20.剣聖の孫、大手柄
ウルフは朝になると厄介になっている馬屋にこっそりと帰ってきた。
抜き足で歩きなれた廊下を歩く。その足取りは床のどこを踏めば軋みが鳴るか熟知していて迷いがない。年季の入った木の床を音も立てずに渡りきり自分の部屋の前まで来ると、そっと扉を開けて中に入ろうとした。
「ふう」
「ふう、じゃねえ」
全く気配を感じさせずウルフの後ろに大柄な丸太のような体躯の男が立っていた。その男が拳骨を正確にウルフの頭の上に振り下ろす。
すばしっこいウルフにここまでできる馬屋のオヤジは明らかに只者ではない。ウルフは何度かその素性を聞いてみたのだがついぞ答えてはくれなかった。
「いってぇえええ」
「ふん、大げさに言いやがって。どこほっついてた」
「いや、違うんだって。別に危ないことは――」
嘘をつこうとしてウルフの口が止まる。オヤジの赤く充血した真剣な目に気付いたからだ。
心配を掛けてしまった。それを自覚したウルフは神妙になると一言だけ、本当のことを言う。
「もう、危ないことはしねえよ」
「そうか」
ぶっきらぼうにそう言うとオヤジはウルフに背を向けて歩き出した。そのそっけない態度は自分を信用している証だとウルフは知っている。ウルフは言ってしまった以上、約束は破れないと盗賊稼業から足を洗うことを決めた。
ウルフが母親に捨てられてから3年、馬屋のオヤジはずっとウルフのことを育ててきてくれた。
初めてオヤジに会った時、オヤジはウルフの母親がのっぴきならない事情で戻れなくなったと涙ながらに言っていた。ごめんなさい愛してる、とウルフの母親が最後に残した言葉を何度もウルフに教えてくれた。何度も、何度も。
オヤジは元々はこの都の住人ではなかったがウルフを育てるために馬屋を開き、こうして二人で何とか暮らしている。だから、ウルフはオヤジには頭が上がらないのだ。オヤジと約束した言葉はどんな些細な言葉でも破れない。そうウルフは心に決めている。
▼▼▼
義賊の最後の仕事は派手に行われた。
ばら撒かれた金銀財宝の数々は集めればスラムの住人たちがそれぞれ立派な家を持てる程だ。それは国が把握していた義賊の被害規模のおよそ10倍。つまり国には言えない蓄財を盗まれた貴族や商人がそれだけいたということだ。
やんややんや。
義賊様様。俺たちの義賊様。でもこれで引退なんだってよ。そんなの勿体ねえ、城の財宝も根こそぎ奪ってくれ。
やんややんや。
無責任な騒ぎがスラムといわず平民の間でも囁かれていた。それに無意識に聞き耳を立てるウルフの顔はどこか誇らしげだ。
やはり引退は早まっただろうか。そう考えてしまう頭を振り、余計な思考を追い出す。もう決めたことだ。そう思い直すと昨日の夜から今朝まであったことを思い出す。
ウルフはあの3人から逃げることに成功すると迷わず盗品を隠していた枯れ井戸の奥へと向かった。
この財宝をあの3人にくれてやる。それも別に悪いわけではないのだがやはり何か杓に触る。一泡吹かせないと負けっぱなしは性に合わない。
そう思ったウルフはかねてから餌付けしていた野鳥たちに金貨や宝石を少しずつ持たせてスラムに向けて飛び立たせた。王都にはやたらと野鳥がいるため餌付けしてかき集めた数は膨大で、貯め込んだ財宝を全て持って行ってくれた。後はウルフが書いた引退の張り紙と共に財宝が人々の手に渡るのを待つだけ。すっかり夜が明けた空を見つめ鳥たちを見送ってからウルフは帰途に着いた。
馬屋に帰ってから昼まで眠りこけてまたオヤジに怒られて、今は罰の手伝いとしてスラムにまでやって来ている。
「ばぁば、生きてるか?」
スラムの奥にあるいっとうぼろいあばら屋を覗くと生きているのか死んだまま動いているのかよく分からない婆様が不気味に笑った。
「馬屋の坊やかえ。元気そうで何よりじゃ」
そう言って手招きする姿は一応生きているようなのでオヤジから言いつけられた届け物を渡す。
「それじゃ、俺いくよ」
「ああ、危ないことには首を突っ込むんじゃあないよ」
そう言ってくる婆様にウルフは適当に手を振ってあばら屋から出て行った。
もう用事も済んだし。後は適当にぶらついてから帰るか。あの3人と出くわすと厄介かもしれないが、まあ証拠も何も無いのだから捕まったところでいくらでも言い逃れできる。あの黒髪が姉を紹介しろと言って来てもそんなもの存在しないのだから心配する必要も無い。むしろ一杯食わせてやったほえ面を見るのも悪くない、とそんなことを考えながらぶらぶらと通りを歩いていた。
町民の噂話は義賊の話題で持ちきりだ。しかし、そんな噂話の中でウルフが知らない話題も混ざっていた。
いわく、義賊様は女物の下着も盗んでいたらしい。
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学院は一つの噂で持ちきりだった。なんと剣聖の孫、ネスケ・ネイクリッドの下着泥棒の嫌疑は濡れ衣だったのだ。
真犯人は巷を騒がせている義賊。彼奴はなんと貴族の邸宅に忍び込み目ぼしい女物の下着を盗んではコレクションにしていた。そしてその魔の手は学院にも伸びていた。ネスケは不幸にも義賊に罪を被せられて下着泥棒扱いされてしまったのだ。
「なんておかわいそうなネスケ様」
