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2.新たな編入生

 学院は夏季休暇が終わり新学期が始まろうとしていた。

 夏季と冬季の二学期で一年を分けているこのウェスホーク王国の学院では他では見られない一つの特徴がある。

 夏季の始まりに学術科目の講師の人員で入れ替えがあるのとは対照的に武術科目の講師は冬季の初めに入れ替えが起こる。この制度習慣は西ノルスディア地方では冬が近づくとモンスターによる災害が頻発することに由来している。国軍との繋がりが強い武術科目の講師はモンスター討伐への参加要請があり、それを断ることは名誉と出世に深刻なダメージを負うことから、ほとんどの講師が進んで参加を承諾する。

 そして、そこで生まれた欠員を補充するために現役を引退した高齢の臨時講師が配属される。本来なら学生の間では不評の多い制度だ。しかし、今回、寿退社した前任者の補充としてやってくる講師に対しては様子が違っていた。



▼▼▼


「ふふ、ベル。新しい先生はどのような人だろうね、楽しみだな」

「おーほっほっほっほ、ベル・べチカ。あなた剣術の方はからきしでしたわね。精々目をつけられないように気を付けることをお勧めしますですわよ」

「はぁ、あの何でお二人はこちらのクラスにいるんですか?」


 ベルは自分のクラスに何故かいるウルク元王子とコーネリアスに愛想を装う元気もなく質問する。確か、夏季学期では別々のクラスだったはずだ。


「さあ、何故だろうね。今日クラスに行ったら僕の席が無くてね、代わりにこちらのクラスに行くように言われたのさ」

「おーほっほっほっほ、騒音問題で鬱になっていた担任の先生が復帰するのですわ。それでわたくしがこちらにクラス替えしましたのですわよ」


 なるほどなるほど。夏季休暇の間、ウルク元王子を見ていて気付いたのだが基本この人は他人の気持ちが分からない人間だ。そしてコーネリアスも同じ部類に入る。

 周りの生徒たちは割と好意的ではあるが、しかしその面倒を見なくてはいけない教師からしたら厄介な生徒なのは間違いない。なにせあまり邪険に扱うこともできない立場の二人でもあるし。

 そんな二人がベルを挟むように両隣に席を並べている。

 もしかして、体のいい世話係を押し付けられていないか? 


 何故か勝手に席を移動させられこの二人に挟まれているベルはその可能性が十分考慮に値するものに思えた。


「おーほっほっほっほ」


 ベルが悩んでいると突然、コーネリアスが高笑いを始める。

 驚いているベルをよそにクラスの生徒達は次々に着席する。そのタイミングを見計らっていたかのように教師も教室に入って来た。


 ああ、そうかもう朝礼が始まる時間だったか。


 もはや完全にチャイム代わりになっているコーネリアスのよく通る笑い声を切っ掛けに学院の新学期が始まった。



▼▼▼


 午前の授業が終わると学院の生徒全員が講堂に集められた。

 学期の初めにふさわしく学院長からの挨拶を聞くためなのだが、本来ならそういった行事は午前の授業が始まる前に済ませてしまうものだ。

 今まさにその理由を耳ざとい生徒たちが噂している。


「聞きまして? 何でも急に編入生が来るそうですのよ」

「まあ、そうですの? 突然ですのね」

「ええ、なんでも剣聖ネイクリッド翁の推薦でお孫さんがいらっしゃるのだとか」

「まあ、あの、大陸でも10本の指に入ると言われている剣聖の推薦で?」

「ええ、それで、ほらネイクリッド翁は今度、剣術科の特別講師にお招きするっていう話があったでしょう。それをお孫さんにお任せするのだとか」

「ええ? でもお孫さんは学生で、でも講師をなさるの?」

「ええ、それで学院長たちがどうするかお話し合いになっていたのだとか」


 なるほどな、そういう事情で期初の挨拶が遅れていたのか。そうすると、その剣聖の孫というのもこのタイミングで紹介されるのだろうか。

 ベルは噂話に聞き耳を立てると表情に出ないように注意しながらある可能性を考えた。


 剣聖の孫、しかもその腕は剣聖のお墨付きで自分の代わりに講師にと推薦するほどだ。自分たちと同年代でそれだけの腕が有るなら祖父の名前をフル活用すれば剣術学校で大儲けできるかもしれない。


