6.剣聖の孫の活躍・ドラゴン編 中
ウェスホーク王国の首都から北へ半日の距離にある山、ドラグニート山は古来からドラゴンが来襲しては荒らしていくことで有名な土地だった。
その時代の古さから、かつてその山はドラゴンの聖地でありそれを荒らした人間に対する復讐であると、由来の怪しい伝説すら存在する。
それらの真偽がどうであれ、数年に一度、災害のようにドラゴンが来襲し放置すれば首都にまでその被害が及ぶことは間違いない。そのため、ドラゴンを討伐するために多くの資金と人命が費やされてきた。それらの戦いは時に勝利し時に敗北し、多くの武勇譚を生み出してきた。
しかし、そういった伝統もまた時代のうねりには勝てないものなのだ。
「いかがっすかー、おいしいおいしいドラゴン饅頭っすよー。おいしすぎて火をふく、ドラゴン饅頭っすよー。記念にお一つ」
「じゃあいくよー、はいピース」
「やっべ、マジドラゴンじゃん、やっべ、マジテンション上がるわ」
「きゃー、ドラゴンかっこいー、ねぇ今こっちに手振ったよ」
今やドラゴンがその頂上に鎮座するドラグニート山は王国の一大観光スポットとなっている。
その原因の一つは最近発売した小型水晶と言ってもいいだろう。この小型水晶のおかげで今までは持ち運びに難儀するような大型の水晶が必要だった念動画撮影が手軽にできるようになった。更にその念動画を共有意識に上げて善音をもらって徳を積むのが一大トレンドになっているのだ。
そんなファボりたい欲求が今時の都会人たちをドラグニート山へと駆り立てている。
そして、もう一つ重大な変化があった。人間側の意識の変化だけではなく、もう一方のドラゴン側にも時代の流れによる変化があったのだ。
「お肉を食べるのはもしかして野蛮な行為なのでは?」
今、ドラゴンの若者の間で起こっている価値観の変化、そう菜食主義がドラゴンと人間の関係を劇的に変えた。
人間にも感情があるんだし、食べるのって残酷じゃない?
その素朴な意見がドラゴンたちが当然と思っていた人間とは食べ物であるという固定観念を破壊した。今のドラゴンは植物由来のたんぱく質でできた植物人間を食べることで満足している。
こうして、長い長いはるか昔から続いていた人間とドラゴンの争いは世の中の流行の変化というどうしようもない理由であっさりと終わってしまった。
人間とドラゴンがともに手をとり歩む理想的な社会、だがここにそれでは困る人間が一人いた。
(おいおいおいおい、なんでドラゴンがインスタスポットみたいになってるんだよ)
苦労してドラグニート山を登ってきた令は目の前で平和に戯れるドラゴンと人間たちの姿に唖然とした。
ドラゴンといえば食物連鎖に頂点にいる人間の更に上、人を捕食し、姫をさらい、勇者に倒される、そんな定番のモンスターじゃないのか。
そう毒づいてみても現実は変わらない。人間たちのリクエストに応えてドラゴンが空に向かって火を噴くと、一斉に念写のフラッシュが焚かれる。
「いやあ、すごいねベル。人間とドラゴンが和解するなんて感動的な光景じゃないか」
ウルク元王子が能天気なことを言っている。
お前は黙ってろ。ここで元王子と剣聖の孫を交換する計画なのに勧進のドラゴンがこの有様では予定通りに進まない。令の考えではドラゴンによってベルとコーネリアスがピンチに陥り、たまたま側にいたネスケがベルをウルク元王子がコーネリアスを助ける。そのどきどきでカップルが二組成立する予定だったのだ。
その計画が一歩目から躓いている。
「おーほっほっほっほ、何事ですか? これは? わたくしたちはドラゴン退治に来たのですわよ」
「ふひー、腰がやばいのじゃ」
ベルとウルク元王子に遅れてコーネリアスとネスケも山頂に到着する。
