1.ご注文は若返りの薬ですか?
「むふふふっ」
「どうしたのですか、学院長? 気持ち悪い声など出して」
失礼千万な副学院長の言葉に、しかし学院長は白く蓄えた髭をしごきながら上機嫌に答える。
「知りたいか? 知りたいかの? そこまで言われてしまっては仕方ないのう。ここだけの話じゃぞ」
「はぁ」
特別興味も無いがここで話を遮ると逆にめんどくさくなることを知っている副学院長はため息とも相槌ともつかない言葉で返事をした。そんなことには一切興味の無い学院長は興奮のためか鼻の穴を大きくして話し始めた。
「実はの、ほれ、剣術科の講師を首に、いや自己都合で辞めてしもうたじゃろ。わしはその後任を探しておったのじゃけどな、そこでぴんと来たのじゃ。これはもしかすると汚名返上、失地回復のチャンスではないのかとな」
「なるほど、また余計なことを思いついたんですね」
「やかましいわい。それでの、わしは剣術科の講師としてこれ以上無い人物に頼むことにしたのじゃわい。ほれ、誰じゃと思う? 誰じゃと思う? 当ててみ」
学院長がめんどくさいモードに入っている。これは以前に愛人に別荘を買ったときにその値段を自慢していた時と同じだ。結局その時は値段がぴたりと当たるまで5回は聞き返された。
思い出した副学院長は僅かに痛んできた頭に手を当て、学院長がそこまで言うのならばと盛大に吹っかけることにした。自分が言った人物が学院長の勧誘したそれよりもすごい人物なら、このめんどくさい老人の自慢話も少しは大人しくなるだろう。
「えーわかんないなー、それじゃー、ネイクリッド翁で」
副学長は渓谷の奥深くで今も剣の道を極めんとしていると噂の剣聖の名前を出した。王国騎士団の再三の依頼も断り、才能あふれる猛者たちの弟子入りも断り、ただひたすら己と向かい合うことをのみ至上とする生ける伝説。そんな人物の名を出されたらさすがの学院長も自慢はできまい。老人に冷や水を浴びせる行為と言えば少し気が引けるが、学院長が相手ならまったく心が痛まない。
そんな目算があったが故の副学院長の答えだったが、それを聞いた老人の反応は予想外なものだった。
「え? なんで知ってるの?」
「え?」
「え?」
剣術科の講師としてこれ以上無いほど適任の人物、そう呼ぶには過剰な肩書きである王国最強の剣の使い手、剣聖ネイクリッド翁。彼が貴族とは言えただの学生たちを指導する気になった事情にはもちろん裏がある。だがそれをまだこの二人は知らない。
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令は『魔女の鷲鼻』の新しい販売形態を模索するために貴族の館にやって来ていた。
足繁く通うことで館で働く人たちと顔を繋いだ結果、ついに貴族と直接商談をする機会を得られたのだ。まあ貴族と言っても令が出入りできる程度の格の低い准男爵家なのだが。
「それで、これが、例のアレかね」
「はい、アレ、でございます」
「館の下男共が噂していた」
「はい、執事様にもご好評いただいております」
「何!? あやつはもう60だぞ!」
「ふふふ、当店の商品はそれはもう、特別製ですので」
「ゴクリ、……、ギンギンかね」
「ギンギンでございます」
令が商品が入った箱を机の上に出す。准男爵はそれを恐る恐る手に取り、中を確認した。
「む、これだけかね」
「こちらの商品は定期購入をお勧めしております」
「? なぜだね。売れるだけ売りつけた方がそちらも儲かるだろう」
「もちろんそうではありますが、しかしそうしますとお客様に不都合が生じますでしょう」
「不都合? この薬はまさか違法なものなのか?」
「いえいえ、こちらは合法な天然由来のオーガニックなものしか使っておりません。不都合というのは夫婦仲の方でございます。例えば、もしもその薬の量を奥様に把握されてしまった場合、色々と不都合がございますでしょう?」
准男爵は令の持って回った言い方だけで合点がいったのか深く頷く。この精力剤『ギンギン丸』を使うのは必ずしも奥方が相手の時だけとは限らない。そして奥方の知らないところで精力剤が減っていれば、当然どこで使ったのか首根っこを絞められながら問いただされてしまう。令が言外に仄めかした可能性に准男爵は納得したようだ。
「とりあえず、一年プランはいかがでしょうか。こちらのプランですと10%増量になりさらにお得になっております」
