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3.隣国の王子、美食について語り明かす

 ラード・コレステロール、ウェスホーク王国の美食の未来を担う若者を狙っているのは勿論ベルだけではない。ここにもまた一人、将来有望な貴族の子弟へのアプローチに余念のない一人の令嬢がいた。


「おーほっほっほっほ。ラードさん、わたくし最近、揚げ物に嵌っていますのよ。それで考えたんですけれど、この牛脂の塊に小麦粉と砂糖をまぶして揚げた、名付けて『ブラッド・ストリーム・ストッパー』というお料理なんですが。どうでしょう、お気に召すのではなくってですわよ」

「ほほう、なるほどなるほど、どれ一口。もぐ、もぐもぐもぐ、もぐ。ああ、くるくるくる、この心臓がキュンとなる感じ。まさに料理に対するときめき。久しぶりに来た」


 どうやらラードはコーネリアスの料理が気に入ったようだ。なにやら心臓の辺りを手で押さえながらコーネリアスの料理『ブラッド・ストリーム・ストッパー』を夢中で頬張る。

 手をべとべとにしながら夢中になっているラードの様子をコーネリアスは嫌な顔一つせず、むしろ嬉しそうに見ていた。


 しかし、それを見て気に入らない様子の生徒が一人いた。誰あろうホーランド王子である。


「くそぅ、余を差し置いて。ホークロア王国は食文化においてもノルスディア大陸随一の文化強進国なんだぞぅ。それがあんな劣等料理に負けるなど、許されん」


 ホーランド王子は自慢の宮廷料理人たちにベルが見向きもせず、あのラードが嗜好する高級脂肪酸料理に夢中であることに非常に強い嫉妬ジェラシーを感じていた。ホーランド王子は本国では蝶よ花よと持て囃され、勿論王室が抱える十指宮廷料理人たちはその栄華に一役買っていた。彼らが作り出す料理たちこそ食という文化の頂点であり基準スタンダード)である。つまり宮廷料理にどれだけ近いかがホークロア王国における評価尺度なのだ。

 それを当然とし疑いもしてこなかったホーランド王子にとって見ればベルの態度は異常そのものだった。

 納得できない。いや、そんな単純な言葉では言い表せないほどの理不尽だ。なんとかしてやり返さなければ安息の時はない。


「おい、そこの太っちょ。お前はたいそう食文化に精通しているようだな。どうだ、余と料理勝負をしてみないか? まぁ自信がなければ尻尾を巻いて逃げてもかまわんが」

「もぐもぐ、なに! ホークロアの料理をご馳走してくれるのか! よいだろう、ならばその勝負、受けて立とう」


 ホーランド王子が考えた筋書きとは異なるがラードはすんなりと勝負に乗って来た。

 まあいい、勝負になればこちらのもの。このホークロアの王子が負けるはずなかろうなのだ。



▼▼▼


 学院の中庭は一転して戦場バトル・フィールドと化していた。

 中央には季節を代表する食材たちが魔法によって鮮度を保たれたまま山と積まれている。そしてちょうど西と東の方角に、ウェスホークとホークロアが東西に隣接することにちなんで、それぞれ台所キッチンが設けられている。金属製のそれらはこのような料理勝負が行われることを予想していた初代学院長が学院の設立当初から用意し、今まで倉庫で埃をかぶっていた物だ。


「あの、ところで何で私がここに呼ばれているんでしょう?」


 ベルは一人、観衆から切り離され戦場のど真ん中に座らされている。


「それは勿論、この勝負の裁定人だからに決まっているからであろう」

「えっ?」


 ベルはそんなの初耳だと焦るがホーランド王子にとってはそんなことは関係ない。これは王子の矜持プライドを取り戻すための戦い。王子の誘いを無視してあんなラードなどと言う小物になびいた事を後悔させることこそが目的なのだ。そのためにも料理の採点者と言う名目で二人の料理の食べ比べをさせて、その優劣をはっきりと分からせてやらなければならない。


