15.迷宮・巨蟲が縁で結ばれた愛
「ひー、お助けーーー」
ベルはお嬢様にあるまじきストロークでダンジョンの中を疾走していた。
護衛をしていたモルブとか言う雑魚兵士は既に迷宮・巨蟲の腹の中だ。彼の最後の言葉は『デッドリードライブ・イナズマ・スペシャル・エッ――』だった。残念ながら彼の必殺技は名前を言い切る前に彼ごと飲み込まれてしまった。
「あいつー、何が精鋭だ。何がオレに任せれば安全だ。全然使えねえじゃねえか。しかも技名間違えてんじゃねえか」
お嬢様に必殺技を覚えてもらえて彼も心残りは無いだろう。しかし一人残されたベルはたまったものではない。
全速力で逃げながら出口を探す。しかし、護衛が案内してくれると油断していたせいで全く道を覚えていない。死の恐怖が文字通りベルの背中を舐められる距離にまで迫っていた。その瞬間、ベルの耳に遠くから話し声が聞こえてきた。
「どうですか、王子。私強いでしょう。強いでしょう」
「ええ、そうですね、先生」
「分かりますか。いやー流石は王子。どういうわけか私が活躍すると男共が逃げてしまうんですよね」
「そうなんですか、先生」
「ええ、ええ。そのせいでこの年まで結婚もできず。いや、それはいいのです。ところで王子、誰か年頃の生きのいい男性の知り合いはいませんか?」
「そうですね、今はちょっと思い当たりませんね、先生」
「出来れば爵位を継ぐ長男で、家は男爵家ぐらいがちょうどよくて、軍人でそれなりに出世しているとなお良いですね」
「それより、先生。ここどこでしょう」
「お助けーーー、くださいですわよーー」
あれは間違いない、王子と剣術科の講師だ。助かった。
「む、あれは迷宮・巨蟲。下がってください、私が一撃で仕留めてみせます」
「大丈夫ですか? 先生」
「ふふふ、私は今日のために必殺技を編み出して来たのです。名付けて『イナズマ・ローリンツインバスター・スーパー・ゼッ----」
剣術科の講師は技名を叫ぶ途中で迷宮・巨蟲に飲み込まれた。
何か嫌な予感はしていたのだ。技名に良くない既視感を覚えていたのだ。でもあれだけ自信満々なら大丈夫だって思うだろ、普通。
講師が飲み込まれたことで同じ境遇になったベルとウルク王子は並走しながら迷宮・巨蟲から逃げ出した。
▼▼▼
ダンジョンの外はまさに混乱の真っ只中だった。
「早く、早く救助隊を突入させるのじゃ。そうしないとワシの愛の巣が、ワシの爵位が」
「落ち着いてくださいまし、学院長。まずは生徒が全員いるか点呼を。そして相手はかなり成長した迷宮・巨蟲。今の戦力だけで太刀打ちできるか確認をする必要がありますですわよ」
混乱し正常な判断力を失った学院長の代わりにコーネリアスが皆を落ち着かせて対処の指揮を取っている。
周りにいる教師たちも彼女の冷静な態度と的確な指示に、教師と生徒という立場を忘れて従っていた。
「コーネリアス様、大変です。ベル様がいらっしゃいません」
「ベル・ベチカが?」
コーネリアスは唇を噛んでしばし黙考した。しかし、それは一瞬のこと。時間が判断を分けるこの状況を理解している彼女は今ある手元にある情報だけで決断を下す。
「捜索隊を組織します。迷宮・巨蟲との戦闘は避けあくまでも逃げ遅れた二人の捜索に集中します。巨蟲と遭遇した時は必ず逃げることを優先するですわよ」
コーネリアスの本心はその表情からは読み取れない。
ただ、その判断は妥当なものと皆が認めたため彼女の意見に従い、すぐさま兵士の中から捜索隊が選ばれていく。方針が決まったことでダンジョンの前に作られた急造の指揮所が慌ただしくなる。その喧騒の中で誰かがつぶやいた。
「どうかご無事でいてくださいまし。ベルさん」
▼▼▼
ベルとウルク王子はダンジョンの開けた場所に辿り着くとそこにあった小さな窪みに逃げ込んだ。
迷宮・巨蟲はその巨体のせいで窪みには入れず、かといって諦める様子もない。ウロウロと蜷局を巻き獲物をどうにかして追い立てられないかと小さな神経器官で考えている様子だ。
「大丈夫かい? ベル」
「はい、ウルク王子も、あの、大丈夫ですか?」
「ああ、君のバラの匂いを嗅いだら、すぐに気分が良くなったよ」
ウルク王子とベルが狭い窪みに身を寄せ合いながら巨蟲から隠れている。
令の中年男性特有の脂ぎった頭髪がさっきから王子の顔にこすりつけられているが魔法の学生服の効果でそれは美少女の芳しい頭髪の匂いと錯覚しているようだ。
しかし、この場所に留まり続けるのも限界がある。なんとかして打開策を考えねば。
