18.異世界捕物帳
この世界の灯りは魔法が市民権を得ているだけあって燃料に魔力を使っている。勿論、それなりに高価な物のため平民は油やロウソクで灯りをとっているのがほとんどだが、貴族となると館の全ての灯りを魔法灯にすることが一種のステータスになり、それが飛ぶ鳥を落とす勢いの準男爵家ともなればなおさらだ。
しかし、そんなステータスシンボルである魔法灯が災いになることがある。今この瞬間がまさにその時だ。
準男爵家は警備の怒号と集まった貴族たちの喧騒でゴブリンの巣をつついたような騒ぎになっている。プライドの高い上流階級に特有の見栄と美徳によりパニックにまでは至っていないがそれは所詮はやせ我慢でしかない。問題が長引けばいづれは混乱による不慮の事故も起こり得るだろう。
それを分かっている準男爵家の家臣たちは全力で魔力経路の復旧に取り組む。その混乱の中でひっそりと館の窓ガラスが割れた。
暗闇の中でベルが混乱で立ち尽くしていると目の端に銀色の閃光が走る。遅れて金属が擦れ合う不協和音。
一瞬散った火花が剣を振りぬいたネスケの残像を映し出す。徐々に暗闇に目が慣れてきたベルはようやくその場の状況を理解した。
宝物庫の重い扉は開け放たれ、窓に面した明るい廊下に比べ濃い闇が留まる部屋の中は見通せない。ネスケがベルを庇い剣で叩き落したのは銀製の杯で間違いないだろう。廊下に転がっているそれは剣で真っ二つに両断され転がっている。
攻撃というよりはたんに注意を逸らすだけの目くらましで投げられたに違いない。その証拠にこの混乱の前後で割られた廊下の窓はガラスの破片を外の庭に撒き散らし賊が逃走したことを示している。
「義賊は?」
「逃げたようじゃな。伏兵がおるかと警戒したが無駄じゃったようじゃ」
ネスケが警戒を解いて剣を腰の鞘に収める。儀礼用の刃引きされていない剣のはずだが、剣聖ともなるとそんなおもちゃ同然の代物でもきれいに銀製の食器を両断できるようだ。
賊を捕まえることよりもベルを守ることを優先してしまったせいでまんまと逃がしてしまったのだが、ネスケにそれを悔やむ様子は無い。それはベルも同様だ。
「例のマーキングの方はできているんですね」
「ああ、大丈夫じゃ。しっかりと彼奴めにぶつけておいたわい」
「ん? 何の話かな? ベル」
ウルク元王子はどうやら作戦会議を全く聞いていなかったことが今の会話で分かったがベルはもうその程度では苛立ったりはしない。元王子に愛情が芽生えたからではない、この手の人間にイライラする事は自分の神経をすり減らすだけで損にしかならないとブラック企業勤めの頃の教訓を思い出したのだ。
ベルは小さな手提げカバンから魔法道具の灯りを取り出すと割れている窓の辺りを照らす。するとそこには今まで無かった青く光る靴跡が浮かび上がった。
「なんだいこれは? 綺麗だなあ。そうだ良いことを思いついたよ。今度、このインクで僕の部屋に―――」
「ネスケさん。追いましょう」
「ああ、任せるのじゃ。賊が一人と分かれば、もう逃がすことはせん」
ウルク元王子の言葉に一切の興味を示さずベルとネスケは窓枠を乗り越えて光る義賊の足跡を追って行った。
▼▼▼
ウルフは盗み出した金貨の袋の感触を確認した。
孤児とは思えないような美しい金髪と端正な顔立ちは拝借した上流階級の子供着を着せれば立派な貴族の子供になる。
以前に馬屋のオヤジが冗談っぽく言った言葉を試してみたのがことの始まりだった。拍子抜けするほどあっさりと貴族の館に侵入することに成功したウルフは大工のオヤジが酔った勢いで漏らした魔法灯の細工で混乱を起こす方法をすぐに思いついた。
後は簡単だ。何せ貴族の子供がうろちょろしていて下手に怒れる使用人はいない。その上、突然の暗闇による混乱で多少の怪しげな行動も人の注目を浴びることは無い。
こうしてウルフはその小さな体に財宝を隠し少しずつ運び出すことで宝物庫から金銀宝石といった小分けにし易く、そして何より足のつき難い金目のものを奪うことに成功していた。
「しかし、今回のはやばかったなあ。あの、黒髪の奴は暗闇なのに俺の位置に気付いていたし。今回はこれだけで我慢するか」
上品な顔に似合わぬスラム訛りの乱暴な口調でウルフは懐の金貨を感触だけで数えた。
あの黒髪はすれ違いざまに何かの液体を掛けてきて早くそいつを洗い流したい。見た限りではもう追っ手の心配も無い。子供らしい身軽さで裏道を野良ネコのように駆け抜けていた足を緩める。
こんなにぼろい商売なら更に大きく儲けることもできるはずだ。今度はお城の宝物庫でも狙ってみるか。ウルフは油断し切った甘い算段で危険な賭けに安易に命を張ろうとしていた。
だが幸か不幸か、そのギャンブルはここで打ち止めになる。
「少年、はしっこいのは良いが油断しすぎじゃぞ」
道の曲がり角、誰もいるはずの無いそこから剣先が伸びウルフの小さなのど元の寸前で止まる。
ウルフは驚き、考える前に後ろへと跳びきびすを返した。しかし、振り返ったその鼻先には既に人が回り込み、ぶつかった衝撃でウルフは目を回す。
「少年、刃物を相手にするときは慎重になった方が良い。相手が焦れば刺す気が無くとも間違いを起こすぞ」
声も口調も先程と同じ男のもの。振り返るために視線を切ったその一瞬で男はウルフの来た道に回り込み逃走路を容易く潰したのだ。
逃げられない。勝てるべくもない。どうする。もっと慎重に逃げるべきだった。煙幕を、いやこの距離では気配だけで切られる。いや、あの液体で後をつけられたのだ、先に洗い流すべきだった。なら貴族のふりを続けて。そもそも、もう潮時だったのだ。作り話で泣き落としを。もう十分スラムの子たちにはバラ撒いたのだから。病気の母親と姉と妹と。
ウルフは混乱の極みに達し、後悔と善後策が入り乱れるように頭の中を駆け巡る。それらはひたすら脳のキャパシティを浪費していき、結果的には決断を遅らせる逡巡にしかならなかった。
そんな無為な時間の結末はすぐに訪れる。
「若いの。生き急いだの」
がら空きのウルフの腹に向けて剣が突き当てられ、それを最後にウルフの意識は闇の中へと消えていった。