14.剣聖の孫、リニューアル・プロジェクト
剣聖の孫、ネスケ・ネイクリッドが再び学院に登校した。
当然のように生徒たちはざわつき口々に噂話を囁き合う。彼が何をしでかしたのか、その噂話には様々な尾ひれ背びれが付いてはいるが共通しているのは唯一つ、ネスケは学院長の脱ぎたての下着を愛でた上で勢いあまって喉に詰まらせた、ということだった。
その場に立つことはネスケにとってどれだけの苦痛であっただろう。しかし、そんな彼を同情する人間は僅かでしかない。むしろ彼を軽蔑する人間の方が多い。それを代表するように一人の令嬢がネスケの前に立ちはだかる。
「おーほっほっほっほ、よく学院に来れましたですわね。ネスケさん」
背後に多数の取り巻きを従えコーネリアスがネスケに言い放つ。
いつものからっとした高笑いではなくどこか陰湿なその声はネスケに棘のように突き刺さる。だがネスケもそれは覚悟の上だったのだろうコーネリアスの口撃にむきになるのではなくあくまでも落ち着いた様子で相対する。
「コーネリアス、あんまりだな。俺たちは婚約者同士だろ」
「ふんっ。まだそんなことをおっしゃっているのですわよ? あなた自分のなさった事を自覚していますわよ?」
「俺がやったこと、か。俺は何も恥じることなんてねえ。なぜなら全ては誤解だからだ」
ネスケが胸を張って言う。その堂々たる様はまったく恥じることがないと全身で主張している。何も知らない人間ならそれだけで説得されるまでは行かずとも自分のネスケに対する態度が過剰なものではなかったか不安になっていただろう。
だがコーネリアスは現場を目撃していた人間の一人だ。確かに公式には何も無かった事になってはいるが、しかし現実にコーネリアスはネスケがシースルーのレースのパンティーを頬張り飲み込む瞬間を目撃している。そして、その後の学院長の衝撃的な告白も夢に出てくるほどに正確に記憶している。
「う、嘘ですわよ。わたくしはちゃんと見たのですわよ」
「嘘ではない!」
剣術で鍛えた肺活量でコーネリアスの反論を圧する。この世界は常に声の大きい者が勝つ。その証拠にこの瞬間にもネスケの言葉に耳を傾ける者が増えている。
「コーネリアス。お前の言葉を証明する証拠がどこにある。学院長は何も無かったと言っているぞ」
「それは、あの風見鶏が言っていることですわよ。それに女子生徒の下着と勘違いするのは犯人ぐらいで―――」
「論点を! ずらすなあ!」
ネスケはコーネリアスに最後まで言わせない。痛いところを突かれそうになったらとにかく発言を妨害するのだ。
「論点をずらすな!」
もう一度、ネスケが言う。根拠が無い時ほど何度も言わなければいけない。何度も声を大にして言うことで、聞いている人間の一定数を騙すことができる。そうやってレッテルを貼っていくことで相手の立場を少しずつ削いでいくのだ。
「論点をずらすなあ!」
何も言うことが思いつかなかったネスケはもう三度繰り返す。そうして稼いだ間で言われていたことを思い出した。
「俺は、決して、デマに負けたりしない。俺は決してデマに負けない」
言いたいことを言ったらすぐに退散する。なるべく堂々と歩くことでまるで自分がこの議論に勝ったかのように印象付ける。
「ちょ、ちょっと、お待ちなさい。わたくしは婚約を破棄するために―――」
「俺はデマに負けない」
ディベートでは最後にレスをつけたものが勝利者なのだ。
コーネリアスの言葉を遮り、ネスケは何度でも言う。いつの間にかネスケの噂をする者はいなくなった。
▼▼▼
ネスケが周囲を気にしながら忍び足で学院の校舎の裏へと歩いて行く。流石は剣聖の足運び、誰にも見咎められることなく特に影が濃い場所までやって来れた。そこでネスケは声をひそめ言う。
「山」
「川」
合図が終わると校舎の影にしか見えなかった場所からベルが現れた。闇色のマントは『魔女の鷲鼻』の商品である魔法道具、『かくれんぼ番町』。影のある場所ならどんなところでも潜むことができる便利アイテムだ。
「それで、ネスケさん。首尾の方は」
「あ、ああ。ちゃんと言われたとおりにやったのじゃ。しかしあんなので良かったんじゃろうか?」
ベルの入れ知恵通りにやってみたネイクリッドだったが、未だに自信が持てない。正直に、誠実に、そうやって自分の非を認めた方が最後は報われるものではないのか。ネイクリッドは自分の常識に照らしてそう思っていた。
「ふう。まだ分かっていないようですねネイクリッドさん。いいですか、謝るということは何か悪いことをしたと認めたということです。人は悪いことをした人間は叩いていいと思っている。だから謝っている人間はいくらでも安全圏から叩けると思ってるんだ人間というのは。なにが詐欺商品だ、お前らは納得して買っただろうが、それを後からグチグチグチグチ、悔しかったら警察呼んで来い警察、出るとこ出てもいいんだぞ」
何か良くない記憶が呼び覚まされたのか令は勝手にヒートアップして汚い言葉を並べる。ネスケは若干ビビリながらとりあえずベルの言うことに同意した。
「そ、そうじゃったのか。人間というのは恐ろしいものなんじゃな。しかし、あのコーネリアス嬢は別に間違ったことは言っていなかったんじゃから、あんなに言わんでも良かったかも知れんのう」
「甘い、大甘だ。いいか、人間はな自分じゃ何が正しくて何が間違っているか判断できないんだ。だからこれが正しいと大声で言ったもの勝ちなんだ。論理的に、とか余計なことは考えなくていい。とにかく連呼しろ」
「そ、そういうものかのう。ワシには難しいのう」
「ふう、まだ教育が足りなかったようだ。とにかくな、流れが重要だ。流れというのは人がなんとなくでしか判断していないからそういうなんとなくをどれだけ強弁できるかが重要だ。そして、そういう流されやすい奴だけを相手にしろ。面倒な奴一人に時間を割くより、簡単に流される奴大勢を網でさらって行くんだ。そうやってまず信者を作り上げてから……」
令による何か良くない啓蒙が校舎裏のじめじめした空間で繰り広げられる。しかし、多くの生物は実はそういった日の当たらぬ湿っぽい場所でこそより生き生きと活動している、世の中とはそういうものなのだ。