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4.剣聖の孫の活躍・兵士長編

 ベルは放課後の冒険者ギルドでのアルバイトの道すがら今日の出来事を思い出していた。

 ベルはあくまでも冒険者ギルドでは裏方の事務仕事がメインだがその評判は良くギルド運営のトップであるギルド長の覚えもめでたい。黙々とノルマをこなすことを楽しめる性質のベルからすれば分不相応に重宝されている気がして少しむず痒いくらいなのだが、もちろん悪い気はしない。だからこそ今回は残念だった。


 今回、冒険者ギルドで管理していた訓練用のゴブリンがなぜか脱走してしまったのだ。管理責任で言えばそれはギルド長に付されるのだろうが、なぜか心が痛んだベルはもしかしたら自分のミスかもしれないと庇い立てした。その結果、慣れ親しんだアルバイト先を一つ失うことになったのだがベルに後悔は無い。なぜならこれは先行投資だからだ。この涙はいづれ大きな果実を実らせる若木のために流しているのだから。


「わたし、くじけない」


 誰もいないところでも健気な没落令嬢の心を忘れないベルは、そうつぶやくとスキップしながら寮への家路を進んだ。

 と、そこでふと気付く。もう既に寮には灯りが点っていた。


 おかしい。


 ベルは思った。今日はウルク元王子はアルバイトで遅くなるはず。こんな、まだ日が沈んで間もない時間帯に誰かが寮にいるはずがない。

 ベルは恐る恐る寮へと入る。

 盗賊が窃盗目的で侵入している可能性と勝手に名乗っているベチカ家の負債を取り立てに来た誰かの可能性が半々といったところか。いつでも逃げられるように及び腰になりながら灯りが点る食堂へと向かった。

 そんな緊張したベルが食堂で目にしたのは予想していたものとは違う実に平和な、いや能天気なウルク元王子の顔だった。



「やあベル、おかえり。今日は遅かったね」

「……。ウルク王子、確か今日はアルバイトがあったのでは?」

「はっはっは、そうなんだよ。聞いてくれるかい、ベル? これが傑作でね」

「……。それは本当に笑える話なんですか? 王子」


 確かウルク元王子の今日のアルバイトは路上でのビラ配り。本日夜から新装開店するカジノ(・・・)に客を呼び込む仕事のはずだ。

 あの手の業種というのは夜の帰宅ラッシュを狙い、仕事のストレスを発散するという名目を手にした人間が財布の紐を緩める心の隙を突くのだ。現代にいた時も似たようなものだった。夜に輝くネオンに魅かれ、誘蛾灯に誘われた蛾のごとく集まった人々から金をむしり取る。ギャンブルというのは得てしてそういうものだ。

 そうやって勤労に勤しんでいるはずの王子が食堂でくつろいでいる。

 ベルは内心のイラつきを隠すことが出来ず言葉に棘が混ざるが、王子は気にした様子はない。


「勿論だよ。ベルも気になるかな、やっぱり。今日、僕はビラ配りの仕事をしただろう。そのビラにはカジノが新しくオープンしたって書いてあったんだよ」

「ええ、そうでしょうね」

「それだけじゃあないんだ。そこには更にこう書いてあったんだ。『絶対に損はさせません』ってね」


 もう大体分かった。ベルは右手を挙げてウルク王子の話を止める。頭痛を堪える様にこめかみに手を当てベルは口を開く。


「それで、今日のバイト代をスッたんですね?」

「そうなんだよ。だけど面白いのはここからでね。僕は店員に文句を言ったのさ、損はさせないってのは嘘じゃないかってね。そうしたら、その店員はなんて言ったと思う?」

「いえ、どうでもいいので」

「ふふ、不正解。正解はね『お客様の刺激的なお時間に比べたら安いぐらいですよ』ってね。傑作だろ?」

「ははっ、そっすか。よく分かんないっす」

「だから僕はね、バイト代を一ヶ月分賭けることにしたのさ、前借りしてね。この刺激的な時間にはそれぐらいの価値があるからね」

「は? え? は?」

「そして、それを全部スッてからまた同じ店員に聞いたのさ。『どうだい、これでも僕は損してないって言えるかな』って、そうしたらその店員は言ったのさ『申し訳ありません。わたくしの負けです』って。どうだい、なかなかに面白い話だったろ?」

