3.神の怒り、ソドムの終わり
令は背中に滝のような汗をかきながら固まっていた。
今は動いてはいけない。正座した太ももの上にノートパソコンを広げたまま、体の姿勢を固定している。そして、その正面に立った神様が画面を上から覗き込んでいる。神様の視界は逆さまになっていて画面の文字は読みにくいのではないかと思うがそれを指摘する勇気は令にはない。
ただじっと神様の次の反応を待つ。
いや、本当に待っているだけでいいのか?
今、ここはまさに天王山。ここで自分の運命が決まる。天国か地獄か、生存か死亡か。ここであがかなくてどうする。
「神様、これはあれですよ、ただの荒らしですよ。ほら完全に機械翻訳の文章でしょ。こんなの気にする必要ないですよ。こいつは神様のゲームなんてやらずにふざけて書いているだけですよ」
神様の後頭部しか見えない令には判断する材料はない。ただ神様の機嫌が一ミリでも改善していることを期待して続ける。
「いやもしかしたら、同業者の嫌がらせかもしれませんよ。ほら、才能があるライバルを早いうちに潰そうとするって、ほら匿名掲示板で同業者の悪口を並べる奴がいるって言うじゃないですか」
神様の耳がピクリと震えた気がした。いや勘違いではない。願望が見せた幻覚ではない。間違いなく震えている。この路線だ。この路線を突き進むんだ。
「逆にこんなレビューが付いたらファンのみんなが怒るんじゃないんですかね。俺なら怒っちゃうな。それで長文の反論レビューとか書いちゃうな。きっとそうですよ。今にレビュー欄は絶賛するやつばっかりになりますよ」
いける。勝った。令は確信する。神様の首筋が赤くなっているのが分かる。
令の頭の中では裁判所から報道陣に向けておっさんが走ってくるテレビでよく見る光景が浮かんでいた。
あのおっさんが一体何をやっている人なのか令は知らない。ただ裁判の判決結果が大きく書かれた紙を持っていつも走っている。そして、報道陣が待ち受ける道路にたどり着いたところでその紙を大きく広げるのだ。
今まさに神様から下される令への判決を携えてそのおっさんが走ってくる。その紙に書かれているのは勝訴か敗訴か。令の喉が緊張で鳴る。
ピロン♪
またノートパソコンから通知音が鳴った。新しいレビューか? いや、そうでは無さそうだ。神様の後頭部が無言で令を急かす。令はここにはいない神様に祈りながらレビュー画面を更新する。
3名の方がこのレビューが参考になったと回答しました。
報道陣の前までたどり着いたおっさんが汗だくになりながら紙を広げる。そこには大きく黒の墨汁で2つの文字が書かれていた。
死刑。
報道陣からフラッシュの雨が焚かれる。視界が真っ白になる。汗だくのおっさんは涙と鼻水でフラッシュを浴びている。その顔は間違いなく令本人だった。
▼▼▼
幻覚から目を覚ますと、神様がこちらをじっと見下ろしていた。もう令の手元にはノートパソコンは無い。正座したまま神様の次の言葉を待つ。
「あんた、行ってきなさい。ノルスディアに。そんで乙女ゲーっていうのがどんだけ大変なもんか体験してきなさい」
「え?」
「あと、元の世界に帰れるとか考えないことね」
それが最後の言葉だった。
令が正座していた地面が観音開きの扉のように開く。待っているのはこの部屋とは対照的な真っ暗な空間。
そこに令は落ちていった。
令は宇宙のように何もないただ暗闇だけが続く空間を落ちていた。
どこに落ちていくのか、いつこれが終わるのか何も分からない。恐怖することに疲れた令は一つのことだけを考えていた。
ゲームは、それを作った人間がちゃんと存在しているのだ。それを罵倒して面白半分にいじればその裏にいる人間はちゃんと傷つくのだ。自分たちが虚空に向かって言っている言葉はちゃんと実在の人間に届いてその心を傷つけていることを自覚しないといけないのだ。もしかしたらその人間というのが神様で、その怒りに触れれば街の一つも滅ぼしてしまうかもしれないのだ。そういう可能性を、危険性を想像しながらこのネット社会を生きていかなければいけないのだ。確かに、確かにあのレビューは最初見た時くっそウケたけど、俺が何も知らなかったら参考になったのボタンを押してたけど、そういうことはしてはいけないのだ。
わかったね? これからおじさんはなんかよくわからない世界に行くけど、みんなはいい子にしてネット社会を楽しもうね、おじさんとの約束だよ?