21.紐どもを養う
ベルが暮らす寮には今、3人の寮生が暮らしている。
一人はベル・ベチカ。休日にもかかわらず朝早くから食事の準備を行い、身だしなみを整えアルバイトに間に合うよう忙しく立ち働いている。
二人目はウルク元王子。朝はすこぶる弱く今日は朝からアルバイトがあるはずなのに一向に起きてくる様子は無い。昨日の夜にベルは口を酸っぱくして注意しもう世話は焼かないと宣言したがその程度では元王子のたるんだ生活習慣が改善されることは無い。ベルは仕方なく元王子を起こしに寝室へと向かう。
三人目はネスケ・ネイクリッド。この中では一番の新参者ではあるが、しかしその態度は古山というか要介護の老人のようにもう寮の風景に溶け込んでいる。ウルク元王子とは違い朝は早いがかといって何かするわけでもなくキッチンの椅子に座りぼんやりと外を眺めている。忙しそうなベルを手伝うわけでもない。
何をしているのかと不思議に思っているとようやくネスケは口を開いた。
「飯はまだかのう」
何もせずとも飯が出て当然。
そういう生活が骨の髄まで染み付いた人間が出す驕りも不遜も無いただただ気だるげな一言。
「手伝えやおらぁああ」
ベルが我慢の限界を迎えてネスケの座る椅子を蹴る。しかし、ムカつく事にネスケがどっかりと座った椅子は重心を何らかの技術で安定させているのかびくともしない。
「ワシは炊事はトンとダメでのう」
その一言を言ってネスケは黙る。
まさかそれが正当な理由だとでもいうのか。ベルは嫌々ながらしかし、こいつにも働いてもらわないと困るので仕方なく朝食を出す。飯が出なければこのまま夜までその椅子から動かない。そんな植物めいた迫力がネスケからは漂っていたからだ。
ベルとウルク元王子、ネスケはめいめいが朝の支度を終えるとアルバイトへと向かった。
ベルはビラ配りのついでに『魔女の鷲鼻』の営業。
ウルク元王子はいつものカジノで客引き。
そしてネスケは冒険者ギルドで報酬がいい荒事で稼いでもらう。
正直、この中で一番稼ぎを期待できるのはネスケだ。何せ災害級のドラゴンですら難なくあしらえるのだから一日も働けば一年は遊んで暮らせる額を稼いでくれるに違いない。ベルはそう皮算用していた。
それがいかに甘かったか、その日の夜にギルドに呼び出されたベルは思い知ることになる。
▼▼▼
「ベルさん。困るんですよねえ」
「はい、すいません」
顔見知りのギルド長が嫌味ではなく本当に困ったという表情でベルに言う。
ベルもその心情が分かるので神妙になって返事をしていた。
「ネスケくんねえ、実力は確かにあるんだけどねえ、いかんせん、セクハラがねえ」
「はい、すいません」
「ほら、最近はコンプライアンスが厳しいからね。うちも10年前とかは割りと緩かったけど今の時代はねえ、昔の気分でやられるとねえ」
「はい、おっしゃるとおりです」
「ほら、女盗賊とか踊り子とかそういう職業の人はいるけどさあ、あくまで冒険者として来てるからさあ」
「はい、いつも言ってはいるのですが」
「うちも最近は国の助成金頼りでねえ。セクハラ問題とか起こるとカットされちゃうから、そういうの」
「はい、存じております」
「だからまあ今回は縁がなかったということで」
間違いない、今のギルド長はコンプラなんか守ってて利益が出せるか、とイキッていた社長さんが国からぼこぼこにご指導いただいて今や立派な優等生になった時と同じ目をしている。
言うべきことを言うとギルド長は簀巻きにされたネスケをベルに押し付けた。捨てて行きたい所だが住んでいる場所がバレている以上、後で張り紙つきで返されるのは分かりきっている。諦めるしかない。
ベルは幸せそうに眠りこけているネスケを引きずって寮へと帰るのだった。
ギルド長の話ではネスケがギルドに来るとまず女ばかりのパーティーを要求した。
パーティーというのはギルドでどうこうできる物ではなくあくまで冒険者の間で決めるものなのだが仕方なく希望者を募る形でネスケのために女性限定のパーティーが組まれた。集まったのはどれも腕に自信のあるギルドが自信を持って薦められるベテランばかりだった。特に齢百歳を超える女魔術師はかの有名な魔女ザリエに匹敵するといわれるほどの実力者だ。しかし何故かネスケは他のが良いと駄々をこねた。
これ以上の実力者は当ギルドにはいないという説得を聞かずにネスケが選んだのはまだ若手の女盗賊に踊り子に女僧侶だった。
ギルドもこのときはまだネスケに気を使っていたので仕方なくネスケの我がままを了承した。
ネスケのパーティーメンバーからはすぐにクレームが入った。まだ冒険にすら出ていないギルド内での話し合いの席だけで、だ。
いわく、もっとスリットの入った装備にしろ、冒険の後の親睦会の出席は必須、小型水晶のアドレス帳から男の連絡先を消せ、ていうか同級生呼んで合コンしようぜ。以上の問題発言によりネスケのパーティーは歴史と記憶に残るぐらいのスピード解散をした。当然のようにネスケはまたもや駄々をこねたがその最中に腰をいわして役立たずになった。
こうしてこれ幸いと保護者に引き取り連絡が来たのだ。
▼▼▼
ベルが寮に帰るともう既にウルク元王子は帰ってきていた。
「やあ、ベル。おかえりなさい。ところで晩御飯はまだかな? ああそんなに手の込んだものじゃなくていいよ」
ブチッ。
ベルの頭のどこかが限界を迎える音がした。
「こいつでも食っとけ」
ベルは全てのやる気を失い作り置きしていた冷えた焼きそばをキッチンの机に置く。
「ああ、いいね、僕の大好物だよ」
「おお、ワシにもくれんかのう」
王子とネスケはベルの不機嫌な態度など全く気付かずに食卓を囲んでいる。
「ああ、この安っぽいぐらいに率直な味のソースが最高だ。王宮じゃ絶対に食べられない味だよ」
「このダルダルの麺がのう、噛まずとも飲み込めてええのう」
「……」
「ところで、聞いてくれるかい? 今日はかなりついていたんだ。なんとスロットでフィーバータイムに突入してね。一時は10倍まで勝ってたんだよ。まあ最後はおけらだったけど」
「ワシものう。今日はピチピチギャルともう少しでいけたんじゃがのう。あれはまんざらでもない顔じゃった」
「……」
寮の夜はふけていく。ウルク元王子とネスケの機嫌の良い声だけが響き、ベルが無言で咀嚼する音は彼らの耳には届かない。
ベルは心の中で早く金持ちの男を捕まえてこいつらとおさらばしてみせる、と硬く決意したのは言うまでもないだろう。しかし、その決意が実を結ぶのがいつになるのか、それはまだ誰にも分からない。




