内容が事実であることを観衆たちに印象付ける。
「違う、あれはホビットだ」
両手を衛兵に抑えられたエロォウが言葉少なに抗弁する。感情的ではない、いつもの落ち着いた口調で。ただ、いつもと違うのは視線をまっすぐ地面に落としていること。
「あれは、ホビットだ」
地面に向けてもう一度エロォウが言う。その一言で観衆は大体のことを察した。
「わたくし最初からああいう絵はどうかと思っていたのですわよ」
大衆の心の移ろいは意外と早い。観衆の中の誰かが言った意見は即座に採用され、最初から私たちはああいう絵には疑問を持っていたことになったのだ。
観衆が進んで衛兵の進路に道を空ける。その割れた人垣の間を二人の衛兵がエロォウを挟むようにして粛々と前に進んでいく。布を被せられてエロォウの表情はここからでは窺い知ることはできない。ただ、時折人垣から瞬く光魔法のフラッシュがいかにも彼の凋落を印象付けていた。
奇しくもエロォウはホーランド王子が乗せられていた馬車と同型のものに乗せられる。そして、タイミングを見計らっていたかのように両の馬車は鞭を入れられ走り出した。
芸術という華々しい分野で競い合った二人が今はモノクロにくすんだ馬車に乗って退場していく。そんな侘しさを感じさせる光景は人々に一つの大切なことを教えてくれた。
芸術にとって何が大切なのか。美しさや歴史や名誉ではない、もっと大切なものがある。それは法律に触れると怒られが発生しちゃうということだ。




