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13.折れた剣はまた打てばいい

 どうやら目の前のじじい、ネイクリッドを騙くらかす事ができそうだ。

 ベルは危険を冒して寮に連れてきた自分の判断が誤りではなかったことを喜ぶ。この選択はギリギリまで悩んだ。もうこのまま都の外へ捨ててしまった方が良かった気もするが、しかしこれはウルク元王子をコーネリアスに押し付けるまたとないチャンスなのだ。

 それに、この無駄に強い爺が『魔女の鷲鼻』に居ついてしまうと商売に支障が出る。それならばいっそのこと監視の効く寮に入れてしまえばいい。ベルはそう考えたのだった。

 だがベルの考えとは別にネイクリッドにはもう学院に通うだけの気力はなかった。


「そうか、バレてしまっているのならもう潮時かもしれんのう」


 ネイクリッドは観念したようにため息をつく。この一瞬でずいぶんと老け込んだ、いや歳相応になったともいえる表情は夢を諦めた老人のそれだ。

 だがそれでは困る。

 ベルにとって見ればまだまだネイクリッド、いやネスケがコーネリアスと親密な仲になってウルク元王子を嫉妬させてくれなければ計画が成り立たなくなるからだ。

 ベルはなんとかしてネイクリッドを奮い立たせなければならない。


「ネイクリッド翁、本当にそれでよろしいんですか? あなたの夢はそんなに簡単に諦められる程度のものだったんですか?」

「……。もうよいのじゃ。ワシは道場に剣士志望の若くておっぱいが大きくてちょっとエッチな感じの女子が来ることにワンチャン賭けることにするのじゃ。それもまたよい夢じゃ」

「いいえ、翁。それは妥協です。ただの逃避です」


 弱々しく自分の夢を語る老人にベルは冷酷に言い切る。


「……。なぜおぬしはそう言える」

「それは翁の方がよくご存知でしょう。そんな希望は叶わないと知っているからこそここに、学院のある都まで来たのでしょう」

「その通りじゃ。おぬしの言う通りじゃ。ワシは剣聖の名前が呪わしい。ワシの道場はガチな人間しか来てはいけないと、いつの間にかそんな風潮ができておった。ワシは、ワシはもっときゃぴきゃぴしたギャルっぽい女子おなごたちに来て欲しいのじゃ。だのに、何故じゃ。なぜ、ワシは剣聖などになってしまったのじゃ。ワシは人並みになりたかっただけなのじゃ。もっといい匂いのする女子おなごで溢れた剣術道場でししょー、ししょーと慕われて、ときどきちょっとエッチなハプニングがあったりして、でも女子おなごも満更でもない感じで、これいけるんじゃね、と。そんなハーレムにしたかったのじゃ。何故、こんな、こんな、些細な幸せもワシは掴むことができぬのじゃ」

「……」




 うわっ、キモッ。

 ベルは心の中で目の前の爺を心底軽蔑していたがしかし、それはそれ、これはこれだ。今はこのどうしようもない爺を立ち直らせてウルク元王子の当て馬にしなければいけない。

 ベルはベッドに横になる枯れ枝のようになった老人の側に膝をつくと、その冷えた手を両手で温める。


「つらかった、ですね」

「ぐすんっ」


 ネイクリッドは言葉が出ず、ただ涙を浮かべ頷いた。

 誰にも理解されない、そう分かっていたからこそ誰にも言えなかった。所詮は自分の望みなど石を投げられるだけのものだと自分でも理解していた。それを吐露すれば自分の価値を落とすだけだと。だが、ここにその夢を理解し慰めてくれる人がいる。

 他人ひとは安易に人に高尚な人間になれと、そう言う。高尚な夢を持ち、高尚な服を着て、高尚な振る舞いをしろ、と。そうでなければ同情さえしてはもらえない。お前の不遇は低俗さが招いた結果だと、笑われる。他人ひとは冷たい。同情に値しない人間に冷たい。人並みから外れた人間に冷たい。他人ひとの思い通りにならない人間に冷たい。

 ネイクリッドは他人ひとが怖かった。剣聖であるにもかかわらず、いや剣聖だからこそ。

 他人ひとが勝手に自分に押し付け、その理想に違えれば失望される。他人ひとが当然と押し付ける範からはみ出れば叩かれる。他人ひとが求めてくる虚像から逃げれば見限られる。ネイクリッドにとって剣聖というものは呪いでしかなかった。


「おぬしは、こんなワシでも、認めてくれるか。剣聖ではなく、一人の人間として」

「はい、もちろんですよ」

「……。いや、ダメじゃ。おぬしがそう言うても、ワシはもうあの学院では終わった人間じゃ。学院でぴちぴちギャルとウハウハハーレムの夢は、もう叶えられんのじゃ」


 しかし、ネイクリッドは最後の一歩を踏み出せない。もはや老いた心では恐怖から立ち直れない。干からびた大地は僅かばかりの癒しで潤すことはできない。

 そんな哀れな老人から少女は手を放す。

 ついに見捨てられたか。当然と思いながらネイクリッドの心が痛む。だが、それだけだ。ただ、それだけ―――


 バチンッ。


 ネイクリッドの視界に火花が散り真っ白になる。

 何が起こったのか彼には分からなかった。随分と長い間、そんなことは経験して来なかったから忘れていた。頬の痛みの感触が自分がぶたれた事を教えている。ベルが振りぬいた手の平は赤く腫れ、ぶたれた側にもかかわらずネイクリッドは同情してしまった。そんな感情が湧くほどに自分が立ち直っていることに気付いて驚く。


「それが! 何だと言うんですか! 苦しかったのでしょう! 辛かったのでしょう! そこから這い上がろうとしたのでしょう! それを笑われても、罵られても、あなたは、あなただけはそれを否定してはいけないはずです」


 ベルはつい思いっきりぶっ叩いてしまったことを誤魔化すために大きな声でそれらしいことを言う。

 危なかった、何かまずい流れになっていたので荒療治のつもりでついやってしまった。

 あの衝撃でボケが進行していないか心配したが大丈夫なようだ。なにかこちらをぼんやりとした目で見ているが、ちゃんと意識がはっきりとしている人間の目だ。

 そして、ぶっ叩いたことはどうやら正解だったらしい。隠居寸前だった老人の頬の血色が戻り、どこか高揚している。このまま勢いでコーネリアスへと誘導してやれば取りあえずは成功だろう。


 ベルは頭の中で計算をめぐらせながら、ここからの算段をつけていた。

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