「……。」

「ベル?」

「な・に・が・面白いんじゃー!」

「ベル?」

「お前ぇ! バカァ! お前ぇ! バカ野郎! お前」

「ベル?」

「一ヶ月ってのはなあ、一ヶ月ってことだぞ、お前分かってるのか、分かってるのか!」

「ベル? 分かってるよ、勿論」

「分かってねー! 分かってねーから言ってんだよ。お前一ヶ月これからただ働きだぞ」

「はは、そうだね。でもあの店員も反省してるんだから、僕は許してあげるよ」

「おっまっえっが、反省しろ! そして俺は許さん!」

「ベルはいつも僕を本気で叱ってくれるね。そんなところが僕は好きだよ」

「ひ・も! 完全に紐の返答」

「はは、ベルはいつも面白いなあ。ところで今日の夕飯はなんだい?」


 今日も元王子はろくに金を稼がずにご飯をモリモリ食べている。早くこいつを何とかしないと、ベルはそう思った。



▼▼▼


 ネスケの先日の活躍により剣術科の授業は常に無いほどの盛況ぶりを見せていた。剣を振るのは主に男子生徒たちだけだが訓練が行われている道場には見学の女生徒たちも詰めかけていた。


「いっち! にぃ! いっち! にぃ!」


 掛け声とともに男子生徒たちが木剣を振るう。ヤル気はあるが技術と筋力が伴わない少年特有の頼りない素振り。腕の振りだけに頼った木剣の軌道はあちらこちらに寄り道し焦点を通る頃には折角の力が削がれてしまう、そんな素人らしい微笑ましいものだった。

 しかしそうなる原因は生徒たちにはない、指導者が矯正するべきものだからだ。その指導者であるネスケ・ネイクリッドは何をしているのかと言うと、ただ立っていた。木剣を杖代わりにして腰を直角に曲げ、青い顔をしながらただ立っていた。それ以外に出来ることがなかったからだ。


「あの、ネスケ師。出来れば、指導の方を」

「あ、ああ、分かった」


 生徒を代表して一人の男子生徒がネスケに声をかける。それに弱々しい声でネスケは答えると腰を労わるように剣を手に取った。


「よく見ておれ、こうじゃ」


 なぜか年寄りのような口調でネスケは木剣を振るう。ただの木剣が名刀のような風切り音を奏でる。極限まで薄く研ぎ澄まされた名刀が清涼な風を両断したと錯覚するような鋭い澄んだ音色。木剣の一振り、ただそれだけであのゴブリンたちを全滅させた光景が脳裏に浮かび人の心を震わせる、それほどの技の冴えだった。腰が90度に曲がっていなければ。

 ネスケは足を地面から垂直に立たせ、さらにそこから腰を直角にして上半身を地面と水平にしている。そんな姿勢でありながら見事な剣の素振りをしてみせた。それは達人にしか出来ない妙技ではある。あるのだが、如何せんカッコ悪かった。

 拍手を送るべきか否か迷い代表の男子生徒が何かを言おうとする。しかし、それは突然の乱入者によって遮られた。


「頼もぉおおおお!」


 日頃の鍛錬により鍛えられた肺活量と喉だけが出せる野太い声。荒事に慣れていない学院の生徒たちはそれだけで震え上がり大音声だいおんじょうに耳を塞いだ。


「こちらに、ネスケ・ネイクリッド殿はおるかぁ!」


 しかしその乱入者は周囲の迷惑も気にせず話を続ける。スレた道着で人が見上げるほどの巨体を包み、しかし胸元から溢れる体毛を隠しきれていない。見るからに汗臭く、そして上流階級の子女が通うこの場所にそぐわない巨漢の男に誰も見覚えはなかった。そんな戸惑いの中で誰かが気付きつぶやく。


