11.下着盗難事件の犯人は誰だ! 解決編
学院で巻き起こった下着盗難事件の犯人を追ってベルたち一行がたどり着いたのは学院長室だった。
この学院の範たる学院長がまさか卑劣な下着泥とでも言うのだろうか。謎はさらに深まっていく。
名探偵ベル・ベチカは果たして級友ネスケに掛けられた濡れ衣を晴らすことができるのだろうか、それとも。
「おーほっほっほっほ、ベルさん。待ちかねたですわよ」
「わざわざ言い直さなくても結構ですよ、コーネリアスさん」
学院長室の中で二人の淑女が静かに火花を散らす。こう見えてもベルとコーネリアスはこの学院の学科試験で歴代でも類を見ない好成績を残している両雄だ。その二人がこれから行おうとしているのは討論会。舌戦をもってこの事件の真相を暴こうとしているのだ。
「ベル、大丈夫なのかい。僕が言うのもなんだがコーネリアスはディベートでは負け無し。鋼の弁論士と呼ばれているんだ」
「ベル、頼むぞ。ワシはまだこの学院で何一つラッキースケベに遭遇していないのじゃ。せめて女の子の股座にダイブしたいのじゃ」
「任せてください。私はこう見えても、地元では口げんかに負けたことがない、ぜったいにあやまらないリョーちゃん、で名が通っていたのですから」
自信満々の令を二人の男が頼もしそうに見つめる。その様子を見て学院長はコーネリアスに心細げに言う。
「コーネリアス殿、大丈夫じゃろうか? ワシはこう見えても現役で愛人とブイブイ言わせておるんじゃ。心象的には最悪なのじゃ」
「ご安心してよいですわよ、学院長。ディベートというのは最後は相手を泣かせれば勝ちなのですわよ。わたくしが負ける道理などありませんですわよ。おーほっほっほっほ」
いつにも増して拳の回った高笑いはコーネリアスの自信の深さを物語っている。
ベルとコーネリアス、二人がそれぞれ前に出る。一段と縮まった距離は乾燥した空気を震わせる。プラスとマイナス、二つの電極にかかる電圧が高まり障壁となる空気の壁を突き破り火花となってつながる。それをゴングにベルとコーネリアスのバトルは始まった。
最初に口火を切ったのはコーネリアスだ。
「まず、わたくしが主張したいのは今までこのような事件が当学院で起きてこなかったという事実ですわよ」
「異議あり!」
すかさずベルがコーネリアスの主張に口を挟む。これは審判のいないフリースタイルバトル、声の大きい者が常に発言権を得る。今回は言葉尻で声量が落ちたところにうまく合わせたベルのテクニカルな動きが光った。発言権がベルへと移る。
「むしろ、他人に擦り付けるチャンスを待っていたのではないですか。むしろ下着などで満足するのは年季の入った変態のすることです。そうなると年齢が」
「異議あり! ですわよ」
息継ぎのタイミングは常に狙われている。そのためディベートでは論理性よりも肺活量で殴り続けるストロングスタイルが近年では有利とされている。しかししゃべり続けると次第に声量が落ちてくるのはどうしようもない。その隙をコーネリアスはもちろん見逃さない。
「こちらの学院長は愛人としっぽりやっているのですわよ。今さら下着ごときに執心する必要などありませんわよ」
「しかし、その愛人から別荘をふんだくられて用済みになっていたとしたら?」
「それなら、そっちのも婚約者からおっぱいを焦らされてますわよ」
「そもそも学院長の顔はやってそうな顔なんだから有罪でいいでしょ、はい、決まり、決定」
「そんなのそっちもいつもヤラシイ目で見ていますわよ。視線痴漢罪で有罪ですわよ。前科一犯も二犯も変わらないんだからそいつが犯人でいいですわよ」
「あの」