 ベルの瞳の中で数字が回る。

 月謝がこれで、首都の人口があれで、その中で武術に関わる仕事はこれぐらいだから、うまくブランド化すれば。

 しかも、その孫というのがもし男だったら。これは、ただの紐と化しているの元王子などさっさと捨てて乗り換える時が来たのではないか。


 ベルは暗くなりかけた未来を明るく照らしてくれるはずの剣聖の孫とやらが男であることを祈った。



▼▼▼


「ネスケ・ネイクリッドくんはその名前から分かるとおり、皆知っているであろうあの剣聖ネイクリッド翁のお孫さんじゃ。彼はその才能に溺れること無く研鑽を積みその剣技はネイクリッド翁の若かりし頃に匹敵すると剣聖殿より称されておる。この国の武術界を担うこの若き天才と机を並べ勉学に励み、またその剣の教えを受けることは諸君らの未来に大きな翼を授けることであろう。大変異例なことでは有るが、今回このネスケ・ネイクリッドくんを特別編入生としてだけでなく、腰を悪くされたネイクリッド翁に代わる剣術科の特別講師としても迎え入れることになったのじゃ。これはひとえにワシがこの学院のためにと滅私奉公にはげみ……」


 いつもなら学院長の退屈な長話に生徒たちはささやくような声で談笑していたところだが、今日は学院長の話への驚きと興奮で講堂全体をざわめかせていた。

 そして本来ならそれを注意する立場の教師たちもささやき声で情報収集している。どうやら彼らにとっても剣聖の孫の登場はサプライズだったようだ。

 生徒、そして教師たちの視線はもちろん絶賛演説中の学院長になど向いておらず、皆その斜め後ろに立つ少年へと向いている。

 少年の背格好は意外なことに随分と小柄なものだった。剣の腕に長けた少年という触れ込みは偉丈夫とは言わないまでもそれなりに強そうな見た目を想起させる。しかし、実際にそこにいる剣聖の孫は小柄な体型で遠目では分からないがおそらく女性としては長身の部類に入るベルやコーネリアスより頭一つ低いぐらいだ。

 そのせいか少年の顔に浮かんでいるふてぶてしさを感じさせる仏頂面は見る者に怖ろしさよりも小生意気さを感じさせる。

 黒髪のちょっと生意気な年下の少年、噂話のときには剣聖の孫それも実力は折り紙つきと言われている人物像に興奮と畏怖がない交ぜになった空気があったが、今やネスケ・ネイクリッドの周りからの評価は親しみに僅かながら侮りがスパイスされたものに変わっていた。

 長い長い学院長の話がようやく終わる。そのタイミングを見計らい少年が一歩前に出る。


 その瞬間を講堂の外で庭木の手入れをしていた老練の庭師は窓越しに目撃していた。

 彼は後にこう述懐する。

 その少年、ネスケ・ネイクリッドが動き出した瞬間、講堂に広がっていた弛緩した空気が凍てついた。いや、人々だけではない。あれだけ騒がしかった風に煽られる草木すらその瞬間にピタリと止まる。その光景はまるで彼の次の一挙手を待っているようだった。

 幼さすら感じさせる黒髪に隠れた目元、目立つことのない筋肉の薄いただの少年。だが一度動けばその足運び、体重の移動、腕の振り、全てから目を離せなくなる。まるで優美なトラがしなやかに動く姿に人々が魅了されるように彼が常人ならざる者だと、ただ歩く姿を見ただけで理解していた。

 皆が息を呑んでいた。しかしその瞬間にあろうことか無粋なハエが一匹迷い込んで来た。単純な神経節しか持たないハエに少年の脅威が理解できる道理など無い。残念なことではあるが。

 そんな空気を読まないハエに対し少年は無造作に右手を向けた。何もない腰に右手を伸ばし、そこにまるで剣があるように構えを取る。

 無刀一閃。

 ハエはしばらく飛んだ後、ポトリと二つに割れて落ちた。講堂がその神業にどよめくのが窓の外からも分かる。少年は存在しない剣で練り上げた闘気だけでハエを両断したのだ。見えぬ剣の露を払い腰に収めると、まるで何もなかったかのように歩き出し、ようやくマイクの前に立った。

 その最初の一言を皆が固唾を飲んで待つ。

 そんな少年が発したのはたったの一言だけ。


「俺はツッパリだから惚れるなよ」


 ネスケ・ネイクリッドの言葉を理解できたのは教師でもさらに一定以上の年齢にある者だけだった。

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