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1.隣国の王子がやって来た。

 隣国の王子が特別留学生として学院に来る。

 そんな話が流れたのはそろそろ雪がちらつき始めた冬学期も中盤のことだった。噂ではなく最早確定情報として流れているその話は当然ベルの耳にも届いている。

 だがベルはすわ優良物件ですわ、といきり立ったりはしない。ベルも学習したのだ。

 王子とかそういう浮ついた立場の人間に碌な奴はいない。なまじ周囲からちやほやされているせいでいざというときの生活力がない。一度、逆境に立てば不良債権に成り果てる。そんな危険な代物に手を出すのは止めよう。

 ベルはようやく理解したのだ。これからはもっと地に足のついた都でも有数の商家の長男とか、そういうこじんまりとした物件を狙おう、と。

 それゆえに隣国の王子が何用あってわざわざ他国の学院にやってきたのか、全く興味が無かった。

 しかし、ベルが学院の一大事に興味を示さずとも粛々とことは進んでいく。



▼▼▼


 その日はいつにも増して風の冷たい日だった。一年を通して色とりどりの花々が美しさを競う学院の中庭もこの季節ばかりは閑散としている。だからといって学院の植物を任されている庭師の仕事がなくなるわけではない。いやむしろこの季節だからこそやれることがあるのだ。


 長年、学院の中庭を見守ってきた老練の庭師にとってそれは始めて見る光景だった。庭師は後にそう語った。

 ウェスホーク王国では決して見ることがないホークロア王国の漆黒の馬車が学院の門前で止まる。恭しく従者によって開けられた両開きの戸は良く見れば金によって縁取られ、戸が開くことで露になるよう計算して設えられている。それは馬車の中から現れる高貴な人間を飾り立てる一つの装飾品のようなものであろう。

 ホークロア王国は高貴な色を黒と定めていることからも分かるとおり過度に飾り立てられた衣装は下品とする風潮が有る。しかしながら自らを飾り立てることで権威を示す必要がある人間にはそういった清貧の志は形だけ取り入れれば良い代物。その証拠に黒を基調としながら、ホークロア王国王子、ホーランド・ホルス・ホークロア卿の服装には細部に威厳と華美を示す隠れた意匠が垣間見える。

 ホーランド王子が歩くと隠れた袖口の金刺繍がちらりと覗く。靴とズボンの裾の間にはホークロア王国でも随一の機織が金と黒の糸で織り上げた靴下ソックスが目に留まるだろう。そして、わざとらしくかき上げられた豪奢な銀髪はしっかりと香油で輝きを放っている。

 怜悧な刃物のような冷たい美貌と、それに似つかわしい幾らか気障ったらしい装い。歩き方一つをとってもその内面が現れる。それは王子であるからこそ許され王子であるからこそ絵になる。

 そんなホーランド王子は人も花の賑わいも無い寂しげな中庭に躊躇うことなく足を踏み入れる。

 周りを見下すことに慣れているからこそ、灰色の世界が自分を引き立てることを理解している。

 自信と傲慢に満ちたその一歩は力強く、中庭の、堆肥と混ぜられ泥のようになった地面にずっぽりと嵌った。


「……」


 くるぶしまで埋まった王子の足はそのまま泥が足首をしっかりと握り放さない。

 自信に満ちた足取りは急には止まれずその勢いは曲線を描き前方へから地面へと方向を変える。

 顔からきれいに泥の中へと身を投じたホーランド王子に誰も声をかけることはできなかった。

 その中で一人、庭師が駆け寄り言う。


「困るよお、今、庭に肥料あげるのに馬の肥と混ぜてるとこなんだから。ほら、看板あったろう。ほんと困るよお」


 ホークロア王国は黒の色を尊ぶ。そのおかげで王子の衣装の汚れは目立つことは無いであろう。ただそれだけが救いだった。

 



▼▼▼


 ベルの教室では既に隣国の王子の噂で持ちきりだった。

 衝撃的な登場から一夜明け、あれは無かったことになったので今日が転校初日になっている。勿論、転校先のクラスはベルと同じ、聞くところによるとホーランド王子の希望でそうなったらしい。

 まあこのクラスにはウルク元王子に有力貴族の令嬢であるコーネリアス、そして内外に名を轟かす剣聖の孫、ネスケがいるのだ。たんに勉学に励むための留学ではない以上、友誼を深めるべき相手と同じクラスを希望するのは当たり前のことだろう。

 ベルはもう既に地雷臭がしている隣国の王子に関わる気は無く、相手も没落貴族の令嬢になど興味は無いだろうから今回は平穏に過ごせるだろう。

 ベルはそう高をくくっていた。



「それでは、ホークロア王国からいらっしゃったホーランド王子です。皆さん、隣国の王子という立場ではいらっしゃいますがあくまでもここでは学友の一人です。過度にかしこまることなく―――」

「余がホークロア王国の次代の王、ホーランド・ホルス・ホークロアである。諸君らは自らの身分を良くわきまえ不敬な態度は厳に慎むように」


 気を利かせて生徒同士の友好な関係を取り持とうとした教師の配慮はホーランド王子の一言で完膚なきまでに破壊された。王族らしいといえば王族らしい、しかしこの学院の校風とは異なる傲慢な態度に生徒たちは呆気にとられる。

 そんな生徒たちの視線をどのように勘違いしたのかホーランド王子は昨日の泥がきれいに洗い流された銀髪をかき上げると歩き出す。まだ教師からはどこに座るのか指示は出ていない。しかし、王族たるもの人に指図されて動くなどありえないと思っているホーランド王子にとってはそれは全く普通のことだった。

 生徒たちはホーランド王子の行く先を固唾を呑んで見守っていた。王子の足はまっすぐともう一人の王子、ウェスホーク王国のウルク元王子へと進んで行く。

 間違いなく両者の間で何らかの衝突が起こる。誰もがそう予想していた。

 その一瞬まであと一歩。

 しかし意外にもホーランド王子はウルク王子をスルー。そのままわざとらしく素通りすると、わざわざ席の後ろを回り込んで元王子の隣に座るベルのもとへと向かった。


「お前がベル・ベチカか」

「はあ」


 ホーランド王子のどこか小馬鹿にした問いかけにベルは気のない返事を返す。教室中の視線がベルへと振り向く。ホーランド王子は背中に受ける視線に僅かにも気後れすることなく話を進める。


「光栄に思うがいい。お前を余の世話係に任命してやろう」

「え? やです」


 ベルは頭に浮かんだ言葉をそのまま口にした。それぐらいの素っ気なさで隣国の王子の誘いをバッサリと断り一瞥すら向けずに授業の準備を進める。ホーランド王子はまさか断られるとは思っていなかったのか、それとも皆の前で恥をかいたことを認められないのか固まったまま微動だにしない。

 コーネリアスの高笑いが教室に満ちる。どうやら午前の最初の授業が始まったらしい。

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