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19.働かない王子様!!

 ベル・ベチカの朝は早い。寮に勝手に作った家庭菜園にはニラと長ネギが実っている。早起きの野鳥共についばまれる前に収穫しておかなければならない。首都の誰かが餌をやっているのか、野鳥が多いのだ。


「んー、この香り、たまらん。昨日もらった鶏肉と一緒に焼いて、味付けは塩一択だな。後はビールがあればなあ」


 ベルはこの世界の一番の不満、アルコール類の種類の少なさを嘆く。

 よく冷えたビールの喉を通る爽快感を味わえなくなってから一年が経過しているが、その思い出が色あせることは無い。

 そんな調子で庭から寮に戻ってくると唐突にベルの鼻に焦げ臭いにおいが漂ってきた。よく見れば薄い黒煙が寮の中に立ち込めているではないか。

 ベルはすぐに原因に思い至り泥を落とすのも忘れて寮の食堂に駆け込む。そこではかまどに一本の火柱が立ち上がり、ボヤという便利な言葉で誤魔化せる限界を超えた光景が広がっていた。


「お前えええ! 何やってんだ、お前えええ!」

「あわわわわわ」


 この火事の主犯である役立たずは慌てるばかりで頼りにならない。ベルはお嬢様にあるまじきがに股で水がなみなみと貯められた水瓶をガッチリと両腕で掴む。胸の高さまであるその水瓶は下手をすれば女性一人分の重さはあるだろうが、まさに火事場の馬鹿力でベルは掴み上げ火柱にぶちまけた。


「どっせええええい」


 ベルの気迫と大量の水のおかげでなんとか火柱の消火に成功する。

 しかし、水浸しになったベルにそれを喜ぶ余裕はない。目の前の光景、火に嘗められて表面が炭に変わった台所の天井と壁、水に浸って使い物にならなくなったかまどの燃料、そして昨日ご近所さんからもらった鶏が無残にも黒い物体に成り果てているのを見て絶望に打ちひしがれている。


「ははは、すまない。僕はがんばっているベルにせめておいしい朝食を食べさせてあげたかったのだけどね」


 そんな煤だらけの中でも濡れた髪とまつ毛が様になっているウルク元王子はなぜかさわやかに笑っていた。朝の空きっ腹を抱えたベルにとってはその姿にさらに怒りを覚えるだけでしかなかったのだが。



▼▼▼


「あの、ウルク王子。王様に謝って何とか王宮に戻ることはできないんですか?」

「ふっ、そんな心配そうな顔をしないでくれベル。僕は決めたんだ。君との愛に殉じるってね」

「いえ、なんだか本当に死にそうなので、一旦帰ってくれませんか?」


 ベルはウルク王子にもう何度も同じお願いをしているが、この王子はベルが遠慮しているとでも思っているのか聞き入れる様子は無い。


「それに、僕はもう王子ではないんだ。気軽にウルクと呼んでくれ。ベル」

「ぐっ、いえ、ウルク王子はウルク王子なので」


 ベルは一瞬、眉間にしわが寄るがそれを誤魔化してにっこり笑い王子呼びを続けることを告げる。

 ベルにとってはそこは絶対に譲れないラインなのだ。もしも、このウルク(バカ)王子が王子でなくなったことを認めてしまったら、もうただのウルク(バカ)でしかなくなってしまうからだ。そんな奴が寮に転がり込んできている。その事実を決してベルは認めるわけにはいかない。



▼▼▼


 ウルク王子がこの寮に転がり込んできたのは三日前のことだった。その日、ちょうどベルの格好でアルバイトから帰って来たベルは寮の前に転がされている人間大の麻袋を発見したのだ。


「え、何これ怖い」


 身に覚えのない荷物が一応女性の一人暮らしということになっている寮の前に置いてある。何かの犯罪の臭いを感じて最寄りの詰め所に行こうかとベルが思案していると麻袋が一度大きく跳ねた。


 ひえっ。


 何か麻袋の中で唸っている声が聞こえるが猿ぐつわでも噛まされているのか内容は聞き取れない。ベルは恐る恐る足で小突くとまた麻袋が跳ねて唸りだした。

 間違いない、人だ。

 これはもう誘拐、拉致監禁といった類の犯罪で間違いない、そして自分はその犯人に仕立て上げられようとしている。

 そう確信したベルはこの麻袋を詰め所に持って行くか、いや濡れ衣を着せられないようスラムの野犬が多い区画に置いて行く方が良いか、悩み始めた。そんなベルの目に麻袋に縫い付けられた一通の手紙が映る。蝋には見たことがある印章が押し付けられ、見た目にも質の良い紙でできた手紙にベルは悪い予感がしながらも見なかったことにすることができず封を開けた。

 その手紙には短くこう書かれていた。


『そちらで引き取ってください。 国王』


 ベルは麻袋の中身がなんであるか9割9分、予想がついてしまった。そんなベルの気持ちを知ってか知らずか麻袋の中の人物がまたひとつのたうつ。



▼▼▼


 ベルが回想から戻ってくるともうアルバイトに行かなければいけない時間になっていた。出かける前にこれだけは念を押しておこうとベルはウルク王子に言う。


「王子、とりあえず王宮にどうやったら戻れるかは追々話し合うとして、私は仕事に行くので王子もいい加減アルバイトに行ってください」

「ははっ、もちろんさ。僕も少しは成長しているんだよ」


 成長? しているか? ベルはこの3日間のことを思い出す。

 初日にベルはウルク王子に工事現場のアルバイトを紹介したが、一日ももたずに帰って来た。しかも何故か新生活記念だと言って高いシャンパンを買って来たのだ。よく聞くとそのシャンパンを買うために王宮から持たされたお金、おそらく手切れ金であろうそれを全額つぎ込んだと白状した。しかし、それはシャンパンの瓶が空いた後、返品することもできず。ウルク王子は正真正銘の無一文になってしまった。

 それからも、肉体労働よりは接客業がいいかと、紹介するアルバイト先を変えてみたが注文を忘れる、計算を間違える、勝手にサービスするで、今度は半日ももたなかった。


「今回のバイト先は、肉の切り身にタンポポを乗せる仕事だからね、大丈夫さ。僕はフラワーガーデニングは得意なんだよ、君も知っている通り」


 その仕事にフラワーガーデニングのセンスは一ミリも必要ないが、これだけ自信満々なのだから大丈夫だろう。きっと、たぶん。

 ベルは自分に言い聞かせると遅刻気味のアルバイトに間に合うよう急いで寮を出たのだった。

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