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7.剣聖の孫の活躍・ドラゴン編 下

「お前らぁ、ドラゴン様が黙っていると思って好き勝手言いやがって。卵卒らんそつはなあ偉いんだぞ、幼少期のハンデをバネにしてこうやって偉くなったんだぞ」


 草食動物のように大人しかったドラゴンが隠していた本性を露わにする。必死に自らの優位性を主張するが、悲しいかな所詮は卵卒らんそつ、胎教を受けていないせいで貧弱な語彙ボキャブラリーしか持ち合わせておらず説得力のある論理を展開できない。ついには言葉で言い募ることを諦め暴力に訴える。

 ドラゴンの巨木のような足が大地に打ち付けられ地響きを轟かせる。鳥たちが一斉に逃げ散り、あたりはその鳴き声で埋め尽くされた。

 ドラゴンが暴れだしたことでその場の雰囲気は豹変した。今まで如何にドラゴンの近くで念動画を撮影できるかを競っていた観光客たちは今や少しでもドラゴンから離れようとパニックになっている。

 しかし、ここは一昔前までは観光地でもなんでもないただの山だったのだ。山道はまだ狭く木の根に足をとられる地面をただの観光客が器用に走れるわけがない。そこかしこで将棋倒しが起こり逃げ遅れた人々に確実にドラゴンの魔の手が迫っていた。

 ドラゴンがその体長の八割を占める大きな羽を広げる。その姿は天頂の太陽を覆い隠し山に集まった人々を闇に閉じ込めた。


「ひい、誰かあああ、お助けええええ」

「いやあああ、こんなところで死にたくないいい」

卵卒らんそつに殺されるなんて、胎卒たいそつの恥だぁあ」


 人々が口々に悲鳴と哀願を叫ぶ。山の空気はその声を遠くまで運ぶが返ってくるのは自分たちの木霊だけだ。

 最早これまで、皆がそう確信した。そんな絶望的な状況で一人のか弱き乙女が立ち上がる。


「ドラゴン! 襲うなら最初に私を襲いなさい!」


 その細く、華奢な姿は闇に飲まれた山頂で唯一人光を放っているかのように人々の心に希望を与えた。その勇気ある姿、人としての尊厳を守り抜く強さ、そして献身を忘れぬ美しさに誰もが心を打たれた。その人物がドラゴンを煽り倒してこの事態を生んだことを皆すっかりと忘れ見惚れる。

 しかし、現実は無情だ。


「GYAOOOOOOOOOON」


 そんな彼女の姿に感動する心を野蛮な卵卒らんそつドラゴンは持ち合わせてはいない。餌が何を訴えようとも、捕食者にとってそんな鳴き声は雑音でしかないのだ。

 だがそんな脅威にも彼女は怯むことはない、むしろ勝利を確信しているかのように堂々と言い放つ。


「私は負けません。なぜなら私には頼もしい勇者が付いていますから」


 ベルは勝利を確信してネスケの方を見る。

 もはや勝ったも同然だ。凶悪なドラゴンに身を捧げようとするヒロイン。それを前にした剣の達人である主人公。ここからの流れは陳腐とすら言ってもいいだろう。

 だがしかし人はいくらバカにしていてもそういう陳腐なものの主役になれば心がときめくものだ。

 もはやベルをヒロインとしたネスケの英雄譚は幕を上げている。

 襲い来る悪意を剣の一太刀が切り払う。後は幸せなキスをして幕を閉じるまでこのお話は止まることはない。

 そのはずだった。


「痛たたたたたた、もうワシ、限界。腰がもう、無理じゃ」


 ネスケは顔を苦渋の皺だらけにして呻く。

 山登りが止めになったのか体を地面に突っ伏すと腰を庇うように空に向けてくの字に曲げている。その姿はどう見てもこれから悪のドラゴンからヒロインを助け出す主人公の姿ではない。

 どちらかと言えば肝心なところで役に立たない老剣士の姿と言った方がお似合いだ。


「は? え? は?」

「危ない! ベル!」


 ラブロマンスから急激にコメディに舵を切った展開についていけず混乱するベル。そんな彼女の事情などおかないなしにドラゴンの凶刃が襲う。

 人の上半身などたやすく輪切りに出来る大きな爪がベルに届こうかという瞬間、まるで物語の主人公ようにウルク元王子が横っ飛びでベルを庇った。


「GYAOOOOOOOOOON」


 横倒しになるベルとそれを体で受け止めるウルク元王子。そんな動けない二人に無情にもドラゴンの足が狙いを定める。

 城壁をも優に超えるその巨体を支える足は飛行生物にも関わらず太く、そして重い。頑丈な鱗で覆われた巨大な攻城鉄槌を思わせるその凶器は人の柔らかい体などずたずたに切り裂き無事では済まさないだろう。

 もはやベルとウルク王子には残酷な未来しか残されていない。


「ネスケさん。お願いですわよ。立ってくださいですわよ」

「いや、まじで腰が限界なのじゃ」

「……、わたくしの胸が張り裂けそうですわよ」

「え?」

「わたくし、あのお二人を助けてくれた方を感動で抱きしめてしまいますわよ、この胸で」

「え!? 胸で!?」


 ドラゴンの足がゆっくりと振り下ろされ、ベルとウルク元王子を押しつぶす。

 そして、そこには無残な赤いシミだけが残った。


 そのはずだった。


 ドラゴンの巨大な足が途中でピタリと止まる。それがドラゴンの意に沿わないことはその表情と足の震えから容易に察せられる。筋肉の束が筋となり大地を分ける山脈のごとく盛り上がるがそれでもドラゴンの足はそこから一ミリたりとも下には進まない。


「軽いな、ドラゴン。

その程度では俺の剣は折れねえぞ」


 ドラゴンの振り下ろした足元から声が聞こえる。

 矮小な人間ごときの声などドラゴンには届かないはずなのに、ドラゴンにはその声を無視することができない。本能が言っているのだ、その声を聞け、と。一分いちぶたりとも聞き逃すな、と。

 ドラゴンは恐怖から己の骨を折らんとばかりにそれまでに無い力を込める。

 しかしそれは失敗だった。相手は、この足元に潜む脅威は、力に抗して耐えていたのではない。力を逆転し、こちらに返す時を待っていたのだ。


「『悪因悪果』」


 静かな、老木が風にささやくような言葉。

 その言葉とともに強大な力がドラゴンの足を突き上げる。自分が今までに押し当てていた力全てがこの一瞬で返される。無思慮に振るっていた力が牙となり因果を返す。

 何か大きな自然の摂理に逆らうが如き無力感がドラゴンの心をポキリと折った。


「覚えてろよ! 道徳的には正しいのはこっちだかんなあ!」


 捨て台詞とともにドラゴンは羽ばたき去っていく。

 その姿をネスケは悠然とした表情で見送る。敗者に追い打ちをかける必要はない、いつでも相手になりそして土に這わせられる。その自信が余裕となっていた。

 そして、それとは別に腰を庇うために腰を90度に曲げて剣を杖にしてかろうじて立っているだけなのでそこから一歩も動けなかったことも原因ではあった。


 こうして、剣聖の孫が自慢の剣でドラゴンを突き上げ悲鳴を上げさせたという、一部の人達を勘違いさせる噂が王国の内外で広がることとなったのだった。

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