12.勝ち投手んご、王子様
モルブは半べそをかきながら競技場を逃げ回っていた。
親善試合はもはや試合の体を為さず狩りの様相を呈していた。また一人、モルブの横で歩兵が討たれる。
「フハハハ、何だこの弱卒は。全く歯ごたえがないぞ」
騎馬に乗った相手方の歴戦の猛者といった風情の兵士が高笑いしながら馬上槍で弾き飛した歩兵を小突く。最初の一撃でありえない角度に腕が曲がったその歩兵はぐったりとしたまま反応しない。
モルブは彼が羨ましかった。自分も気を失ってしまえば痛みを感じずにやり過ごせる。
いや、そんな生易しいはずがない。後半になり競技場のそこかしこで乱戦が起こるともはや救護班も立ち入らなくなる。恐らく彼もこのまま野ざらしにされるだろう。そうなれば騎兵の足蹴にされ更に怪我を負うとこになる。
親善試合の後に足を引きずりながら引退していった先輩を思い出しながらモルブは身震いした。
生き残らなければ、いや逃げ切らなければ。
泥だらけになりながらモルブはまた走り出す。
もう既に、モルブは何度も転び地面に倒れている。ルールに則れば退場できるはずが、後半の戦場さながらの競技場では適用されない。
長い間そういった慣習になっていたことも原因だが、熱狂した観客が許さないのが一番重要なのだろう。血が湧き上がり、肉が乱れ飛ぶ光景を望む観客の欲求を満たすように競技場は混沌としていった。その中で安全な場所を求めるモルブは自然とある方向へと走っていった。
それはモルブだけではない。
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「ククク、勝った、勝利、大勝だ」
ホークロア王国の王子、ホーランドは青白い顔を珍しく血色ばらせ興奮していた。
ついに、あの憎きウルクを這い蹲らせることが出来る。
子供の頃のホーランドは生まれながらに端正な顔立ちと王子という境遇により順調に傲慢な子供へと育っていった。しかしそれは本来ならば、そう問題にもならなかっただろう。多少の反感を買ったところで第一王子の立場が変わることはない、持たざる者のやっかみとむしろホーランドの歪んだ性根を満足させるだけのことだったはずだ。
しかし、そうはならなかった。隣国のウェスホーク王国にウルク王子がいたからだ。
ウルクはホーランドに優るとも劣らぬ美しい容姿ですぐに社交界の花となった。比べられることが多い両国の王子という立場上、ウルクの噂はホークロア王国の社交界にもすぐに届いた。
曰く、ウェスホークの王子は大変に美しくそしてその容姿に見劣りせぬほど慈愛に満ちている、と。
傲慢故に負けん気の強いホーランドはウルクよりも自分の方が上であることを示すために努力した。騎馬術、戦盤、帝王学、王に求められるありとあらゆる物を修めていった。
しかし、二人の評価が覆ることはなかった。
なぜなら、ウルクが褒め称えられているのはその心根であるからだ。ホーランドはついに自分の歪んだ心を正すことが出来なかった。その方法を教えるものが側にいなかったがために。
だからこそホーランドはこの親善試合でウルクを完膚なきまでに叩きのめす必要があった。お前たちが有難がるその慈愛とか言うものは何の役にも立たないと証明するために。
「さあ、行け行け、追いたてろ。その蟻共を踏み潰してやるのだ」
競技場では無能共が右往左往し、安全を求めてウルク王子の元へと逃げていく。あのような足手まといが集まったところで邪魔にしかならないだろう。一方こちらは優秀な兵士たちが競技場を縦横無尽に駆け回り、それぞれが狩りを楽しんでいる。能力こそが全てのホーランド王子にとってそれこそが理想形だからだ。
慈愛と寛容のウルクには意思を一つに人が集まり、傲慢と不遜のホーランドには他者を頼らない者たちが勝手気ままにしている。
それはまるで鏡のように二人の性質を映していた。
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ようやく王子の元まで逃げ延びたモルブは周りを見て失望した。
ウルク王子の周りはてっきり精強な兵士により守られているのかと思っていたが集まっているのは自分と同じ顔ばかり。要は助けを求めて集まった烏合の衆だったのだ。
(ダメだ、終わった。こいつらが俺を守ってくれるはずない)
聞かずとも隣の奴が考えていることが分かる。どうせ俺と同じことを考えている。そうして雛鳥たちが集まったところで凶暴な鷹がついに啄みに来た。
少しでも遠ざかろうと後退りして隣の兵士と肩が当たった。
くそ、邪魔をするな。