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令は『魔女の鷲鼻』へと帰る道すがら商談が上手くいったことを喜んでいた。特に定期購入に誘導できたのは大きい。
『魔女の鷲鼻』の売り上げが伸びない原因の一つとして売られている商品の効果が大きすぎることが上げられる。もちこん効果は無いよりも有った方がいい。しかし一度の使用で満足されてしまったら二回、三回と買ってもらえなくなってしまう。ならば効果を弱めればいいのだがサリーにそんな器用なことはできない。そうなると他の方法で購入を促す必要が出てくるのだ。その答えの一つが定期購入だ。
定期購入で業績を急回復させた好例としてはAd〇beがよく取り上げられるだろう。いい製品を出すほど、次の製品を購入する必要性が無くなってしまう。そんな悪循環を打破してくれるのが定期購入モデルなのだ。
『魔女の鷲鼻』も同じように効果の高い商品を定期購入化することで顧客を長期的につなぎ留めておく体制を作り、さらに将来の売り上げ予想を立てやすくする。今はシェアの急拡大よりも収益の安定化を図る時期なのだから。
令はサリーに良い報告ができると、今日の契約書を持って『魔女の鷲鼻』へと帰っていった。
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『魔女の鷲鼻』に着くとサリーが待っていた。今回の大口の契約でサリーを驚かせてやろうと笑いを堪えられなかった令だが、気付くとサリーも同じ顔で待ち構えていた。
「むふふふ、どうしました? わたしはなにも隠してませんよ?」
「いやいや、その顔は何かいいことがあったんでしょ」
ばればれのサリーを突っついて促すとよほど自慢したかったのかすぐに白状した。
「むふふふ、バレちゃいましたか。実はですね、今日はお客さんが来たんですよ」
サリーが人差し指を一本立てて言う。一本、つまり客が一人来たということだろうか? いや、うん、まあ、客が来たことはいいことだ。そうだ、もしかしたら……
「もしかして、それは新しいお客さん?」
「はい! そうです。初めて見るおじーちゃんでした」
なるほど、新規顧客ならそれは嬉しいニュースだ。是非とも常連さんになってほしいところだが、それとは別に客の属性とどのような商品を購入して行ったかというデータは将来的な売り上げ向上に役に立つ。
「それで、そのお爺ちゃんはどんな人だった?」
「うーん、なんだかすごいおじーちゃんでした」
「すごい?」
「はい! おじーちゃんがそういってたからすごいんです」
サリーの説明では具体的なことがさっぱり分からない。恐らくはその老人が自分はすごい人間だと自慢していたのだろう。だがサリーにはその自慢話の具体的な内容が理解できず、結局その老人の態度だけ印象に残ったというところか。年配の顧客を相手にする時はよくあることだが、しかしできればもう少し詳しい情報が欲しい。
「他にはどんなことを言っていたかな」
「えーとえーと、そうでした! あのですね、すごい剣のせんせーでした!」
すごい剣の先生。どこかの剣術学校の師範だろうか。もしかしたら本当に剣の達人なのかもしれない。そうなると、剣術関係の人間に売り込める商品を調査するためにも、どういった商品を選好するのか気になるところだ。
「それでですね、そのおじーちゃんは、これをかってくれました。これはすごいのじゃっていってよろこんでました。わーい」
その剣の先生の老人はどうやらその商品をそうとうに褒めてくれたらしい。嬉しそうにサリーが万歳をして商品をこちらに見せてくる。なるほどなるほど、この薬を買っていったのか。
『ゲコゲコわかガエルくん』飲んだ量だけあなたの年齢が若返ります。
ふむ、なるほど、剣は、関係なさそうだな。
「これで、わかいなおんをこませるって言ってました。あのあの、どういう意味なんですか?」
うん、その爺はただのクソだな。
令はサリーを適当に誤魔化しつつ、そう言えば契約書を見せていなかったと思い出す。しかし、たった一人客が増えたことをこんなに自慢しているサリーに男10人分の新しい契約が取れたことを報告するのは少し気が引ける。これはまた今度でいいか。
令はもう煩悩爺のことはすっかり忘れてしまっていた。まだ、令は知らない、その煩悩爺に悩まされる日々が待ち受けていることを。