彼らもこの状況は知らなかった様子で戸惑っている。学院長からは学院の名誉のためにドラゴンを討伐してくるよう熱心に言われている。このまま手ぶらで帰って良いはずが無い。
「いや、このような平和な光景を壊すべきじゃないよ、ベル。僕らはこのまま帰ろうじゃないか。早く」
ウルク元王子が熱心に早く帰ろうとしている。それは一見すると平和を愛するがゆえの行動に見えるがベルはその実態を知っている。
こいつは早く帰ってカジノに行きたいだけなのだ。昨晩、こいつは言っていた。何かスロットの設定が激熱だのと、カジノのバイトで知り合ったギャンブル狂い共に吹き込まれたらしい。
「いいえ、そんなことできません。見てくださいここにいる人たちを。彼らは本当の危険を知らないのです。このようなことを放置すれば必ずや大きな被害へと発展するでしょう」
「そーわ思えませんですわよ」
「わしゃーもう帰りたいのじゃ」
しかし、ベルの意見は彼女以外からは同意が得られなさそうだ。
特にネスケは登山の途中から腰をかばうような動きをし始め、しゃべり方までお爺さんのようになってしまっている。
なんとかして、なんとかしてこの平和な光景を壊さなければ。令は知恵を絞る。折角、ギルド長をうまく誘導できたのだ、易々と諦めるわけにはいかない。ネスケの方を焚きつけるのは難しそうなら、ドラゴンを挑発してやればいいのだ。
「ドラゴンさんドラゴンさん、思い出してください。人間はご飯ですよ。栄養バランスを考えたら人間も食べるべきなんじゃありませんか?」
「君、意外かもしれないが人間も痛いと泣くんだよ。知ってましたか? それを知ったら、スーパーで売ってる人間も食べられなくなるよね」
なんと軟弱なことだろう。もはや野生の欠片も無くなったドラゴンは府抜けたことを言う。流行に流されてこんな堕落したドラゴンに未来など無いだろう。しかし、今はそんなドラゴンの未来のことよりもネスケとドラゴンが対決させることが先決だ。
何か、食欲ではなく他のもので挑発できないか? そうだ、あれがあるじゃないか。
「ドラゴンさんって、卵卒なんですよね?」
「……。」
ビクンッ!
ベルがぼそりと言うと、今まで気の抜けた様子だったドラゴンの表情に緊張が走る。今まで春の麗らかな優しい日差しが出ていた空に突然暗雲が立ち込める。その様子に、集まっていた危機感の欠けた若者たちもざわつく。
「ベルさん。そんなまさか、ドラゴンといえば地上最強の生物、それが卵卒なわけないですわよ?」
「そうだよ、ベル。卵卒というのは卵から生まれるあれのことだろう。まさかドラゴンが卵卒なわけがない」
卵卒。未だ差別や偏見が残るこの未開の地ノルスディアでは学歴差別という愚かな慣習が残っていた。そんな学歴社会の中でも最も蔑まれているのが卵から生まれる卵生、つまり卵卒である。
胎生生物が母親のお腹の中ですくすくと栄養を与えられている間、卵卒は親の尻に敷かれて暖められている。胎卒が胎教で初等教育を終えている間、卵卒は卵の中でただスヤスヤしている。一説によると卵卒は胎卒に比べ約半分の年収しか得られないと言われている。このような偏見がこのノルスディアでは蔓延っているのだ。
ベルがもったいぶるように口を開け、先ほどと同じようにぼそりとつぶやく。
「卵ってお尻の穴から生まれるんですよね?」
「きゃーやだーばっちー」
「うえ、最悪かよ。ドラゴンって卵卒かよ」
「マジありえねえっしょ。今時、胎生じゃないとか、ありえないっしょ」
ベルがつぶやいた聞こえるか聞こえないかの一言は、しかし耳をすませていた大衆にしっかりと届いていた。その効果は劇的だ。先ほどまであれほど持て囃していたドラゴンにまるで汚物を見るような視線を向ける。最早、皆の憧れていたドラゴンはいない。ここにいるのは学歴社会の敗北者、卵卒ドラゴンでしかないのだ。