「はぁまぁタダで食べられるなら」


 ベルはしぶしぶと認める。

 その様子を見てホーランド王子は自信ありげに言う。


「ふふっ、余の料理の腕を見て、昨日の誘いを断ったこと後悔するがいい。はっはっはっは」


 ホーランド王子はもう既に勝ったような勢いで笑っていた。

 このとき既にラードの方では料理が始まっていたが、それらは自分用の脂身料理だったため反則にはならなかった。



▼▼▼


 勝負の鐘が鳴る。

 最初に動き出したのはホーランド王子だ。


「余の料理の腕、見るがよい」


 そう言うと指を鳴らす。合図で動き出したのは控えていた十指宮廷料理人たち。彼らはてきぱきと食材を選び出していく。それらはどれもが艶やかで食材の目利きに熟練していることが窺える。一方でホーランド王子はその場から一歩も動こうとしない。勿論、指の一本ですら例外ではない。

 ベルが皆の疑問を代表して王子に問う。


「あの、ホーランド王子。これは王子とラードさんの料理の腕を競う勝負ですよね。先ほどから宮廷料理人しか働いていないのですが」

「?」

「いえ(はてな)ではなくて。王子自身が料理しなければ、王子の料理の腕が優れているという話にはならないのでは?」

「はっはっは、そういうことか」


 初歩的なミスを見つけた教師のような、自信と若干の嫌味と優越感を感じさせる笑い方。そんなホーランド王子の態度にベルはいらっとしたが我慢する。この手の奴らにムキになってはいけない。そのことを最近よく理解したばかりではないか。


「余は王子ぞ。王子の料理の腕といえば抱えている料理人の腕に決まっているであろう」


 なんだその自分ルール。これもう反則負けにしていいんじゃないか。ベルはそう思ったが、よくよく考えるとこの勝負のルールをベルはろくすっぽ聞かされていない。ラードが抗議すれば即反則にできるのだが、先ほどからラードは自分が作った揚げたてのチキンフライを食べるのに忙しそうだ。

 ベルは仕方なくホーランド王子にそれ以上突っ込むことなく黙って成り行きを見守ることにした。


「あの、ところでホーランド王子。あの宮廷料理人の皆様は何をしているのですか?」


 見守ることにしたのだが、しかし人間には我慢の限界がある。例えば、住人もいる料理人が縦に一列になり何やら不思議な舞を踊っている時だ。


「なんだウェスホーク王国の人間はそんなことも知らないのか。余が説明してやろう。我がホークロアの進んだ文化では如何に料理に手間を掛けないかが重要になる。するとどうだ? 料理人が十人も並んで料理に立ち働いていては手間を掛けているように見えてしまうだろう?」


 どうだ? と言われてもホーランド王子が用意した料理人たちだろう。そう突っ込みたい気持ちをグッとこらえてベルはただ話を聞く態勢を維持する。下手に反応すると興味を持っていると勘違いされて説明が白熱しだすのがこの手の人間の厄介なところだと最近学んだのだ。


「そこで余の宮廷料理人たちはあのように縦に一列になり正面からはまるで一人の人間のように見えるよう立っているのだ」

「あの、それで何で踊っているんですか?」

「あれは踊っているのではない。後ろにいる人間が何とかして手を届かせようと手を伸ばしているのだ」


 異国の文化というものは一見すると理解に苦しむものが有る。しかしその成立過程を歴史を追うように理解していけばどのようなものでも納得できる。そういうものだとベルは思っていた。しかし自分の浅はかさを痛感した。この世の中には全く意味不明な文化というものも存在したのだ。

 ベルは精神の安定を図るべくラードの方へと視線を向ける。そこでは料理勝負のはずなのに揚げたはしから自分の胃袋へと揚げ物を放り込んでいくラードの姿があった。


 わかるわかる。揚げたてが一番美味しいから冷めないうちに食べてるんだよね。


 ベルの精神がほんの僅かではあるが安定した。




 両者の料理が出揃った。どこか遠くに心を逃がすことで安定を図っていたベルは、その途中経過を見ることができなかったが特に残念でもない。

 さっさと終わらせたい。その一念から粛々と目の前に並べられた料理の評価を行う。


「何をしているのだ? ベル・ベチカ」

「いえ、さっさと料理の採点をしようと」


 早速料理を覆い隠している蓋を取ろうと手を伸ばしたベルにホーランド王子が問いかける。なんだろうか、何かテーブルマナーのようなものでもあるのだろうか?


