7幕間.卵卒ドラゴンの憂鬱
ドラゴンは下等な人間たちから謂れなき煽りをくらい、さらに力負けするという屈辱に涙しながら実家へと帰っていた。
「ぐすん、悔しいよー、パパー」
「なんだら、お前、そげなくらー顔してー」
実家で昼のワイドショーを見ていた父ドラゴンは突然の息子の帰省に驚いた。父ドラゴンはもう定年退職しているので近所に借りている小さな畑をいじった後は家で昼寝するぐらいしかすることがないのだ。
「パパー、あのねー、人間がねー」
「おーおー、つらかーのー、よしよし」
息子の説明は要領を得ない。だがそこは年の功、父ドラゴンは根気強く慰め相手が落ち着くのを待つ。
ある程度、息子が感情を吐き出したところで父ドラゴンにも事情が分かってきた。
さて、どう慰めたものか。
「パパー、卵卒って恥ずかしーのー?」
「そっだらこたーねー。卵卒は立派なことだ」
ドラゴンの不安げな質問に父ドラゴンは胸を張って答える。取り繕うのではなく心からそう思っているからこそ出る自信に満ちた声。だがそれでもドラゴンの不安は晴れない。
「でもでも、お前は卵の間ほっとかれてたんだって、親の愛情がないんだって」
「そっだらこたーねー、お前はかーちゃんが尻の穴痛めて生んだんだ。そんなのは愛情がなきゃーできねーべ」
母ドラゴンは今はスーパーのレジ打ちのパートに行っている。彼女の代わりに父ドラゴンがその愛情を証明しなければならない。責任感から父ドラゴンが熱弁を振るった。
「でもパパー、胎卒は出産のときに血が出るんだって。あとテイオウセッカイっていうのでお腹を切ることもあるんだって」
誰かがドラゴンに吹き込んだのか、それとも精神世界の掲示板に書き込まれていることを鵜呑みにしたのか、胎卒が卵卒を見下すときに使う常套句がドラゴンの口から漏れる。
父ドラゴンはその言葉に一瞬、返答を窮する。その態度にドラゴンが不安になったのか、泣き止んでいた目に涙が浮かんできた。
やっぱり卵卒はダメなんだ、社会の落伍者なんだ。
ドラゴンの心の中で暗い確信が芽生える。その顔を見た父ドラゴンはもう黙っていることはできないかとため息をついた。
「ええか、このことはかーちゃんには言っちゃあかんぞ」
「え?」
父ドラゴンが秘密をしゃべるように声を潜める。まだ母ドラゴンが家に帰ってくる時間には間がある。この秘密は母ドラゴンから絶対に息子には言うなと厳命されていたのだ。しかしことここに至っては仕方ない。
ドラゴンはてっきり卵卒煽りの言葉の数々が真実で、そのために父ドラゴンが返答に窮していたと思っていた。しかし、父ドラゴンの様子では答えを言いよどんでいたのは母ドラゴンの秘密に関わることだったかららしい。
ドラゴンは口に溜まった唾を飲み込み父の秘密の話に耳をそば立てる。
「かーちゃんはな、実はな、お前を生んだとき、…、切れ痔だったんだ」
今明かされる衝撃の真実。ドラゴンは混乱して頭の整理が追いつかない。
「とーちゃんはな反対したんだ。卵はまた生める。切れ痔を治してからまた生めばいいって。だけんどな、かーちゃんは譲らなかった。お腹の卵は生まれたいって言ってるって。この子に代わりはいないって」
「それで! それで!」
「そりゃーもー、大出血よ。イタイイタイ言いながらそれでもお前を生んだんだ、かーちゃんは」
自分の出生の秘密を聞きドラゴンの瞳に輝きが戻った。暗く淀んでいた気持ちが一瞬にして晴れ渡った。
「こんことは、かーちゃんには秘密だぞ。ご近所さんにもいっちゃーなんねーぞ」
父ドラゴンが息子に念を押す。
しかし、残念ながら当のドラゴンの耳には届いていない。重く心の井戸に蓋をしていた岩が取り払われ、清涼な水が溢れている。この感情の奔流を誰かに伝えたい。自分は愛されていた、そのことを全世界に言って回りたい。浮き立つ心を表すように軽くなった翼がドラゴンを空高く運ぶ。
天頂に太陽は輝いている。いつの日も、俯いた者たちがそれに気づくのを根気強く待ってくれている。
余談ではあるが翌日から母ドラゴンは見知らぬドラゴンからあんたも大変ねーとボ○キノ○ルを貰うようになるのだが、それはきっと良いことなので気にしてはいけない。