2.ときめきを感じる料理で胃袋を掴め
ベルが今狙っている男を聞かれれば迷わず一人の男子生徒の名前を挙げるだろう。
その名もラード・コレステロール。今、飛ぶグリフォンを落とす勢いのコレステロール商会の次男坊だ。コレステロール商会は大陸の中央に位置するアルス帝国に強力なパイプを持ち、そのアドバンテージを活かす形でウェスホーク王国での売上を伸ばしている。
彼らが行っている販売戦略はひどく単純だ。貴族の間で脂質高めの料理がプチブームになるよう誘導し、その調理に欠かせない脂肪製品の輸入を独占することで巨万の富を稼ぐことに成功している。さらに自分たちの考案した料理を高コレステロール食としてブランド化することでその地位を不動のものにせんとさらなる野心的な活動にも余念がない。
ラードくんはそんな家名に恥じない努力家で今日も将来への研鑽を欠かさない。まだ一限目の授業中であるにも関わらず教科書を盾にして弁当箱を開けている。勿論、ただ開けて眺めているわけではない。大胆にもナイフとフォークを巧みに使い食事を始めているのだ。
なぜそのようなことをするのか。彼は以前、級友にそう問われた。彼は堂々とした態度で答える。
「サクサクの揚げ物は出来たてが一番美味いんだな」
彼は自分の将来に何が必要なのか既に知っている。家業への理解、未来への自己投資、ひたむきな努力。たとえお腹が張って食欲が湧かなくとも一日五食は最低でも欠かさない。全ては将来、商会を継ぎさらなる発展に寄与するため。
こいつを捕まえれば一生食いっぱぐれない。令にはその確信があった。
「ラードさん、実はわたしお料理に興味がありまして。ご一緒してもよろしいですか? よろしいですよね」
ベルは輝くような、ウルク元王子とネスケにはついぞ見せたことのない笑顔でラードの昼食に割り込む。広げたランチボックスには色合いと栄養が考えられた鮮やかな料理が詰められている。時間が経っても色褪せていないのは丹念な下ごしらえの賜物だろう。ひと目でベルの言葉に嘘がないことが分かる。
食に目がないラードなら、これでイチコロ。ベルはそう確信しながら相手の顔色を窺った。
「ッハ」
ラードの表情はなんと形容すればいいのだろうか、眉毛は眉間に向けてハの字にせり上がり、細い目はこちらを見下げるように下を向いている。口元は左右非対称にへの字に曲がり、先程のため息に他人を小馬鹿にしたニュアンスを隠し味に混ぜ込んでいる。一言で言うと非常にムカつく表情をしている。
「これだから、じょしの弁当は。野菜なんていいからもっとコレステロールを取れ。食物繊維なんてのはな消化されずにう○こにしかなんだいんだよ。つまり野菜は実質う○こ。う○こばっか弁当に詰めてさぁ、なにが楽しんだい。もっと脂肪分を食べようよ」
そう言うとラードは自分の昼食、ステーキ丼に食らいつく。肉を噛み締めると繊維の間からこれでもかと脂が滴り落ちる。滴となった脂分はもちろん無駄にはしない。下に待ち受けていたホカホカの白米が一滴残らず吸い取り、ぎらぎらとしたコーティングが施される。そしてそんな脂と糖質が渾然一体となったごはんをラードは口いっぱいにかきこむ。よく滑る米たちを箸で掴み取ろうなどと考えてはいけない。この場合の正しい食べ方は丼を滑り台にしてその落下地点に口を開けて待ち構える、そこに次々と脂をまとった米たちが流れ落ちてくる。舌で味わい、のどごしで感じ、胃で堪能する。ラードの顔は満足げに照り輝いていた。
「オエッ」
中年にさしかかっている令はブラック企業勤めの不摂生が祟り同年代の平均と比べても胃腸が弱っていた。そんな彼にとってラードの食事は見ているだけで胃が拒絶反応を繰り返す。思わず嘔吐き、貴族の令嬢として恥ずかしい下品な振る舞いをしてしまった。しかしラードは寛容だ。大切な食事をしているときに周りの雑音を気に留めるなどという無駄なことはしない。ベルのはしたない振る舞いなど一顧だにせず食事に専念した。