「うるさい! 今、もう少しでこの女をギャフンと言わせられるんだから、ちょっと黙ってて。いい、コーネリアスさん。学院長なんてどうせ熟年離婚で捨てられるんだからここで刑務所に捨てた方が世の中のためなのよ」
「その」
「うるさい! ですわよ! もう少しでこいつを泣かせられるんですわよ。ベルさん。ちょっとおだてられたぐらいで調子に乗って自分がモテると勘違いするような男はそのうちどこぞで痴漢でもするのですわよ。被害者が出ないうちに刑務所送りが世のためですわよ」
ガン!ガン!ガン!ガン!。
突然、ベルが足で音を鳴らす。相手の発言を騒音で妨害しているのだ。ボディーランゲージはコミュニケーションの基本、これはディベートの終盤ではよく用いられる戦術だ。その証拠にコーネリアスも近くの机を叩きボディーランゲージで対抗する。
今や、アメリカ大統領選もかくやという白熱した討論会がこの狭い部屋で繰り広げられている。ぜひとも討論技術の教科書に載せたい模範的テクニックの応酬、観客が三人だけというのは最早人類史の損失と言っても過言ではないだろう。
だが、そんな戦いは意外な形で幕を閉じた。
「あの、二人とも、そろそろ、学院長とネスケくんがダメージを受けているので止めにしないか」
ウルク元王子が遠慮がちに口を挟むとようやくベルとコーネリアスは自分たちが弁護している相手の様子を見る余裕ができた。互いに投げ合った言葉のナイフは弁護人にはかすりもしなかったが被弁護人にはぐさぐさ刺さっていたらしい。ネスケと学院長は真っ白な灰になって崩れかけている。
「はぁ、じゃあこうしましょうコーネリアスさん。二人を裸にして盗まれた下着を持っていた方が犯人ってことで」
「まぁつまらないですけど、もう飽きたのでそれでいいですわよ」
ベルとコーネリアスの指示でウルク元王子がネスケを脱がしていく。
「おい、よせ、やめろ。コーネリアス。俺は婚約者だろう。ほら、婚約者に恥をかかせるのはいけないだろ」
「わたくし、他人の恥には疎くて、どうでもいいんですわよ」
「おい、止めろ、そこだけは、そこだけは」
ネスケが特に反応する胸ポケットをウルク元王子が漁る。そして何か気になる感触が指先に伝わったのか元王子は訝しげな表情を浮かべそれを取り出した。
「ん? これは?」
元王子が摘み上げたそれは薄いレースで編まれた慎ましやかな布。それはまるでパン――。
「もぐぅう! うまうま! ごっくん! これはパンじゃから! ちょっと手の込んだ編み上げパンじゃから!」
ネスケが神速の勢いで元王子が掲げていた白い布に食らいつくとそのまま飲み込んだ。
物証が示していた。明らかに下着泥棒の犯人はネスケ、だがその証拠は今や彼の腹の中へと消えていた。ネスケは何があろうとそれを吐き出すことは無いだろう。世界が壊れるほどの天変地異でも起きなければ、腹の中に隠した証拠を吐き出すことなど有り得ない。
ネスケはこの期に及んで勝ち誇った顔をする。
「さあ、証拠は出なかったぞ。後はそっちの学院長を調べるだけだな」
博愛主義のウルク元王子にしては珍しくネスケを気持ちの悪いものを見る目で見ていたが、その場の流れで学院長も脱がしにかかった。
「やめるのじゃ、後生だから。せめて下だけは、ズボンだけは止すのじゃ」
「おやおや、どうした学院長。まるで女子生徒の下着を盗んだ犯人みたいな慌てようじゃないか」
調子に乗ったネスケが慌てふためく学院長に追い討ちを掛ける。しかし、そのネスケの言葉に反応したのは意外にもウルク元王子だった。
「先ほどから、気になっていたのだが、聞いてもいいか?」
「ん? なんだ、王子。俺は犯人じゃないって証明されただろう」