「でも、どうしてそんなことが分かったのです?」
「何でも、ばら撒かれていた財宝に女性物の下着が混じっていたそうなんですの。しかも例の学院長のと同じものが」
「まあ、それじゃあ、義賊さんはそちらの方?」
「まあまあまあ」
どうやら上手くいったようだ。ネスケがあのウルフとか言う少年に言いくるめられて逃がしてしまったと聞いたときはどうなるものかと思ったが何とかなって良かった。
あの日、ベルとネスケはウルフから聞き出した井戸へと向かう途中で野鳥の一団とすれ違った。それを見てベルはすぐに事態を悟った。
せめて義賊は逃がしても盗まれた財宝を取り返したと手柄を立てればネスケの株も上がると思ったが、それもあの大量に飛び去る野鳥が散り散りにばら撒きに行ったとなればもはやどうにもならないだろう。
だが、だからといって諦めていいのか? このままではあの役立たずのウルク元王子に加えてこの色ボケ爺のネスケも寮で養わなくてはならなくなる。そんな事態はなんとしてでも回避しなければ。
考えろ、最初の目標を達成できないときは、まず前提条件から考え直すんだ。ネスケの汚名を返上するために手柄を立てる必要があった。その手柄が今逃げ散っていく。それを捕まえるのは難しい。なら別の手柄で? いやこれ以上は時間をかけられない。誤魔化していられるのも時間の問題だ。いづれはやっぱりネスケが下着泥棒で間違いないと気付かれるだろう。いや待てよ、ネスケが下着泥棒というのがまずいのならそれを別の誰かに擦り付ければ。いや、今さら真犯人を見つけたと言ったところで誰も納得しないだろう。いや、納得させるのに必要なのは何も論理性だけではない。人々の口に上ればそれだけで信じる人間が出てくる。そう、ようはインパクトが重要なのだ。衝撃的なニュースはそれだけで広まり、それを真に受ける人間が出てくる。
今、一番インパクトを与えられるとしたら、それは目の前のこれを利用するしか無い。
「よし、エロい下着を買いに行こう」
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ベルはネスケの株が元に戻るどころか以前よりも上がったことに満足していた。ストップ安からのリバで異常に持ち上げる流れが来ているのだ。
よしよし、ここまでは計画通り。あとは世間の機微に敏感なコーネリアスがまたネスケと親密な関係に戻れば、ウルク元王子が嫉妬して元鞘エンドだ。いや、コーネリアスを巡ってウルク元王子とネスケが取り合う逆ハーレムもありうる。そうなったら自分はさっさとフェードアウトして面倒事をコーネリアスに全て押し付けることも可能ではないか。
「むふふふふ」
「あら、ベルさん。ご機嫌ですわね」
「いえ、それほどでも」
ベルが同級生のお嬢様から指摘されて慌てて表情を取り繕っていると、待ち望んでいたコーネリアスがやって来た。
「コーネリアス様よ。やっぱりネスケ様と仲直りされるのかしら」
「下着泥棒の話は勘違いでしたのだから、当然ですよね」
口々に響く噂を素通りしてコーネリアスが教室の中ほどにまでやって来た。そこにはネスケがベルに言われたとおりに席に座りコーネリアスからの仲直りの言葉を待っている。
来るぞ来るぞ。
準備は万端だ。決定的な瞬間にウルク元王子が立ち会うようにしっかりと呼びつけてある。教室の後方で腕を組んで事の成り行きを見ている元王子の目は普段よりも真剣みがあり、全てがベルの予想通りに進んでいることを実感させた。
「ネスケさん。お話がありますわよ」
「ああ、ここでいいか?」
コーネリアスはネスケの提案に堂々と首肯して応じる。何も恥じ入ることは無いという貴族的な態度は流石は公爵家の令嬢だ。そしてそれはウルク元王子の嫉妬を煽るのに十分な態度でもある。
「わたくしあなたとの関係を見つめ直しましたの。そして一つの結論に至ったのですわよ」
「そうか、聞かせてくれ」
「わたくし、わたくしは……」
コーネリアスがもったいぶるように言葉を止め、一瞬こちらを見る。その目の光は優越感を映した宝石のようにいやらしく輝いていた。
嫌な予感がした。
あの種類の目の輝きは良く知っている。営業ノルマが厳しいときのためにとっておいた奥の手の取引先を上司に見つかったとき。会社を辞めるときに労基に駆け込む準備のためサビ残をこっそり記録しておいたのがバレたとき。そう、こちらの企みを見透かしたときに人はああいう目をするのだ。
コーネリアスがゆっくりと口を開く。ベルはそれを止めるべきか悩み、しかし決断するにはもう遅すぎた。
「わたくし、ネスケさんとの婚約を破棄いたしますわよ」
「ああ、分かった」
コーネリアスの爆弾発言にネスケはあっさりと頷く。
ベルはこの事態を予測していなかったのでネスケに粘るよう指示することもできていなかった。
教室が一瞬にして騒然となる。コーネリアスが同級生に質問攻めにされ、わたくしにはもったいないお方だとか、もっと人間的に成長してからだとか、いけしゃあしゃあと殊勝なことを言っている。しかしベルには分かる。
こいつあいつが地雷だと気付きやがった。
コーネリアスが一瞬見せた勝ち誇った顔はベルにそれを教えるためにわざと見せ付けるためのものだったのだ。