「ふっ、何を言っているんだ。料理勝負といえば、まずは台所キッチンの清掃具合の評価からだろう}

「えっ?」


 台所キッチンの清掃具合? 確かに日常生活なら重要かもしれないが、これは料理勝負だ。台所キッチンがどれだけきれいに掃除されているかなど料理の味には何の関係もないだろう。

 だがベルの疑問を他所にホーランド王子の自慢げな解説はもう始まっていた。


「見てみよ、あの来る前よりもきれいになった台所の様子を」

「はぁ、確かにきれいですが」

「ふふっ、その秘密はな、宮廷料理人にのみ伝えられている秘伝ではあるが今日は特別に教えてやろう。今、十指宮廷料理人が持っているのはクエン酸と重曹だ」

「はぁ、クエン酸、重曹」

「ふふっ、何のことか分からぬであろう。よいか? 台所の汚れは主にたんぱく質と脂の汚れだ。しかし両者を溶かすのはそれぞれ酸性とアルカリ性、そこで宮廷料理人たちは研究を重ねクエン酸と重曹を……」


 ホーランド王子の自慢げな解説は続く。ベルはもう一度意識を遠くにやり精神の安定を保つことにした。


 さて、料理勝負の前哨戦、台所の清掃チェックが終わったのでようやく肝心の料理の試食が始まる。ちなみにラードの台所は揚げ物で飛び散った油汚れがひどくホーランド王子の中ではもう既にこの勝負は勝ったも同然という雰囲気になっている。


「それじゃあ、まずはホーランド王子側の料理から」


 ベルが料理の蓋を取るとそこには真っ赤なトマトがあった。

 真っ赤なトマトがあった。

 ただそれだけがあった。


「あの、すいません、これ、何の調理もされていないように見えるんですが」


 いやそんなはずはない。これはホークロア王国の由緒正しき宮廷料理。まさか素材をそのままお出しするわけがない。


「何を言っている。これこそがホークロアの食文化が生んだ料理の最終形態だ。そのすばらしさが分からないのか?」


 どうやらちゃんと調理はされているらしい。ベルは安堵したが、結論から言うとその安堵は拙速と言わざる負えないものだった。ベルはまだホークロア王国の文化の真髄を理解していなかったのだ。

 ホーランド王子が鼻を高くして説明する。


「これこそが究極解と言っても過言ではない料理の形。よく考えてみよ。調理に包丁やまな板を使えば台所が汚れてしまうであろう。それでは本末転倒ではないか。つまり調理器具を一切使わない料理、食材をそのまま出すことがこそが究極の料理なのだ」


 ははーん、なるほど、分かったぞ。ホークロアの連中は○○なんだな。


 おっといけない、まさかこの時代にヘイトスピーチがどのような結果を招くか知らないわけではないだろう。ベルは自分に戒めると黙って出された料理を食べ、評点を下した。


「うん、すっぱい!」


 続いてラードの料理である。ここで賢明な読者であれば気付いているであろうが揚げ物は冷めてしまえばその味は大きく損なわれてしまう。今までのホーランド王子とのやりとりで時間が経ってしまったラードの料理はそれだけ不利になってしまったことは言うまでもない。だが安心して欲しい。なぜならこれはギャク小説なのだから。


「じゃあ開けますね。あっつ、熱、何これ、蓋持てないんですけど」


 ここで賢明な読者ならラードが用意した料理がどのような状態にあるのか察せるかもしれない。今、金属製の蓋によって閉じられた空間の中で煮えたぎった油が魔法の炎によって加熱され続けている。そう、揚げ物が冷めてしまうのであれば食す直前まで油で揚げ続ければいい。誰もやらないようなことをラードはあっさりとやってのけていた。しかし加熱した油は既に危険な領域へと到達している。

 油は温度が上がれば当然のように気化していく。この気化した油が空気中で一定濃度まで達すると発火してしまうのだが、蓋によって閉じられた皿の中では幸運にも酸素が燃焼し尽くされ油が発火するための酸素が無かった。しかし、ここで蓋が開かれる。

 バックドラフト現象というものがある。火事の消火活動の中で人命を奪うこの現象では、火災が起こった家屋に侵入する際に不用意に扉を開けることで酸素の欠乏で火が収まりかけていた室内に新鮮な空気を供給してしまい爆発的な燃焼を誘発してしまうのだ。

 だが安心して欲しい。これはギャク小説なのだから。


 ここで賢明な読者であればお気付きであろう。そう、今日は爆発オチの日だ。


 ベルの頭の中で謎のモノローグが流れている。視界が真っ白なハレーションで塗りつぶされていくのを感じる。しかし引き伸ばされた時間の中でベルは何もできない、ただ己の不運を呪うこと以外は。

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