そいつは自分と同じように槍を持って震えている。そんな絶望的な状況でどこからか声が聞こえた。遠く観客席から、失望と落胆からくる罵倒の声ではなく、もっと別の声援が。
「がんばれー、いけるいける、まだ9回裏、全然逆転できる。相手油断してる。転がしていこー。エラー狙ってー」
誰もがウェスホークの敗北を悟り、諦めと侮蔑で兵士たちを見る中でその声は一際大きく、心に響いた。
何を言っているのかモルブには分からなかった。ただこの競技場でまだ自分達の勝利を信じている人間がいる。そのことに少し勇気が湧いた。
「諸君、怖いか?」
モルブの後ろから王子が語りかける声が聞こえた。
当たり前だ。
その言葉にモルブは思わず反感を覚えた。こんな時に威勢のいい言葉など何の足しにもならない。きっと俺以外の奴らもそう思っている。
「実はな、僕も怖い」
一瞬、その言葉でホッとした。
モルブは柄にもなく国軍に行かされ望んでもいない精鋭隊に入らされて、そのことで親に反感を覚えていた。だから当てこすりのようにヤル気を出さず、可もなく不可もない、そんなモラトリアムを過ごしていた。だから思っていた。
こんな自分が、こんな臆病な自分が、場違いなこの場所にいたところで何も出来るはずがないと。
だけど王子も同じだったのだ。
「なぜこんなことをしなければいけないのかと、いつも思っている。皆もそうだろう」
その言葉に自然と笑いが起こる。お追従ではない。思わず出た笑いに心が軽くなる。
「だがなあ、大丈夫だ。僕たちは一人ではない。隣には仲間がいる。そうだろう」
肩が当たる。
さっきまであった嫌悪感は感じなかった。むしろ頼もしくもあり、そして守らねばという使命感すら感じる。
「僕も、もし一人だったら逃げ出していた。だから君たちがいてよかった」
俺もですよ、ウルク王子。
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「バカな!どうなっている。どうして余の兵士がやられていくのだ」
ホーランドは半狂乱になりながら周りにいる兵士を怒鳴りつける。
さっき見た光景を思い出しながらホーランドはなぜ自分が追い詰められているのかその理由を探そうとした。
一塊になった蟻の集団を踏み潰そうと騎兵の一人が突撃した。しかし、あっさりと破れた。息を合わせた槍の束が馬の突撃力に優ったのだ。それを見て他の兵士は笑った。あんな弱々しい奴らに負けるとは情けない、と。
続いて力自慢の一人がまた突撃する。彼らは完全に油断していた。試合の前半でめぼしい強兵はこちらの弱兵の道連れにされ退場した。だから後に残った有象無象を華々しく討ち破って見せよう。もはやこれは誰が一番か味方同士の競争だと。
ようやく相手が強敵だとわかったのは随分と数を減らされてからだった。
相手は意思を一つに行動を一つに、そして目的を一つにしている。倒れそうになる仲間に肩を貸し、数を減らさずそれを力にしている。まるで一人では何も出来ないと言わんばかりに。
一人で何でも出来ると、そう驕っている強兵揃いのホークロア側は結局、相手の強みが分かった後も意思を一つにすることが出来ずに敗れ去っていった。そして、ウェスホークの一団はホークロアの大将にまで至った。
「ホーランド、勝負をつけよう。申し訳ないが一対一とはいかないが。どちらの味方が頼もしいかの勝負にしようじゃないか」
「ひ、卑怯だぞウルク。お前はいつもいつもいつもいつも」
「はっはっはっ、何を言っているんだホーランド。君にも頼もしい味方がいるじゃないか」
「貴様は! 分かっていて!」
最後は蟻の集団が象を飲み込んだ。
あっけない幕切れだった。
しかしそれは脚色された戦史でも見ることのない逆転劇の終幕としてはむしろ相応しい、予定調和のような気持ちよさがあった。
観客が喝采を叫ぶ。
「「「ウルク王子!ウルク王子!ウルク王子!」」」
最早、国の別もなく一人の英雄を称賛する。
「「「ウルク王子!ウルク王子!ウルク王子!」」」
その歓声に応えるように兵士たちに担ぎ上げられた王子は観客席を指差し言う。
「この勝利を、一輪の薔薇に」
果たして、王子が指差した先に誰がいるのか、正確に追えた者はいなかった。
しかし、この会場にいる誰もが知っている。かの苦境にあって最後まで王子の勝利を信じていた勝利の女神がいることを。
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「かーやっぱ逆転された負け投手の吠え面は気持ちいいンゴね」
幸運にもその声は満場の歓声に掻き消されて誰にも届かなかった。