「いや、まあ、それはいいんだが、その、女子生徒の下着が盗まれたというのは何のことだ?」
……。
どういうことだ? ウルク元王子の言葉にネスケとベル、それにコーネリアスが戸惑う。この場でその三人だけが戸惑っている。混乱したネスケがウルク元王子の質問に質問で返す。
「いや、今探しているんだろ。その下着泥棒を」
「ああ、下着泥棒を探してはいるが、盗まれたのは女子生徒の下着ではないぞ」
「え?」
ネスケがウルク元王子の言葉に慌て始める。その一言でようやくベルは合点がいった。何故、最初からネスケが下着泥棒として疑われていたのか、その理由が分かったからだ。
元々盗まれた下着は女子生徒のものではなかった、しかし状況から勘違いする人間は存在した。そう、犯人だ。
まず教師が最初に下着泥棒の犯行に気付き、そこから女子生徒へと伝わっていった。ならば下着を保健室で盗まれたのは教師の誰かだろう。そして、その下着を女子生徒のものと勘違いするのは、盗まれた下着の形状と保健室という場所から女子生徒を連想して思い込んでいる犯人しかいない。
そしてそれが誰なのか、もう既に学院中の人間が知っている。なぜなら、彼は学院中に響き渡る声でそのことを主張していたからだ。
そう、ネスケだけが下着泥棒の話を聞いてそれが女子生徒の下着と真っ先に勘違いしていたのだ。
「それじゃあ、下着を盗まれた人は誰なんですか?」
ベルが答えあわせが終わって静まり返った部屋の中でポツリと聴く。
どうやらその教師の名前まではウルク元王子も知らないらしい。そうすると知っているのは一人だけ、学院を統括する立場なのだから知らないはずがないだろう。
周囲の視線が集中し、学院長が何故か頬を染める。何かを観念したかのようにすっと立ち上がり、そして短く言った。
「ワシじゃよ」
その必要があったのかは分からない。ただ恥をかくなら最後まで、と破れかぶれの気持ちがあったのかもしれない。
後に学院長に質問した者がいる。
何故、女性ものの下着を履いていたんですか?
「あの頃は、ステファニーちゃんが冷たいのは自分に原因があると思っておったんじゃ。ワシがステファニーちゃんの気持ちに気付いていないから。だからの、ワシはステファニーちゃんの気持ちが分かるように同じものを履いたんじゃ」
それが何故、保健室に干されていたんですか?
「年のせいか、残尿が、の」
学院長がベルトを外すとズボンがゆっくりと落ちていった。
いや、時間にすれば一瞬だったのだろう。ただ見たくない、認識したくないという本能が時間の感覚を歪め、何とかその瞬間を遅らせようとしたのかもしれない。
しかし、無常なことに時計の針を遅らせることはできても止めることはできない。もしもそんなことができたなら一人の若い命が救われていたのかもしれない。今になってしまえば何の意味も無い、ifの話だが。
学院長のズボンという名のベールに隠されていたのは白い、純白の……いや、若干黄色いシミのあるレースのパンティーだった。それは奇しくも先ほどネスケが食した編み上げパンに酷似していた。
なんという偶然、なんという神のいたずら。頬を染め立っている学院長の慎ましやかな態度によく似合う清楚なパンティーがよもやネスケの胃の中で消化されんとしているパンと同じ形、同じ色合いをしているなんて。
「ぼえぇえぇえぇ、ごぼえ、ごえ、えっえっえ、おえぇえぇぐぇえぇえぇえぇえぇおえぇえぇえぇおえぇえぇえぇおえぇ」
ネスケの胃の中で天変地異が起こった。世界が崩壊したのだ。ネスケは全力でえづく。
痛々しいその姿は懺悔の嗚咽とも後悔の慟哭とも見える。そんな心を引き裂くような叫びがいつまでも学院長室に響いていた。
いつまでも、いつまでも。