こうしてベルの明るい未来への計画がまた一つ暗礁に乗り上げたのだった。
▼▼▼
「ベル・ベチカよ。余と昼食を共にすることを許そう」
ある日の昼休み、銀髪を大仰にかき上げながらホーランド王子がベルに言った。まだ生徒たちが残る教室でのその大胆な誘いに多くの視線が集まる。それらも計算の内と王子は平然とした顔をしている。ところが平静でいられない王子がもう一人教室にいた。
「待ちたまえ! 一国の王子ともあろう人間が軽々しく女子生徒に声をかけ連れ出そうなど言語道断。もし間違いがあったらどう責任を取るつもりなんだい」
ウルク元王子は先ほどベルから貰った焼きそばパンをほおばりながらホーランド王子に王子としての振舞い方に意見する。
教室の中でその意見に同意しているのは残念ながらネスケだけのようだが、その程度のことで自分の主張を翻しては貴族社会ではやっていけない。常に自分の後ろには万の賛同者がいると、そう暗示をかけて態度と声に自信を漲らせる。
「ふっ、ウェスホークの元王子はどうやら余に嫉妬しているらしい。だがお前がいくら文句を言おうと無駄なことだ。決めるのはあくまでそこの娘なのだからな」
そこの娘こと令を無視して二人の王子の間で話が進んでいく。当のベルは全く興味は無さそうだが、しかしホーランド王子はなにやら自信有りげだ。それもそのはず、ホーランド王子は秘策を隠し持っていた。
「ベル・ベチカ、余は知っているぞお前が料理にたいそう興味があるというのをな。余がお前にホークランドの宮廷料理の贅を楽しませてやろう」
ホーランド王子がキザったらしく指を鳴らすと午前の授業から教室の前で待機していた宮廷料理人たちが教室へと踏み込んで来る。
朝から教室の前に集まり休憩時間毎に生徒たちから好奇の視線を浴びつつ健気に待ち続けた宮廷料理人たちは心持ち早足になりながら王子の後ろに整列する。
やっと、やっと自分たちの腕が振るえる。お上の指図に逆らえない宮仕えの悲哀をぐっとのどの奥に隠し、今は自分たちが誇る料理の腕を振るえる喜びだけ口にする。
「お任せください王子。我々はホークランド十指宮廷料理人、必ずやベル様をうならせてごらんに入れます」
一糸乱れぬその様子にホーランド王子は満足げに頷く。悔しがるウルク元王子の姿が特に心地よい。そんなホーランド王子に宮廷料理人が問いかけた。
「それで王子、ベル様はどちらに?」
「なに?」
ホーランド王子は問われてようやく目的の娘、ベル・ベチカがいないことに気づいた。
所詮はウルク元王子を悔しがらせるためだけの当て馬、その程度の興味しかなかったためにベルが席を立っていたことに全く気づいていなかったのだ。
「余の誘いを無視するとは、さてはトイレだな、トイレだな」
ホーランド王子が自分の見立てに従い廊下に出ると、そこには確かにベルがいた。勿論、急にもよおしたわけではない。ベルは廊下にラードの姿を発見しアプローチを開始したのだ。
「ラードさん、私、高脂質食品を料理に取り入れてみましたの。見て下さいませんか? これはアボカドをお米と海苔で巻いたウェスホーク巻きという料理で」
「はぁ、これだからじょしは。君の料理はさぁ、ときめき、感じないんだよね。もっとさぁ一口食べただけで血管が詰まるような、そういう高コレステロールじゃないとさぁ、ときめかないんだよね」
ラードはベルが持って来たヘルシーな高脂質料理が不満だったらしい。ベルに向かって熱く自分の食事に対する美学を語っている。それに対してベルは熱心に頷く。
そんな二人を見て、すっかりベルに無視される形になったホーランド王子は悔しそうにつぶやいた。
「余の方が、絶対あんなやつより優れてるにのにぃいい」
ホーランド王子はポケットから取り出した金刺繍が上品に施された絹のハンカチを噛み締めると、それを両手で力いっぱい引っ張り目尻の涙をぬぐいもせずにベルを睨み付けるのだった。