「あの、ウルク王子、不躾な質問ですが、あの迷宮・巨蟲。倒せますか?」
「ふふふ、無理だね。情けない話だが、僕は武術の類はからっきしで」
「いえ、仕方ありません」
そう簡単に行けば、そもそも逃げる必要など無い。しかし、どうにかしなければ。
ベルは考え込んだ。
「ところで、ベル。何か飲み物はないかい、できれば紅茶とか」
「すいません、水も無くて」
「そうか、仕方ないね。ところで、ベル。顔が汚れてしまってね、タオルとかないかい」
「すいません、ご自分の服で拭いてください」
「そうか、仕方ないね。ところで、ベル。この前、家の庭でバラが咲いてね」
「すいません、今その話はちょっと」
ベルは段々とイライラしてきた。
どうでもいいようなことをグダグダと、今はこの状況を何とかするのが先だろう。いやもしかしたら不安を取り除こうと話題を探しているのかもしれない。あまり無碍にするのも可愛そうだ。
「ところで、ベル。何か飲み物はないかい、できればコーヒー以外がいいな」
「飲めるものはないです」
イライラしながら持ち物を確認し返事をするベル。
確かに飲めそうなものは無い。あるのは魔法道具店で売られているアイテムぐらいだ。ベルがその小瓶に触れた時、ふと思い出した。
そういえば、現代にいた頃、何かのテレビでやっていた。確かミミズのように呼吸器官がない蠕虫は皮膚で呼吸している。そのため、その皮膚細胞が破壊されると呼吸できなくて死んでしまうのだ。それを利用して界面活性剤を使った殺虫剤がよく効くという話だった。
そうだ、迷宮・巨蟲も所詮は虫だ。ならばこれが効くのではないか。
「ウルク王子、目を閉じて、布で口を覆ってください。今からこの薬を撒きます。この薬は大量の泡が出て敵のモンスターを覆います。泡は界面活性剤ですので細胞の膜を破壊します。恐らくあの迷宮・巨蟲は皮膚呼吸のために表面が濡れていて人間よりも界面活性剤に弱いでしょうから、私達が我慢している間に---」
「はっはっは、僕はベルのことを信用しているよ」
どうやら、ウルク王子はベルの言ったことを理解できなかったようだが、持ち前の寛容と慈愛の性格で何も考えずにベルに全てを託す。
「……、はい、それじゃあいきます」
ベルは何か言い掛けたが途中で思い直した。今は王子に不満をぶつけている場合ではない。
サリーの店で売っている魔法薬『ぬるぬるすべすべ君』を迷宮・巨蟲に向けてバラ撒く。
試供品として大量に持っていたビンが割れ、中に封印されていた液体が泡となり巨大な迷宮・巨蟲を覆う。そして効果はすぐに現れた。
迷宮・巨蟲がのたうち出口を求めて暴れるが巨体が災いしてなかなか通路に入ることができない。衝撃がダンジョンを揺すり剥離した外壁が落ちてくる。
「きゃっ、怖い」
「大丈夫、僕がいるよ」
本当にいるだけのウルク王子がなぜか頼もしげな雰囲気だけを出している。落ちてくる外壁の欠片から庇うようにウルク王子がベルを抱きしめる。しかし令の本当の姿である中年男性の肩幅を抱きしめるにはウルク王子はやや小柄だった。王子の頭の中ではベルを完全に覆って庇っているようだが、さっきから令の頭に石が当たっている。
そうして耐えていると突然、迷宮・巨蟲の動きが止まった。びくびくと震えている姿は間違いなく弱っていそうだが、最後の足掻きでこちらに襲ってこないとも限らない。ここは安全に配慮して。
「死んだな、ヨシ!」
しかし、ウルク王子はこの狭い環境に我慢の限界が来たらしく隠れていた窪みから飛び出してしまった。
「さあベルも」
「王子! 後ろ! 後ろ!」
ベルの焦った声にウルク王子がゆっくりと振り返る。
そこには最後の力を振り絞り巨蟲が首をもたげていた。人間など簡単に押し潰せてしまう巨体が王子へと迫る。もはや逃げる暇は無い。
ベルは時間がゆっくりと流れているように感じた。
いい奴だった、アホだったけど。そんな感想が頭にチラリと浮かんだ。
発声器官が無い巨蟲は余計な雄叫びなど発しない、しかし、その静かな動きがむしろ恐怖を煽る。そして、王子の頭上へと降り注いだ迷宮・巨蟲は、爆裂四散した。
「デッドリードライブ・イナズマ・スペシャル・エックス!」
「イナズマ・ローリンツインバスター・スーパー・ゼット!」
一組の男女が迷宮・巨蟲を突き破り飛び出して来た。喰われたはずのモルブと剣術科講師は意外と元気そうな様子で技名を叫んでいる。二人は巨蟲を内側から斬り破った剣を共に高々と上げると、巨蟲の死体を足蹴にして抱き合っていた。