「あれって、兵士長じゃないか?」


 その男は式典では正式な兵装をしているため気付くのが遅れた。

 兵士長。それはウェスホーク王国、国軍一万人の中の武力の頂点。兵法でも指揮能力でも血筋でも家格でもコネでもない、ただ個人の武力によってのみ選ばれる称号だ。しかし、そんな武の巨人も剣聖の名前の前では子供扱いとなる。だからこそ兵士長は気に入らなかった、その剣聖がただ己の孫というだけでただの小僧であるネスケを賞賛していることが。所詮は剣聖もただの耄碌したジジイ。兵士長はそう侮っていた。


「ふん、剣聖の孫とやらがどれほどの偉丈夫いじょうふかと期待していたが。こんな小童とは。剣聖は家族も持たぬ孤高だとか称賛されていたが、隠れて孫まで作った挙げ句、目が曇って孫煩悩とは、所詮はただのジジイか」


 腰を折り曲げて弱々しいネスケを見ると兵士長はさもありなんと鼻で笑った。

 その傍若無人な態度に生徒たちは顔をしかめるが、かと言って面と向かって文句は言えない。如何にも荒事に慣れた風情の巨漢と対立するなど、教育の行き届いた貴族の子弟にとっては想像もできない愚行に他ならない。

 それ故に、自分たちにとっては英雄のような存在になりつつある学友のネスケが馬鹿にされていても目を伏せ何も言えない。

 だがこの学院にも愚かな者はちゃんといた。愚かで、そして友達思いの勇気ある少女が。


「やめて! ネスケさんは学院を守ったのです。そのせいでケガを」


 ベルの涙交じりの言葉に兵士長はたじろぐ。いかにも泣いている子供と女には弱い兵士長はそれ以上は言葉をつなげられない。

 女の尻に隠れるネスケの図は確かに軟弱者と言ってもよさそうなのだ。だが、これで帰ったのでは自分の、いや兵士長の名が称揚されるはずもない。

 ここは一つもうひらいてやろう。


「おい! 小童! 剣を取れ。一つ俺が見てやろう」


 そう言うと兵士長は持参した丸太を掲げ持つ。新兵たちが必ず一度は小便を漏らすと言われる兵士長の丸太素振りだ。

 入隊の通過儀礼として鼻先ギリギリを通り過ぎるその丸太の迫力は新兵の性根に活を入れるという名目で兵士長の嗜虐心を満たす恒例行事となっていた。

 剣聖の孫とかいう小童もその一人にしてやろう。兵士長はそれぐらいのつもりだった。嘲虐でつりあがった口元を隠しもせずネスケを見下ろす。

 意外と肝が座っているのか、その兵士長の誘いに剣聖の孫は乗ってくる。だが、相変わらずの90度に曲がったへっぴり腰のままだったが。


「ふん、ビビって道場を汚すなよ。おらぁ!」


 兵士長が唸りを上げて丸太を振り下ろす。それに合わせてネスケは軽く木剣を振る。


「ほれ」


 その木剣の軽い一振りが、子供の胴体ほどもある太い丸太をかち割った。

 根本から割れた丸太は重力に引かれて兵士長の頭に直撃する。兵士長は何が起こったのか理解する前に白目を剥いてドウと倒れた。


「きゃー、ネスケ様、さすがですわよ」


 そんな衝撃的な場面でも動じず素早く動いたのは誰あろうコーネリアスだ。

 豪胆が間違えて貴族に生まれてしまったとさえ言われる肝の座ったコーネリアスはネスケに飛びつく。腰をいわしているネスケはその衝撃に耐えながら、顔に当たるコーネリアスの柔らかいものに目尻と、口元と、鼻の下をいやらしく垂れ下げている。

 生徒たちはそのネスケの表情に気付くこと無く声援を送っている。ただ一人、ベルを除いて。

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