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8.剣聖の孫、悪役令嬢と婚約する。

「それでさあ、ベル。昨日の僕はもうつきっぱなしでさあ」

「はあ」

「スロットがさあ、僕にコインを吐き出したくてたまらないって感じでさあ」

「はあ」

「やっぱり、僕はこれからこれで生活していこうと思うんだ。スロットのプロとして」


 昨晩、ウルク元王子がやたらと機嫌よく寮に帰ってきてからしゃべる内容はずっと同じだ。曰く、ついに自分の才能が開花したのだそうだ。スロットの才能が。

 カジノのバイトに行くようになってからその筋の交友関係が広がり、ずぶずぶとギャンブルの沼へとウルク元王子は沈んでいった。結果的にベルは二人分の生活費を稼ぐ必要が出てきて、いい加減こいつをどこかの橋の下にでも捨てようかと思案しているところだ。

 ベルは王子の自慢話にうんざりしてきたのでいつもの一言で黙らせることにした。


「それで、トータルでは勝ってるんですか?」

「……」


 ウルク元王子はベルのその一言で自慢話をピタリと止める。

 たまにギャンブルで勝ってくると調子に乗る元王子だが、それは本当にたまにでの話だ。基本はたいてい負けているのでトータルで言うとカジノにお金を寄進しているに等しい。ついでに言うと勝ったときもお金はスラムで仲良くなった浮浪者やついていないギャンブル仲間に気前よく恵んだりするので、ウルク元王子は結局の所お金をまったく寮に入れていない。


「でも大丈夫。もう必勝法は分かったから」

「それ、先週も言ってましたよね」


 ベルのそこはかとない冷たい返事にウルク元王子はうつむき黙る。

 王子時代から維持されているムカつくほど美しい顔立ちに悲しげな表情が浮かぶと見るものに罪悪感を覚えさせる。しかしベルにとってはこいつが秒で反省など忘れることを知っているのだから、その程度の憂い顔で心を動かされる事はない。

 そもそも玉の輿の望みが薄くなったこいつにこれ以上かまってやる必要など無いのだ。そうだ、これからは剣聖の孫、ネスケを狙っていくと決めたのだ。



▼▼▼


 学院の教室に着くとベルはまずネスケ・ネイクリッドを探した。朝が早いネスケはベルが教室に着いた頃にはいつも教室にいるのだ。

 予想通り、ネスケの習慣は今日も変わらなかったようだ。教室の後ろでラジオ体操のように腰をほぐす柔軟体操をしている。先日までのどこか老いを感じさせる様子から一変して若返ったようだ。


「ネスケさん。よかった、もう腰の調子は良いのですね」

「ふん、俺はツッパリだからな。気安く話しかけんなよ」


ベルは段々と面倒になってきた。ネスケは何かというとツッパリがどうとか言いだす。ツッパリとかもう今どき使う言葉ではないだろう。更に言えば女に興味ない硬派な不良というのはもう流行からは大分離れている。そんなのが流行っていたのは随分と昔のことだ。更に更に言わせてもらえば、ネスケがいつもコーネリアスの豊かな胸をチラチラ見ているのをベルは知っている。ベルの良く言えばスレンダーな体つきに興味がないだけで、ネスケはきっちりと女好きなのは観察していれば一目瞭然だ。

 しかしここで諦めてはいけない。貧乏から脱出するためにはこういう面倒をこそかってでなくてはいけないのだ。


「あの、ネスケさ――」

「おーほっほっほっ。ベル・ベチカさん、あんまり他人の婚約者・・・と仲良くするのはよしてください、ですわよ」


 めげない女、ベル・ベチカを遮ったのはチャンスは逃さない女、コーネリアスだった。


 はて、蒟蒻者こんにゃくしゃとはなんだろうか? 蒟蒻でできた人間のことだろうか?


 現実を受け入れられないベルだが、将来有望な男と悪役令嬢、この二人が関係する蒟蒻と言ったらもう一つしかないだろう。


「ま、ま、ま、まさか。ネスケさんはコーネリアスさんとご蒟蒻されたのですか」

「蒟蒻はしてませんですわよ。婚約ですわよ」

「いやあ、あの、それは、ばらすつもりは」

「ふふっ、わたくしそこまでは怒ってませんわよ。ネスケさん」


 ネスケは普段のクールな様子からはかけ離れた、コーネリアスの尻に敷かれたたじたじの様子で話しかける。それに対してこちらもいつもとは違う年下の彼氏をからかう様子でコーネリアスが返事をする。

 それは、ベルの立てていた玉の輿計画が崩壊したことを認めるのに十分な二人の姿だった。



▼▼▼


(まだだ、まだ諦める時ではない。ベルよ。お前が諦めたら玉の輿計画はどうする。左団扇で食っちゃ寝の生活はどうなる。また社畜生活に戻っていいのか)

「まったく、あれはなんだい? 学生の身で婚約だなどと。浮かれるのもいいが家族を養えるだけの甲斐性を身に着けてから将来を約束するものだろう。ベルもそう思わないか」


 おっ、そうだな。


 ベルは思わず同意しそうになったが、その言葉の主を見て止めた。ウルク元王子はいつもは育ちの良さからか無駄に余裕のある態度で嫉妬や怒りといった負の感情を露にすることはない。しかし今日は打って変わって眉間に皺を寄せながら悪態をついていた。


「もっと地のついた、生活力とかそういうのが重要なんじゃないかな」


 今朝はギャンブルで生計を立てると言っていた人間の台詞とは思えないが、まあそれはいい。あのネスケの剣の腕なら生活には困らないというのも置いておこう。今、重要なのはあの元王子が嫉妬しているということだ。

 コーネリアス、元王子の元婚約者がよその男と婚約したことに嫉妬している。身勝手極まりないと言えばそれまでだが、これはチャンスだ。ウルク元王子とコーネリアスを元鞘に戻せる事ができれば、ベルはこの無駄飯食いから開放されるし、さらに将来有望な物件に空きができる。このチャンスをなんとかしてモノにしなければ。


 ベルはこの降って湧いた幸運を何とか利用できないかと先程から教室でいちゃついているコーネリアスとネスケを観察している。


「なあ、いいだろ。今夜辺りさあ。俺はもう限界で……」

「もう、はしたないですわよ。そういうのは結婚してからですわよ」


 残念ながら今のところコーネリアスとネスケの仲は良好そのもの、人目もはばかることなく睦ごとをささやきあっている。だが諦めるわけにはいかない、なんとしてでもあの紐を追い出さなければりょうに明日はないのだ。

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